イワシはおいしい。刺身でも、酢じめでも。おいしい。おいしい。 |
1999年7月が終わってしまった。 あれ? 小学生の頃、『ノストラダムスの大予言』を読んだ。 1999年を想像しておびえた。34歳の自分を考えたが、何をしているか分からなかった。そんな先のことは思いもつかなかったのだ。どこで、どんな生活をしているのか、山国の小さな町のいくつかの通りしか知らなかった私には想像もできなかった。なのに、世界が終わるという。そのことだけは、頭にこびりついて離れなくなった。「いつか、世界は終わる」「いつか、この暮らしは変わる」そのことばかりを考えてきた。今もそうだ。 オオカミ少年と言われても、「食糧危機は来る」と叫び、遺伝子組み換えや環境ホルモンなど見えないものの影に目をこらしては、騒いでいる。たしかに暮らしは変わった。世界の環境は汚染され、人口は増え続け、憎しみは減らず、誰にも理由の分からない殺戮は続いている。 しかし、世界は終わらなかった。 世界は、終わらない。変わるだけである。変わり続けるだけである。 その中で、暮らし続け、あがいたり、笑ったり、怒ったりするだけである。 2000年まで5カ月。2001年まで17カ月。 そういう時代を過ごしている。 |
8月1日(日) 晴
生産者の家で朝食をごちそうになったあと、さらに南下し、庄内平野のどまんなかへ。
別の生産者グループを訪ねる。気温はますます上がり、この日はついに午後に37度をこえた。記録の37度は現実の40度以上を指す。田んぼに出ている人は、我々のほか、ほとんどいない。誰も働きはしない。あたりまえだ。日射しが強ければ、何もしなくても稲は育つ。
午前中は、事務所で打ち合わせをして、午後になってから田んぼに出る。4世帯8カ所ぐらいを見て回る。かなり暑さがこたえる。
ホテル泊。
食:8時、ご飯、味噌汁、シソ巻き、ナスのぬか漬け、口ぼそカレイの焼き物、イカの焼き物、他。
食:12時、麦切り(うどん)。
食:19時、ご飯、味噌汁、茶碗蒸し、天ぷら、刺身、焼魚、岩牡蠣、など、ビール、日本酒(外食)。
8月2日(月) 晴
ホテルの和定食を食べ、出発。本日は帰りである。気温は、8時台で30度をこえた。車の冷房も苦しそうである。とにかく、今度は南へと車を走らせる。空は快晴。夏休みをとる人たちもいて、月曜にもかかわらず車は多い。
途中、新潟で、イワシとイカを買って帰る。
帰るとカレーができていたので、それを食べることにする。魚は水底がさばいてくれ、私は、ゲソを醤油とマヨネーズで炒める。
購入:イワシ、イカ、雪国あられ、とちのみかりんとう。
食:7時半、ご飯、焼魚、味噌汁、漬物、梅干しなど(外食)
食:13時、大揚げきつねうどん、いなり寿司(外食)
食:20時、カレーライス、イワシ刺身、イカ刺身、ゲソ焼き。
8月3日(火) 晴
大快晴。東京も暑い。今年はとても暑い。水底は、この暑いのに友人達と大久保のエスニック店めぐり。ご苦労様。私は、自宅で涼しく仕事。朝はカレーを食べ、午後、インスタントラーメンにピーマン、葱、エビ、イカ、餅を入れて食べる。
おお、本日は多摩の花火大会であったか。ここは高台なので、窓越しに花火を楽しむ。夜は、水底が餃子をこしらえ、私が焼く。それに、イワシを塩焼きにして食べる。イワシがとてもうまい。やはり青魚である。味噌汁は私がジャガイモ、人参、ナス、葱でこしらえる。
購入:餃子の皮、豚ひき肉、ニラ。
食:9時、カレーライス(私のみ)
食:14時、インスタントラーメン(私のみ)
食:23時、ご飯、餃子、味噌汁、イワシの塩焼き、イワシの酢じめ、イカのピリ辛炒め。
8月4日(水) 晴 大快晴は続く。東日本では厳しい暑さが続いている。もう暑くて、暑くて。何もしたくない気持ち。 食:12時、ご飯の残り、餃子の残り、カレーの残り、イワシの酢じめ、イカのピリ辛炒め。 食:17時、スイカ。 食:21時、そうめん、ナスのポン酢、オクラのおひたしマヨネーズ和え、ぬか漬け、イワシの酢じめ、イカのピリ辛炒め、ご飯の残り。 |
8月5日(木) 晴
昨夜遅くに雨が降る。夕立のようなものだが、かなり激しく降った。今日も夕立がある。プランターの水まきをしなくてすむのがよい。
ほぼ終日家にいて、仕事。10日ほどばたばたしていたので、ちょっと疲れがたまり、久しぶりに腸炎を起こす。できるだけ安静にすごす。
宅配:鶏もも肉、豆腐、納豆、油揚げ、バナナ、ナス、ピーマン、キャベツ、玉ねぎ、ジャガイモ、大根、レタス、モロヘイヤ、シシトウ、トマト、ゴボウ、長葱、スモモ。
食:14時、バナナ(私のみ)
食:14時、ジャガイモの冷製スープ(水底)、スイカ。
食:21時、おにぎり、ジャガイモの冷製スープ、ナスの三杯酢、イワシの酢じめ。
8月6日(金) 晴
やはり夜には雨が降る。1945年8月6日午前8時15分に世界ではじめて原子爆弾が実戦で使用される。その死者のほとんどが非戦闘員であり、その破壊のほとんどすべては民間施設であった。
腸炎が起こると数日は治らない。これはもう持病のようなもので、年に1回程度はかかってしまう。消化のよいものしか食べられない。まあ、食欲はそれなりにあるのでよいのだが、それなりにであって、充実はしていない。なにより、腹に力が入らないのがよろしくない。何をするにしても、調子が上がらないのだ。おとなしくしている。
キュウリやトマト、油揚げ、レタス、蒸しナスをのせた冷やし中華を作って食べる。
夕方、水底の友人より魚が届く。立派なカサゴとイカである。急きょ予定を変更して、魚を蒸して食べる。
届き物:カサゴ、イカ。
食:14時、冷やし中華、おにぎりの残り、ジャガイモ冷製スープの残り。
食:21時、ご飯、ジャガイモ冷製スープの残り、カサゴの蒸し煮、ナスとスイカのぬか漬け。
8月7日(土) 曇ったり晴れたり雨が降ったり
大学時代の友人達と集まる。酒を飲むのだが、私は腸炎が治っていないので飲まない。肉を食べる。みんな30代の半ばであり、そろそろ管理職などとなって忙しいようだ。疲れているから酒を飲むと寝てしまう傾向にある。水底は家で働いていた。
昨日のイカを水底が調理してくれる。ジャガイモとイカを醤油などで甘辛く煮たもの、イカとトマトとニンニク、オリーブオイル、酢などで煮たトマトソースである。酢で煮込むと、やわらかく、甘くなるのだ。
もらい物:ミノ、ネギ、谷中ショウガ。
食:14時、ご飯、ジャガイモとイカの煮物、ぬか漬けなど(水底)
食:15時〜、焼き肉、野菜、ご飯。(私、友人宅で)
食:23時、イカとトマトのスパゲッティ、ジャガイモとイカの煮物、茹でナスのごまだれ、ご飯、スイカ。
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