2001年6月8日〜14日
タンタン麺は、なぜにうまいのだろう

6月8日(金)
曇りのちやや晴れ。洗濯をして外出。神保町で会議。コーヒー類の飲み過ぎで胃ががぼがぼいう。昨日はサッカーの国際大会決勝進出で号外が出る。今日は、大阪府池田市の小学校で起きた虐殺事件で大騒動になっている。またひとつ日本社会のたががはずれた。 昼は水底が寝ていたので、めんどうでカップ麺と一昨日のご飯にキャベツの千切り、魚肉ハム焼きで済ます。後で聞くと、水底もそういうご飯にしたらしい。夜は、きちんと食事。イカを3杯買ってきたので、水底が刺身にする。私がゲソとエンペラを大根と生姜、ニンニクで炒め合わせる。ご飯を炊き、しじみ汁、ホットポテトサラダ、もずくとキュウリの酢の物とする。ご飯をたっぷりいただく。しじみ汁はしじみがあまりおいしくなかった。残念。刺身はとてもとてもおいしかった。

購入:もずく、イカ、しじみ、青葱、カレールー、沢庵。

食:12時、カップ麺、ご飯、ハムとキャベツの千切り。
食:22時、ご飯、しじみの味噌汁、イカ刺し、イカゲソと大根炒め、ホットポテトサラダ、もずくキュウリ酢、トウモロコシ茹で。


6月9日(土)
晴れ曇り。外はすっかり新緑。近頃また時間が元に戻り、明け方に寝て午後起きる生活になる。寝付こうとすると、外で野鳥の叫び声が聞こえる。ゲー、キョエー、キエー、ケッケッケ。野生の王国。しかし、やはり、アオサギは戻ってこなかった。どこへいってしまったのやら。少し寂しい。今日は台所でいつもの黒蟻とともにカマキリの幼生を見かける。わが家の中も野生の王国。 午後起きて、ご飯の準備をしようと思ったら、近所の友人Nが登場。おみやげにシュークリームを持ってきたので、それを食べながらいろいろおしゃべりする。彼が去った後、葱と卵と醤油の焼きめしで遅いご飯。それから、昨日風呂に入らなかったので、早めの風呂。といっても午後5時である。普通の家でも休日だと1日を終えて風呂ということもあるだろう。やれやれ、まだ気持ちは朝なのだが。
わが家の風呂は、外が見えるガラス張りである。回りはすべて木々なので、外から見られる心配はない。ぼんやりと初夏の夕方の森を眺める。虫が飛んでいる。
買い物に出かけ、出張の準備をしてから夕食。鰹の半身を水底が刺身にする。もうプランターの大葉が大きくなったので、それが添えられる。この大葉は、昨年プランターで植えたものの実生である。今年、土の入れ替えをしようと思ったらたくさんの大葉が生えていたので、それを育てている。本日は、水底がいつもの大麦入りご飯を炊き、鰹の刺身を準備、それと黒ごま、白ごまをすって、ほうれん草のごま和えをこしらえる。このごま和えは、ごまの量が多く、きちんとすってあるので、ねっとりして美味。本当においしかった。私の仕事は冷や奴、もずくの準備とタンタン麺。豚の挽肉を解凍する。白葱を刻む。青葱を刻む。ニンニクと生姜を刻む。白葱とニンニクと生姜をごま油で炒める。豚の挽肉に黒胡椒をふりかけて炒める。豆板醤を入れて炒める。テンメンジャンを入れて炒める。水を注ぎ、煮立たせる。醤油、ねりごまを入れる。ねりごまは遠慮なくたっぷり入れる。今日は、九州の棒ラーメンを使ったのだが、このスープは粉と油に分かれている。ふたり分のスープのうち粉1袋だけを化学調味料代わりに加える。べつに鶏スープでもよいし、使わなくてもよい、フォンドボーみたいなものでも、固形スープでもいい。麺を茹でる際に小松菜もひとふさ茹でておく。色づけである。麺がゆだったら、お椀にスープ、麺、それに青葱をのせる。ごま油、ラー油を上から軽く振りかける。香りづけである。これでできあがり。本日のは、とにかく、まことにみごとにおいしかった。勝った。タンタン麺は私のものだ。わはは。いろんなところで食べたかいがあろう。やはり、料理の腕を磨くには、同じ料理を食べ歩くに限る。しかし、素人だから、同じ物を2度はつくれない。そのときある食材、素材、感覚的な調味料合わせになるからだ。でも、おいしかったのだ。とても。

購入:鰹、オレンジジュース、ナス、納豆、もずく。

食:16時、焼きめし、沢庵。
食:22時、ご飯、タンタン麺、ほうれん草のごま和え、鰹の刺身、冷や奴、もずく酢。


6月10日(日)
晴のち雨。水底がうどんを所望。キンカにぼしをしばらく水に漬けておく。弱火にかけ、沸騰する直前に火を止めてキンカをとりだす。そこに、佐渡で購入してきたアゴ(トビウオ)のめんつゆを入れる。油揚げをそぎ切りにして煮る。冷凍うどんを入れて、できあがり。青葱をたっぷりちらす。本日のうどんは実にうまい!何か、とりついているようなうまさである。
勢いづいて、約束のカレーを作る。鶏肉、玉葱、人参、ニンニク、生姜、トマト缶、ピーマン、じゃが芋、ナス、それに、ローレル、クミン、カルダモン、クローブ、胡椒、ターメリック、コリアンダー、醤油、お好みソース、カレールー。何もカレールーを入れるまでもないのだが、ごくごく普通のカレーを使いながらも、別の味に仕立てるのは、これはまた楽しい作業であるのだ。

食:15時、うどん。
食:22時、カレーライス、ご飯、沢庵、コールスロー。



6月11日(月)
曇り。多摩から成田、成田からマニラ、マニラからソラノの手前まで。今日から出張記録となる。実際の記録は最終日に行っている。いつも午前4時頃に寝るのだが、本日の自宅出発は午前4時過ぎ。寝ずに過ごす。水底が梅干し入り海苔おむすびを握ってくれる。それを持って出発。新宿駅でS氏と合流。今回は、S氏が昨夏に行ったフィリピンの地域を訪問、調査を行うのが目的。地域名をリトルタジャンという。リトルタジャンは、ルソン島北部、いわゆる北ルソンのイフガオ州のアルフォンソ・リスタ市にある。リトルタジャンは、タジャンから入植してきた人たちである。一番最初の入植者は1965年に入植。すでに森は切られ、裸の土地であったらしい。ここで約300弱の世帯が4000ヘクタールという広大な土地にいくつかの集落を作って暮らしている。牛の放牧とトウモロコシの単作地帯であるが、80年代まではいくつかの作物を作っていたらしい。その後、メジャー向け飼料トウモロコシ単作地域となってしまい、トウモロコシの価格低迷、仲買が1つであること、隔離された地域ということもあって経済的には大きな問題を抱えている。しかし、幸いなことにまだ土地の所有は個々人のものであり、一部を除いて借金のかたに土地を奪われた人は数名であり、すべての土地ではない。
この地の最大の問題は、飲料用、農業用水を得ることが非常に厳しいとことである。そこで、今回は、水問題を中心に、農業改善などの可能性について調査し、それを、この地域で持続可能な開発に向けた協力活動をしているNGOのCORDEDVとともに今後の活動に生かそうというものである。CORDEVのリトルタジャン地域担当をしているグレッグは私と同じ37歳。元人権活動家であり、リトルタジャンを担当する神父でもある。フィリピンでは貧困地域などの経済的、社会的支援に教会が大きな役割を担っている。アジアで最大のキリスト教国でもあるからだ。
昨年からこの地では、日本の有機農産物取り扱い団体が認証を受けたオーガニック飼料用トウモロコシの作付けを提案し、実験的にはじめている。S氏はその関係で昨年この地を訪れているのである。不幸にもこの有機トウモロコシは2年続けてうまくいっていない。これにもCORDEVが関わっており、CORDEV、とりわけ、グレッグ神父がリトルタジャンに関与する様々な非政府組織の調整を担っていると言ってもよい。なお、CORDEVは北ルソンのバナナプロジェクトにも関わっている。これは、日本の生協や消費者団体、有機農産物流通団体、市民団体とフィリピンの団体が行っているもので、もともとネグロス島で飢餓に見舞われた土地なし農業労働者の自立を目的にはじめられたプロジェクトである。このプロジェクトは各地に広がり、フィリピンでの物流をATC(オルタートレードコーポレーション)が担い、日本ではATJ(オルタートレードジャパン)が担っている。ATCはフィリピンの非政府組織が作った会社であり、ATJは日本の同様の会社である。CORDEVは、このATCとともに北ルソンのバナナ地域についての自立とバナナ生産、流通プロジェクトも担っている。
さて、成田である。あいかわらずの成田であり、ここで食べ物は買わない。空港のシートでもさもさとおにぎりを3つ、漬物とともに食らう。同行のS氏と国内の地域づくりNGO里地ネットワークの事務局長T氏にも勧めたが、食べてきたというので、私が3つともおいしくいただく。
航空便はJAL。あまり機内食には期待していない。和食と洋食が選べたので和食を選ぶ。メインはブリ大根のご飯添え。デザートの黄桃フルーツシロップ添えはおいしかった。
マニラに到着。CORDEVの依頼を受けたATCマニラの運転手が、ATCの緑色のバンで迎えに来てくれる。彼はマリオ。このようにフィリピンでは、スペイン由来の名前か英語由来の名前が多い。ほとんどがそういう命名のようだ。マリオはATCに入ってまだ日が浅いので初対面である。私は、前の仕事の時、バナナプロジェクトの関係で数回フィリピン・ネグロス島を訪れており、ATCで知っている人もいる。しかし、最後におとずれたのは7年も前だ。車も新しくなっており、時の流れを感じる。
なにより時間を感じたのは、自転車にサイドカーをつけたようなシクロタクシーが交通渋滞の原因としてすべて禁止されたことだ。しかし、民衆は強い。自転車を単にバイクに変えて、前のサイドカーを取り付け、シクロタクシーとして庶民の足となり、マニラの交通渋滞に貢献している。マニラに到着して、ひたすら車は走り、夜9時、目的地の手前の町でホテルに泊まる。そのホテルで食事をしたのだが、マンゴージュースは缶ジュースだった。がっくり。淡水魚のテラピアを揚げ、モヤシとインゲンが添えられたご飯プレートを注文。T氏がマッシュルームスープに目をつける。私は何も言わないが、それはクノールですよ。なんと3人前も注文してしまい、みんなでこのクノールスープを味わう。インドネシアでも同じ目にあった。豚肉と玉葱の炒めサラダはとてもおいしい。塩と胡椒中心のシンプルな味付けだが、ご飯のおかずによく合っていた。ホテルのレストランは、バーになっていて、カラオケとビリヤードに人が集まっていた。月曜日なのに遅くまで騒いでいる。このホテルで就寝。

食:8時、おにぎり、漬物。
食:12時、機内食。
食:21時、ごはん、テラピア揚げのモヤシとインゲン添え、スープ、豚肉と玉葱サラダ、缶ジュース。


6月12日(火)
晴れ。ソラノからオウロラ経由リトルタジャンまで。朝、テレビを見たら、今日がフィリピンの独立記念日で祝日だった。どうりで昨日遅くまで人が騒いでいたのだ。朝ご飯もホテルにて。干し豚を焼いたものとご飯、目玉焼きにインスタントコーヒー。まだ、フィリピンに来て食事に恵まれていない。食後、ソラノのCORDEV事務所に行く。黒砂糖で煮たバナナを食べながらミーティング。その後、スタッフがつくった昼ご飯。ラプラプ(ミルクフィッシュ)を焼いたもの、茹でオクラにはエビ味噌のギノモスを漬けて食べる。鶏肉入り春雨スープ、メヌードはスペイン料理。人参、キュウリ、豚の白モツ、じゃが芋、ソーセージがトマトベースで煮込まれている。それにご飯。何もかも美味。うれしい。おいしい。
昼食後、緑車に乗って現地へ向かう。途中でパイナップルを売っている人がいたので、そこでパイナップルをごちそうになる。塩を付けて食べるのだが、とにかくジューシー。暑くて喉が渇くのでうれしい。その家ではゴーヤの種を干していた。みんなゴーヤが好きらしい。目的地のリトルタジャンを前に、麓の町オウロラで緑車と別れる。ここからは、週に2回のミニバス往復便で山を登る。オウロラは水があり、平たい場所でちょうど雨期の入りとあって田植えをしていた。田植えは、苗を手で植えるのと、直播きが混在している。水田地帯を過ぎ、最後の川を過ぎるとあとはひたすら悪路を登る。まわりは牧草地かトウモロコシ畑だけ。古いエンジンはうなるだけ。我々はただ、ミニバスのシートにつかまってがたがた揺られるだけ。途中、井戸をひとつ確認し、リトルタジャンの中心部へ。もう夕方である。お世話になるジュリアスの家につき一休み。といっても風呂があるわけではない。水がないのであるから。雨水を溜め、井戸から水を運ぶのが日々の仕事である。ジュリアスは農大を出た青年ですでに結婚している。ジュリアスの父は健在で、彼がこの地で唯一ため池を掘った男である。水牛のカラバオと家族の力だけで数年かけてため池を掘るという難行をもってジュリアスの家はなかなかこの地では裕福な方である。もちろん、比較する経済レベルは低いのだが。彼の家でだらだらしていたら、近所のおばさんが大トカゲ(モニターリサ)を売りに来た。今日はアヒルを締めることになっていたらしいのだが、大トカゲはとてもすばらしいごちそうであり、方針が変わる。値切ってアヒル2羽分の値段で購入した全長150センチ以上もある大トカゲは、表面を焼かれ、内臓を抜き、切り分けてから調理される。調理はアドボである。ニンニク、玉葱、生姜、醤油、ココナッツ酢で汁気がなくなるまで煮る。夕食はこれとご飯。大トカゲのアドボは中の肉が鶏、外の皮と皮の下はちょうどうなぎの蒲焼きを煮たような味と食感であった。大トカゲはなかなかとれないらしく、こちらでもごちそうである。もちろん、我々が大トカゲを食べる機会など、そう滅多にあるものではない。一生に1度かも知れない。トカゲ。おいしかったのは料理法にもよるのだろう。トカゲ、水底がきっと食べたがるに違いない。
蚊帳をつって板間に寝る。鼻をつまんでも分からないぐらいの暗闇。

食:7時、ご飯、干し甘豚、目玉焼き、コーヒー。
食:12時、バナナ煮、ご飯、メヌード、ラプラプ、オクラ、鶏春雨スープ。
食:20時、ご飯、大トカゲのアドボ。


6月13日(水)
晴れ。リトルタジャン、中心エリアからマジカルエリアへ。朝から暑い。午前7時には日陰で27度を超えている。湿度は90%近く。こちらは、日が昇るに連れて下がっていく。朝は、昨日の大トカゲにゆで卵。午前中は、この地のリーダー会議が行われる。朝から地方行政府の担当者であるフリオ氏がやってきた。後で知るのだが、彼は今日行くマジカルエリアで我々に宿泊場所を与えてくれる人でもあった。そのときはそんなことは知りもしない。会議がなかなかはじまらないので、グレッグを置き、フリオとジュリアス、さらに中心エリアの数名とともにこの中心エリア唯一の泉をめざす。干ばつでも水が枯れないところだがいかんせん2キロメートル以上離れている。山を越え、トウモロコシ畑を超えて行く。汗びっしょり、喉はカラカラ、今にも熱射病になりそうである。ぐったりして帰ると、しばらくして会合がはじまる。会合には、教会で水問題担当の技術者をしている神父が参加。彼が今日、我々の行くマジカルの先まで行くので送っていってくれることになった。会議は、なかなか難しい話、しかも、こちらは英語で話さなければならない。厳しい。なんとか会議が終わり、昼ご飯はジュリアスの家に戻る。昼は鶏をつぶしてくれた。鶏とそれを煮たスープは塩胡椒味。自家製の唐辛子酢もあるので、それをつけてもよい。さらに、タケノコを醤油で炒めたもの、ヤム芋をゆでたもの。タケノコの方はまさしくキンピラ。ヤムの方は里芋をゆでて茹で溶かした里芋に芋を浮かせたようなもの。昨日のアドボもある。会議に出た現地以外の人がみんな揃ってのごちそうであった。
昼ご飯を食べて、くだんの技術者神父と出発。彼の車はミニバン。彼とそのスタッフは500メートルメジャーを持って水源などの調査している。たとえば井戸と一番高い場所の距離を測るのに、それが8キロメートルならば500メートルメジャーで16回繰り返すわけである。ただ、高度計などないので高低差は勘である。そうやって距離と高低差をはかりながら、どうやって水の入手が困難な地域に水をもたらすかの調査と提案、設置活動を教会の事業として行っている。もちろん、グレッグもまたリトルタジャンをエリアとして教会の神父の側面でも活動をしている。その神父の活動にはCORDEVと同じ目的を持つ側面があるわけだ。彼は、T氏が持っていた高度計、角度計付きの時計をいたく欲しがっていた。むべなるかな。
さて、中心エリアからマジカルエリアへの6キロメートルの道中。赤土は少しの水でぬかるむ。ずぶずぶ、ずぶずぶ。そのたびにバックしたり、ローリングしたり、最後はみんなで押すしかない。全身泥だらけ。それでも、ここを歩くよりはずっとずっとましだ。
マジカルエリアに着き、そこで青パパイヤを振る舞ってもらう。唐辛子酢や塩をつけて食べる。キュウリのサラダといったところか。このマジカルエリアはもっと水がないので、コーヒーは雨水を沸かしたものにインスタントを溶かしたもの。贅沢は言えない。
一休みして、水源や土壌流出の現場を確認、さらに、一番高いところである道路から歩いて全体を見て回る。T氏が地図をこしらえていたら人が集まってきた。
アヒル、鶏、豚、犬、子どもがわらわらといる。もちろん、水牛(カラバオも)。人と動物の暮らし。 家を建てているところがあった。働くのは近隣の人。結いである。昼ご飯を振る舞い、仕事が終われば酒を振る舞う。そうして家ができていく。
夕ご飯は、魚を下の町から買ってきてくれた。ミルクフィッシュを塩胡椒で茹でたもの、それにバナナとご飯。贅沢です、これでも。

食:7時、ごはん、ゆで卵、大トカゲのアドボ。
食:12時、ごはん、ゆで鶏、鶏スープ、タケノコの炒め、ヤムの煮たの、大トカゲアドボ。
食:20時、ごはん、ミルクフィッシュ煮、バナナ、青パパイヤ。


6月14日(木)
晴れ。リトルタジャン、マジカルエリアから中央エリアへ。明け方、アヒルの騒ぐ声がする。思った通り、朝はアヒルをつぶしてくれた。今日も朝からごちそうである。昨日周りを歩いていたアヒルである。塩と胡椒でゆでたもの。これに、アヒルゆでスープとシシトウをゆでたものがつく。昨日パパイヤにつけて食べたのと同じ、唐辛子入り酢をつけながら食べる。アヒルがうまい。ああなにもかもうまい。スープをごはんにかけて食べる。もう、これは極楽である。雨水コーヒーを飲み、フリオ家と別れて出発。今日は車が違う。古いおそらくは米軍の装甲車車台にミニバスと同じ座席と屋根を付けたもの。エンジンはイスズ製に交換済みだとか。タイヤも大きい。昨日、あれほど苦労した場所もすんなりと通っていく。それでも、何回かはバックをしたり、スコップを必要とした。ただ、押さなくてよかったのはうれしい。いったんセンターエリアのジュリアス家に寄り、一休みして同じ大型ミニバスで再出発。今日は、ジュリアスの父が87年頃に数年かけて掘った池のあたりまで行くのである。ジュリアス父と母が毎朝カラバオでやってくる農場小屋に車を止める。鶏やアヒルや犬が走り回っている。そのうちの鶏1羽が、すぐにジュリアスらによって締められる。我々の昼食。日本から我々が来たせいで、寿命が縮まったのである。すまぬ。が、おいしくいただくよう腹をすかせよう。そこから池までは徒歩。カラバオと家族だけで掘ったというふたつの池はとても大きくて、魚も多い。まわりには、ザボンの木やパパイヤ、バナナなどが生えている。水田もある。T氏が釣り竿を取り出し、また、竹藪から細い竹を切り出してきてテグスをつけ、ミミズを掘って釣りをする。すぐにジュリアスが手頃なテラピアを釣り上げる。小さなテラピアならすぐにかかる。あとは、T氏がテラピアとナマズを釣り上げる。私は、ザボンとパパイヤで軽く腹を満たす。
それからジュリアス父の農場小屋に戻ると、ジュリアス父はすでに私たちが釣りをしたのとは別の池で網を投げ、小さなテラピアをたくさんとってきていた。1尾ずつ腹をさばいて塩づけにしている。
農場小屋のすこし下に井戸が掘ってあり、そこで体を洗う。ここに来てはじめての体洗い。じりじりとした太陽の下、草むらの中の井戸で裸になり、手こぎポンプで水を出しながら石けんで体を洗う。太陽が気持ちよい。
昼は、鶏を煮たものと鶏スープ。塩、胡椒で煮てある。スープが絶品。これに、我々が釣ってきた魚を煮たもの。唐辛子酢はなく、塩と唐辛子が出る。これで味にアクセントをつけて食べる。みなは蒸留酒を飲む。私はコーヒー。
午後しばらく農場小屋でみなといろんな話をする。農業手法の改善可能性や、酪農導入の可能性について。
それから、トウモロコシ畑で調査をして、ジュリアスの家に戻る。そこで、ジュリアス父にインタビュー。池を掘った理由、池の場所を決めた理由、この地域で他の池を掘るための問題点や可能性など。ここで、彼に2-4-Dの危険性について話す。ここでは、2-4-Dとグリホサート(日本の商品名ではラウンドアップ、ここではパワー)が除草剤として使われているが、2-4-Dの方が安いのでそちらを使っている人が圧倒的に多い。しかし、山に畑があり、そこからすべての水が集まってきているので、地下水の2-4-D残留濃度はそれなりに考えられる。ダイオキシン汚染である。日本やアメリカやヨーロッパで使用が禁止された農薬を今もこうして規制のない国で販売し続ける、この非道徳性、非人道性をもって、農薬メーカー、化学・バイオメーカーの正体が知れようというものである。まったくもって怒りがおさまらない。
ジュリアス父は、この危険性についてみなにきちんと話をするという。もちろん、グレッグもそれに取り組む。もちろん、グリホサートも使わずにこしたことはない。しかし、どうしても使うというなら、まだ2-4-Dよりもましである。消極的選択。
値段は、グリホサートの方が高い。これが一番大きな問題になる。
夕ごはんは、牛肉。ついに牛肉まで登場。もちろん、牛をつぶしたわけでなく、下の町から誰かが買ってきたものである。牛肉とジャガ芋を一口大に切り、塩、胡椒で煮たもの。スープに浮いた感じ。これと、マンゴー。もちろん、これも買ってきたもの。初マンゴー。よく熟れていておいしい。マンゴーはシーズンがあるのでなかなか食べられない。もうシーズン終わりとのこと。ぜいたくな毎日。
夜は、ジュリアスの妹に日本語を教える。19歳の彼女はカレッジで日本文化のクラスをとっているという。数字について教えたら、すぐに日本の万千百単位について理解した。かなり頭がよい。しかし、日本文化ということで、俳句や有名人などを聞かれ、みな困る。俳句は、S氏が芭蕉の「しずけさや岩にしみいる蝉の声」、私が蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」「春の海ひねもすのたりのたりかな」を紹介。英訳が難しかったが、あとは芭蕉の「古池や〜」しか思い出せなかったのでしかたがない。日本人の教養が疑われるね。

食:7時、ごはん、ゆでアヒル、アヒルスープ、シシトウ。
食:12時、ごはん、ゆで鶏、ゆで魚、鶏スープ、ザボン、パパイヤ。
食:20時、ごはん、牛肉ジャガ芋スープ煮、魚煮、マンゴー。



ナスの入ったカレー

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