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1998年10月1週

6日、今期の初鍋!嬉しいねえ。

1998年10月1日(木) 雨
 気温は高いが雨は降る。やむことを知らずに雨が降る。東京では、9月の空は平年よりも8割弱の日照であったという。つまり、ほとんど曇りか雨。洗濯物がたまり、部屋がじめじめしてくる。我が家には、粘菌、カブトムシの幼虫、糠床、味噌など、生物、微生物をたくさん飼育しているので、当然、いろんなものが部屋にいる。ゴキブリはあまり見ないが、やはりいる。ヤモリもいる。どうも先日、家のどこかで卵から孵ったらしい。小さなヤモリをよく見かける。ダニもいるが、ついに今日、ノミを発見してしまった。やばい。
 晴れないかなぁ。
 今日は、味噌汁に気合いを入れる。毎回同じだが、煮干しでダシをとり、小松菜と長葱、ワカメの味噌汁をつくる。味噌は自家製のもので、昨年秋のものを使っている。
 夕食の味噌汁は、やはり煮干しでダシをとり、チンゲン菜、シメジ、長葱、油揚げに呉汁の素を入れ、味噌とコチュジャンを使った韓国風キノコ味噌汁である。シメジが実に香り高く、とてもおいしかった。これに溶き卵を入れる。

食(私):12時、押し麦入ご飯、小松菜と長葱とワカメの味噌汁、納豆、砂肝の南蛮漬け。
食(私):18時、押し麦入ご飯、小松菜と長葱とキャベツ、ワカメ入名古屋インスタントラーメン。
食(私):23時、押し麦入ご飯、韓国風キノコ味噌汁、豆モヤシとキャベツと油揚げの野菜炒め、納豆、砂肝の南蛮漬け。


10月2日(金) 晴
 飛行機に乗って鹿児島空港へ。それからバスで熊本県水俣市へ行く。エコ水俣モニターツアーに参加するためだ。水俣の自然と人をどうやって市民、旅行者がともに楽しむかということであるので、大いに楽しみたいと思う。
 バスの中で、お弁当が出たのだが、最初のおもてなしとして実にすばらしいものであった。食材のすべてが、水俣で得られたものである。それを、ごくごく普通に料理して、詰めてあった。中でも、煮しめと大根まびき菜の落花生和えは絶品。干しタケノコのキンピラも、なるほどこういう調理法があったかと納得した。
 気持ちよく、市内に入り、軽く全体のレクチャーを受けた後、水俣病の資料館へ。そこは、ヘドロ埋め立て地のまん中、かつては岬であったところに建てられている。手作りの資料を見て、歴史などを学ぶ。印象的だったのは、今も世界各国で同じように有機水銀中毒が起こっていることを知ったこと。また、有機水銀濃度が高くなった海で、それを分解する様々な細菌が増えていたという事実は衝撃的だった。人間はおろかな行為を繰り返すが、自然は、常に、新しい状況に対処しようとするのだ。
 その後、初期の患者であり、癒しの場として近年漁師であることを再開した杉本栄子さんの話を聞きに、作業場を訪れる。海と向き合い、水俣病と向き合い、人と向き合う真摯な、そして、すべてを包容する人の姿に感動した。杉本さんはカタクチイワシのジャコ漁を主体にしており、その釜ゆでから販売までを行なっている。漁業を続けるためには、作る人が売る人になる必要があると、杉本さんは言う。同感である。ジャコを空煎りし、醤油と唐辛子で味付けしたものがふるまわれたがとてもおいしく、嬉しかった。秋には、岩牡蠣もたくさんとれるそうである。うらやましい。
 ちなみに、杉本さんの住む、水俣病被害の最もひどかった茂原地区は、水俣の最南端に近く、すなわち熊本県と鹿児島県の海側の県境であり、すぐ先は出水市や高尾野となる。私の父方の実家は、高尾野であり、幼い頃、よく里帰りをしたものだ。
 夜は、市長なども交えてのパーティー。

食:12時、お弁当…栗のおこわ、干しタケノコのキンピラ、寒漬け、煮しめ(里芋、ゴボウ、インゲン、干し椎茸、干しタケノコ、人参、コンニャク、エビ、卵焼き)、鶏の唐揚げ、ミニトマト、レタス、大根まびき菜の落花生和え、アジの南蛮漬け(タマネギ、人参)、ミカン。この原料がすべて水俣産というところ、すごいではないか。(私)
食:19時、パーティ…地ビール、パエリア、ソーセージ、タコサラダなど。(私)
食:21時、焼酎。
その頃、水底は…
夜:八王子KEIO21内の寿司屋にて、もじばけ姫とともに寿司の食べ放題。イカ、アジ、コハダ、サンマなどたらふく食べる。京王の広報誌「あいぼりー」を見た、と言うと、タラバガニのサービスも。腹、ぱんぱん。


10月3日(土) 晴
 引き続き水俣。本日は、数人ずつに分かれて地域に遊ぶ日。私は、久木野地区という水俣川源流に近い山の中へ。森を楽しむ。石垣の棚田を散策し、むかごや柿などを楽しんだりする。また、湧水の冷たさに感動し、森林育成のための除伐にひいひいと汗を流し、あえぎ、檜を鋸で引きながら、その香り高さを満喫した。
 朝は、残念ながら、まったくの旅館料理であり、書くのも億劫である。日本中、どこに行っても、大きな旅館の朝食は知れている。大量調理、大量に人をさばき、コストを抑えるためにそうなるのだろうが、やはり納得がいかない。
 昼は、山で炭火に田楽がかけられており、ゆず味噌でいただいた。また、地場産の香り米が入ったおにぎり、たくあん、ヤマメの塩焼き、鯉こく、鯉の洗いと、山ならではの料理に舌鼓を打つ。湧水を使った料理だけに保健所からはいろいろと言われるらしいが、この旨さは、塩素を入れては成り立つまい。水がうまいからこそ、飯がうまいのである。おにぎりを人の分まで食べる。
 夜もまた、同様に、手作りの料理。昼の田楽に入っていた豆腐、コンニャクもそうだったのだが、ここでもまた、豆腐も、コンニャクも、地元産の大豆やコンニャクイモを使ったまったくの手作りである。ざっと、夕飯のメニューを並べると、棚田でとれたヒノヒカリは生産者の小島トシエさんもまだ食べていない新米。アイガモの味噌汁は、アイガモ農法で水田除草に活躍してくれたアイガモを使用。味噌も手作りである。葱や、生姜も、久木野産。キュウリと大根の酢の物ももちろん、久木野産。キュウリの浅漬け。煮しめは、掘り立ての里芋、自家製こんにゃく、自家製干し椎茸、醤油は県産大豆のもの、イカは水俣産、大根は久木野産ときたものだ。冷や奴は、大豆が久木野産で、ニガリは同じ熊本は天草産のもの。天ぷらは、おからに野菜を入れた古里揚げ、細切りのサツマイモ(唐芋)をカニの脚に見立てたガネ揚げ、ピーマン、ナス、カボチャ、キビナゴと来て、それらの衣の小麦粉も久木野産という念の入りよう。キビナゴと水俣湾産太刀魚の刺身。キビナゴは、やや水俣からは離れるが、それでもすぐ近くの海でとれるもの。ちなみに、古里揚げの「古里」は、久木野の中でも宿泊したあた りの地域名。古里揚げは、大豆生産者でもある中村タエ子さんのオリジナルとか。
 食事のあと、大豆の中村さん、米の小島さん、それに専業林業家と懇談。山の主や川の主の話がすうっと入ってくるような不思議な夜となった。
 
食:7時半、旅館朝食…ベーコンエッグ、ピンク色の辛子明太子、練り物、太刀魚の一夜干し、漬け物、色が赤い小梅干し、薄い豆腐の味噌汁、味付け海苔。ご飯。
食:12時半、山にて…香り米入りおにぎり、ヤマメの塩焼き、鯉こく、鯉の洗い、ゆず味噌田楽(里芋、焼き豆腐、こんにゃく)、漬け物、水。
食:18時、ごはん、アイガモ汁、煮しめ、天ぷら、冷や奴、漬け物、酢の物、刺身。ビール、焼酎。
ちなみに水底は…
朝昼:ナスとトマトを炒め、ヨコイのソースとともにスパゲティを食べる。オレンジジュース。
夜:もじばけ姫宅泊。マカロニグラタン、とうふとネギの味噌汁、鍋炊き飯(焦げあり)、もじの買ってきたポテト。


10月4日(日) 晴
 モニターツアーなので、その締めくくりのシンポジウム。好きなことをしゃべりちらす。水俣では、今日がほとんどの小学校で運動会。シンポジウム会場の隣が小学校で運動会をやっていた。午前中シンポジウムが終わり、会食をして外に出ると、小学生たちのかけっこなどをよそ目に、大人たちは料理を広げ、焼酎を飲み、すっかり宴会モード。地域コミュニケーションの場だから、これでいいのだ。しかし、立って子どもを見ている大人の多くはビデオカメラを回している。昔は、2、3枚写真を撮ればぼんやりできたのに、今はビデオだからつきっきりで大変だ。焼酎を飲めばいいのに。その後、ツアーとは分かれて人吉の実家に戻る。夜は、球磨郡上村で無農薬の茶農家をやっている「ゆきっ茶」さん一家が来訪。夫婦とも父の教え子ということで、焼酎を飲む。

食:7時半、ご飯、アイガモ汁、納豆、海苔、天ぷらの残りなどで朝食。ご飯がおいしい。(私)
食:13時、チラシ寿司、煮しめ、落花生豆腐、刺身コンニャク、カシワとゴボウのすまし汁、干しタケノコのキンピラ、大きな川ガニ、ヨモギもちなど。(パーティー料理で、全部は食べられなかった・私)
食:19時、焼酎、ビール、鯛の刺身、煮しめ(椎茸、コンニャク、昆布、芋がら、干しタケノコ、インゲン、里芋、カボチャ)、スパゲッティサラダ、カレーライス、鯛のすまし汁、芋がらとキュウリの酢の物、思いつきの餃子(野菜餃子)(私)。
その頃、水底は…
朝昼:ゴーヤと豆腐のチャンプルー、納豆、グラタンの残り、ごはん、味噌汁の残り。
夜:宅配ピザ2種、鶏のあぶり焼き、ポテトパフ、ラザニア、お茶。


10月5日(月) 晴のち曇り
 人吉から鹿児島空港経由で東京へ。おみやげを買いあさる。人吉のスーパーでは、恒例の皮付き黒豚バラブロックを。さらに、洗いゴマ1kg袋なんていうのを売っていたので、安さとボリュームに感動して購入。また、干し納豆なるものが熊本市の特産であることを発見し、購入。どんな味がすることやら。
 空港では、韓国フェアをやっていたので、少々高かったがペチュ(白菜)キムチを購入。いよいよキムチシーズンだ。
 水俣で、杉本さんの煮干し、アオサを買っていたので、アオサとキムチがすばらしい香りを放つ。飛行機はともかく、羽田から新宿までのバスで匂ったこと請け合い。まあ、よかろう。
 家に帰り、水底の料理を食べる。やはり家飯は落ち着く。ご飯は、私が土鍋で炊いた。飯炊き男の復活である。

食:10時、カレーライス、バリ(魚)の煮付け、味噌汁。(私)
食:13時、7種わりこそば。(私)
食:18時、小ぶりおにぎりセット。(私)
食:22時、麦入りご飯、油揚げと大根、大根葉の味噌汁、豆腐と里芋のシーチキンすだち味噌和え、カボチャと干し椎茸と鶏と昆布と大根の煮付け。(私と水底)
そして、水底の朝昼は、
朝昼:ごはん、納豆、ピザの残り、ゴーヤチャンプルーの残り。
おやつ:3色だんご、オレンジジュース。


10月6日(火) 雨
 木犀が香り雨でけぶる、秋の終わりを感じさせるような東京の1日であった。そこで、初鍋の儀を執り行う。やはり、気温が20度を下回ったら、鍋だろう。昨日、キムチと黒豚バラ肉を購入して帰ったら、白菜とエノキ、小松菜と大根が届いていたので、気分はすっかり鍋。1日中、鍋気分で過ごし、夜になって気合いを入れて鍋を仕込む。まだ、野菜の甘みは足りないが、それでも野菜たっぷりの鍋は身体を温め、心を満たす。きっと土鍋というのがいいのだ。土鍋の保温力が、野菜をおいしく包み、楽しませてくれる。ご飯を炊いても失敗しないのは、鍋のおかげだろう。
 鍋は、干し椎茸のダシと、干し椎茸、エノキ、白菜、黒豚、小松菜、豆腐、大根、韓国春雨にキムチ。すだちや酢醤油、ゆずこしょう、ゴマだれなどでいただく。

食:12時、セロリとバジルのチーズ雑炊、煮物の残り、味噌汁の残り。
食:21時、鍋、ご飯、煮物の残り、ポテトサラダ。


10月7日(水) 雨
 あれ、雨だ。まだ降り続いている。六本木にあるインドネシア料理屋で昼飯を食べる。竹ガムランが流れる雰囲気のよい店である。昼飯は、ナシチャンプルー、すなわちいろいろおかずのせご飯になっていて、ますますバリ島気分が盛り上がってよい。しかし、油はサラダオイルであって、ヤシ油ではなく、米は日本の米であって、バリ米ではない。
 実は、正直に言うと、7月にバリ島から帰ってきたとき、はじめて日本の米を家で炊き、口にしたのはよかったが、違和感が残ったのである。このねとねとする口の中で甘い物質はなんだろう、と。もちろん、米がまずかった訳ではない。立派においしい米だ。バリの米が、とびっきりうまかったという訳でもない。あれは、あれ。これは、これだ。
 でも、そう感じてしまったのだ。
 おかずを引き立てていたのは、どちらの米だろう。
 もちろん、日本の米には、日本のおかずがあり、彼の国の米には、彼の国のおかずがある。優劣ではない、好悪でもない。
 それでも、自分の舌や身体で味わった違和感はなんだったのだろうか。
 今日、日本のごはんとおかずでナシチャンプルーをやってみたら、やっぱり、日本のお弁当のようなものになってしまった、という状態を味わって、あの日の舌の感覚を思い出してしまった。

食:9時、喫茶店でサンドイッチとコーヒー。(私のみ)
食:13時、六本木のインドネシア料理店で、春雨中華スープ、ナシチャン(焼きそば、牛サテ、鶏のカレー煮、野菜炒め、ピクルス、揚げ卵)、マンゴプリン、バリコピ。
食:21時、昨日の鍋にスパゲッティと春雨を入れて、味付けして食べたもの。ゴーヤと長ナスのチャンプル。


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