THE SPIRIT OF DORSEI
ゴードン・R・ディクスン
1979
ディクスンの「チャイルド・サイクル」シリーズのひとつで外伝的な作品「ドルセイの道」と並ぶのが本書「ドルセイの魂」である。アマンダ三世がハル・メインに話す過去の物語として2中編「アマンダ・モーガン」と「兄弟たち」が所収されている。
「アマンダ・モーガン」はアマンダ一世が93歳の頃、まだドルセイが傭兵軍人惑星として自立を始めたばかりの頃、アマンダ三世からは2世紀も前のできごとである。ドルセイの主な大人の男たちは傭兵として各地に出ていた。残るのは老人と女性と子ども。かつての冬のでかせぎ地域のような状況である。そこにつけこみ、地球政府が侵略部隊を派遣、ドルセイを占領し、ドルセイ人たちを惑星から追放し分散、軍人惑星を解体するのが目的である。
ドルセイを開拓してきた中心人物の一人、アマンダはこの侵略部隊を相手に交渉し、戦略を練り、そして、彼らを敗退させた歴史上の人物であった。いかにして、圧倒的な軍事力を持つ者たちを退けたのか。ここにも、「ドルセイ」作品群に示される「最小の人的被害で最大の効果を上げること」が冷徹に示される。
もうひとつの作品「兄弟たち」は、イアン・グレイムとケンジー・グレイムの話である。「ドルセイの決断」のサイドストーリーであったイアンとケンジーの双子の兄弟と、その幼なじみであるアマンダ二世の愛の物語は、誰もが信じていたケンジーとアマンダの結婚が彼らの成長により失われ、そして、アマンダは実はイアンをひそかに愛していたこと、それはイアンには受け入れることができなかったことが描かれている。
光を受け持つケンジーと、影を受け持つイアン。双子でありながら、その性格はまったく逆であるが、お互いにお互いを信頼し、深い兄弟愛で結ばれていた。そのケンジーが銃弾に倒れ、イアンはケンジーとドルセイの名誉を守るための行動をとる。それは、ドルセイ人ではない人たちには一見理解しがたい行為であるが、終わってしまえば実にドルセイらしい行為であった。やはりここでも、「ドルセイの決断」で感じたとおり、ドルセイならではの倫理観が明確にされる。
最小の人的被害で最大の効果を上げること。
死よりもドルセイ人としての名誉を守ること。
その「人的被害」や「死」とは、自分・自軍・守るべき対象、敵・敵軍のすべてに対して冷徹に適用される。言ってしまえば、闘わずして勝つのがもっとも望ましく、一方で、名誉のためなら大量虐殺も厭わない。
繰り返しこの主題が書かれている。チャイルド・サイクルシリーズの中心的作品である「ドルセイ!」では読み取りにくいこの部分こそ、ディクスンが書きたかったことではないのだろうか。
そして、それは、冷戦下におけるアメリカの価値観と実によくマッチしていたのではないだろうか。
(2022.3.27)