THE ETERNAL FLAME
グレッグ・イーガン
2012
「エターナル・フレイム」は直交三部作の第3作目である。現実のこの宇宙とは違う物理法則の宇宙での物語。
数学と物理学の探究の物語であると同時に、実は性と出産、子育てをめぐる現代の寓話でもある。前作でもこの後半のテーマが物語の柱にあったが、本作はさらにつきつめて考える材料を与えてくれる。
前作「クロックワーク・ロケット」は、近代に入ったばかりの惑星ズーグマは過去になかった天体現象が頻発しはじめる。その研究をするうちに、それが惑星ズーグマを近々破壊してしまう天体現象であることに気がつき、対策のために世代船「孤絶」を打ち上げるまでの物語。直交宇宙では現実の宇宙と異なり逆ウラシマ効果が成り立っていたのだ。世代船「孤絶」の中で経過する時間は対静止系のズークマより「早く」過ぎるため「孤絶」の中で研究を進めズークマ破滅から人々を救う対処方法を発見してから帰還することで、出発よりわずか数年で未来の「孤絶」がズークマを救うというプロジェクトである。ちなみに、現実宇宙におけるウラシマ効果とは静止系に対して相対論的加速をしている対象の時間が遅くなることから、現実世界で「孤絶」のようなことをすると地球に戻ったとき浦島太郎のように超未来になってしまう。その逆の効果が得られるのだ。
解説によると、前作「クロックワーク・ロケット」は現実世界の特殊相対性理論に相当するものを発見し、本作「エターナル・フレイム」は量子力学相当、次作「アロウズ・オブ・タイム」は一般相対性理論相当を発見し、物語が進むことになっているそうである。
本作「エターナル・フレイム」で物語はいよいよ「世代船SF」らしくなっていく。世代船といえばハインラインの「宇宙の孤児」(1963)である。「宇宙の孤児」は目的を見失って荒れてしまった宇宙船の物語であるが、本作はみな母星を助けるという目的は見失っていない。秩序だった世界ではあったが世代船物語は制約条件の物語であり、「孤絶」では恒常的な食糧不足とそれに伴う産児制限が女性たちを苦しめていた。
直交世界でズーグマの人々は、双と呼ばれる男女一組の対になって出生する。自然状態では2つの対、すなわち4人が生まれるが、母体が飢餓状態にあると1つの双、すなわち2人しか生まれない。周辺環境に合わせたしくみとして組み上がっているのである。「孤絶」では女性たちは常に飢餓状態を選択せざるを得ない状況に置かれていた。男たちはふつうに食事をしているのに、である。
生物学者のカルロは双のカルラの飢えの苦しみを見ていた。それもあり飢餓状態を作らなくても何らかの方法で1組の双しか生まれないようにする方法はないかと「孤絶」内の動物を使って研究を続けていた。
一方、カルラは女性として自らに課している慢性的な飢餓状態に苦しみながら、物理学者として物質のふるまいについての研究を続けてきた。そして学生のひとりパトリシアのアイディアで物質とエネルギーにまつわる新たな発見の時を迎えようとしていた。
同じ頃、天体学者のタマラは「孤絶」に近づく「物体」を発見する。それは直交物質でできた小天体であり、将来の資源・エネルギー不足が想定される「孤絶」にとっては可能性の塊でもあった。しかし、放っておけば「物体」は「孤絶」との最接近後に離れ去ってしまう。タマラを中心に「物体」を「孤絶」の位置から離れないよう軌道修正させるプロジェクトがスタートした。
タマラには、畑で農業をする双のタマロと父のエルミニオがいた。彼らはタマラが「孤絶」を一時的にも離れ危険な探査を行なうことに危惧する。もしタマラが死んでしまったら、タマロは代理双を見つけない限り子どもを持つことができなくなるからだ。エルミニオはタマラの決断を自分勝手だと非難する。そして、犯罪が行なわれる。
男性であり生物学者のカルロ、女性であり物理学者であるカルラ、女性であり天体学者であるタマラ、この3人を軸に、「孤絶」の政治を行なう評議会、保守的な考え方の人たち、革新的な考え方の人たちなど様々な人物が「孤絶」という限られた不安定でかつ目的をもつ空間の中でそれぞれにぎりぎりの選択をとっていくのである。
直交宇宙のズーグマの人々の生態は現実世界の地球の人類とは大きく異なる。目もあり口もあり脳もあるが、手足は意志の力で複数発生させることができるし、呼吸の必要もない。ただ、熱を放散させる必要性が高いので、運動の抑制や休息時に身体を冷やすための工夫も必要である。たとえば宇宙空間にいくと直交宇宙では真空で身体の熱を廃熱できないので冷却空気をまとうための冷却袋に身体を入れる必要があったりする。
もっとも異なるのが繁殖方法である。繁殖方法が異なれば、親子関係、夫婦(?)関係なども当然異なってくる。しかし、それ以外は人類と同じような思考、行動をとるように描かれている。きわだって異なる部分こそ、作家がテーマを込めた部分である。だから、この部分は物語を展開させるために奇をてらう部分ではなく、作家が思いを込めた本質の部分であるのだ。
直交三部作を読む上で、現代物理学や高等数学の知識があるにこしたことはない。知識が深ければ深いほど、理解があればあるほど、直交三部作は「別の物理法則をあてはめたら宇宙は、生物は、どのようなふるまいをするのか」について楽しむことができるだろう。しかし、それらを知らなくても、理解できなくても、直交三部作をおもしろく読むことはできる。そのためには、分からないところは字面だけをおいかけて読み飛ばすという独特の読書方法が必要なのだが、それさえ身についていれば大丈夫。イーガンもそんな読者を見捨ててはいない。
最初に書いたとおり、直交三部作は、少なくとも第二部まで読んだところでは、数学的物理学的実験の物語であると同時に、産む性としての女性がそれ故に社会から差別的に扱われ続け、その自立を妨げられ続けているという現実の社会に対する物語でもある。そこのところは前者が難しすぎて分からなくても読めるはずなので、それを中心に読んでもまったく問題ないし、読む価値がある。
かくいう私も相対性理論や量子論、宇宙論などは表面的になぞり、一般化された知識を持つ程度に過ぎず、たとえばディラックの波動方程式などはまったくといっていいほど分からない。放送大学の物理学の講義とか見ていても、数式が繰り込まれたりして変化していく過程をぼんやりと分からないままに見ているのがオチであり、つまり現実世界の数式と直交世界の数式のどっちがどっちかも分からないありさまである。
それでも、その直交宇宙の物理法則については言葉で書かれていることをすなおに受け取り、カルラたちがわくわくしながら試行錯誤して発見することには半分以上目をつぶって読み進めれば、そこに描かれる物語は実におもしろかったりするのだ。
本書のおもしろさを半分しか分かっていなくても、他の多くのハードSFの何倍かはおもしろいのだから全部理解したらものすごくおもしろいのだ。だから恐れずに読み進めるとよいと思う。
(2022.5.8)