未踏の蒼穹

ECHOES OF AN ALIEN SKY

ジェイムズ・P・ホーガン
2007

 私はこの読書感想とも評論とも日誌ともつかない文章作成をはじめるにあたって決めたことがひとつだけある。どんな著作も執筆者がいて、編集者がいて、それを商業販売にまでこぎつけさせた経営者やさまざまな人がいる。とくに訳書となると、著作を見いだし、訳したいと願い、一連の出版にかかわるあれこれを二重以上に繰り広げなければならない。だから決してマイナス評価だけにはせず、原則としてプラス評価で書こう、と。
 どうしてもマイナス評価しかできないのならば、書かなければいいだけだから、と。

 ホーガンは好きな作家だった。高校生の頃、「創世記機械」や「星を継ぐもの」が邦訳され、科学の力を信じるまっすぐな作品を繰り返し読んだものである。
 しかし徐々にその熱は薄れ、「量子宇宙干渉機」(1997)を最後に読まなくなっていた。 
 話は変わるが、先日、数年ぶりに渋谷の駅に降りた。パンデミックの規制が3年ぶりに解除され、その間にも再開発が進む渋谷はすっかり様変わりしていて、夕闇の頃の町は若い人たちと大音量の宣伝文句に溢れていた。人と待ち合わせしていたので、時間つぶしに歩き回ろうとしたがその喧噪に耐えかねて、繁華街の入口に残る書店に入り、息をすることにした。小さな書店に置いてある文庫本は限られている。まして、ハヤカワや創元のSFなどは人気のある十数冊が置かれていたが、それさえ奇跡に感じる。その並んでいる作品の中で所持していなくて読めそうな本が本書「未踏の蒼穹」である。2010年に亡くなったホーガンの最晩年の作品である。
 釣り書きには「『星を継ぐもの』の興奮再び! ハードSFの巨匠が放つ傑作」とある。そんなことはないと分かっていたが、何も買わずに店を出るのも申し訳なく、本書を手に取って読むことにした。そういういきさつがある。

 どうしてホーガンを避けるようになったのだろうか。
 読んでみて、そして、解説で「違和感」の正体をあらためて知って、少しだけ悲しくなった。ホーガンはあるひとつの疑似科学の虜になっていたのである。そして、その疑似科学の説を自明のものとして作品を構築していたのだ。
 考えてみて欲しい、SFには様々な種類がある。その中には現在の科学や技術では解明または達成されていないものをその世界に外挿することがある。その外挿した内容により人間や社会がどう変わり、人がどう動くのか、物語が生まれる。それこそSFの醍醐味と言える。読者はその知識レベルに応じて外挿された理論や思想、技術と現実世界の違いを認識し、作品を楽しむ。作品に刺激を受けて新たな理論や仮説、あるいは技術が現実になることもあるが、あくまでも作品はフィクションである。
 SFの中には、ファンタジーと融合したものもある。神様が出てきたり、宗教的世界観に基づいて書かれたものだ。しかしそれも、真実・事実ではなく、モチーフであり、作品のフィクション性は書き手、読み手とも十分に理解している。
 気をつけなければならないのは、世の中にはフィクションあるいは仮説をあたかも事実・真実かのように論を構築し、一定の支持を集める者が後を絶たない。人間は目の前のできごとに惑わされる生きものなのだ。
 だからSFの書き手・読み手はそのような疑似科学からは距離を置きたがる。
 もちろん、疑似科学を基にして組み立てられたSF小説もまた、作品であり、フィクションとして読む限りにおいては問題ないであろう。しかし、疑似科学は現実の人間社会をたぶらかし、混乱させる。非常に悪質なものなのである。
 ホーガンは、その疑似科学に心を寄せ、晩年にはそれを踏まえて数作の作品を残している。本書「未踏の蒼穹」もまたそのひとつにある。
 正直言って気持ち悪い。

 さて、簡単にストーリーを。遠き未来の金星では人類の末裔である金星人が独自の科学を発展させていた。そして、太陽系探査の過程で地球(テラ)に到達し、そこに金星人とそっくりのテラ人がかつて存在し、相互に殺し合ったあげく絶滅していたことを知る。古い遺跡を発掘しながらテラ人の思考、文化、社会、科学技術を調べる金星人たち。同時に、地球が金星よりも住みやすい惑星であることも実感し、基地の拡大も進んでいた。
 その調査チームの中での人間関係と、金星の中で地球の思想に触れる中で拡大してきた「進歩派」と呼ばれる人々の動きをめぐり小さな事件と大きな事件が起きる。そして…。

 ということで、滅ぶ前の我々読者は早いうちに金星人=地球人の末裔であることを前提にするのである。その点では、数万年前の人間を月で発見したその謎を探る「星を継ぐもの」とパターンは似ているが、あちらはSFミステリぐらいの謎解きだったが、こちらはSFミステリとまでは言えない。そういう点でも、釣り書きほどわくわくする物語でもない。

 しかも、疑似科学臭。
 同じサイエンス・フィクションでも、これはいただけない。
 まず最初に巻末の大野万紀氏の解説を読んでから読むかどうか決めていただき、読む際にはあくまでもフィクションであることを忘れずにいたい。