竜の歌

DRAGONSONG

アン・マキャフリイ
1976

 パーンの竜騎士シリーズの邦訳4作目である。邦訳1~3作を「アダルト版」、4~6作を「ジュブナイル版」として紹介しているが、思うに1~3作は「竜騎士編」4~6作は「竪琴師」編と呼んでもいいのではなかろうか。
 発表順では「竜の戦士」(1968)「竜の探索」(1971)「竜の歌」(1976)「竜の歌い手」(1977)「白い竜」(1978)「竜の太鼓」(1979)となっているのでこの順でも良かったのではないかとも思うが、特に不都合はない。
 さて、本作の主人公は半円海ノ城砦の太守の娘メノリである。すでに「白い竜」を読んでいると分かるのだが、メノリが「竪琴師」になるまでの、そして、他に例のない7匹の火蜥蜴と感合するに至るまでの物語である。
 厳しい漁労を生業とする海の城砦でメノリは老竪琴師ペティロンにその才能を見いだされ、歌、楽器、さらには作詞作曲の才を磨いていたが、女性が竪琴師になった例は過去になく、また、あくまでも老いたペティロンの補佐として暗黙の了解を得ていただけだったメノリはペティロンの死と、新たな竪琴師エルギオンの派遣によって、太守たる両親から音楽に携わること、歌うこと、まして自分で歌を作り歌うことを厳禁され、本来行なうべき下働きに出され、エルギオンの目から遠ざけられていた。一方のエルギオンはペティロンが生前送って来た若き才能への手紙やその歌の才能により竪琴師ノ長ロビントン師から、その者を見いだし、才を確認し、竪琴師となるべく連れてくるように厳命を受けていた。
 メノリは自らの心の底から湧き出る音楽への渇望と、それを禁じられている絶望の中で苦悩の日々を送っているのであった…。

 還暦も近くなると、こういう物語に弱いのだ。子供や成長期の青年が家族や社会の軋轢の中で苦悩し、逃げる場もなく追い詰められる物語は読むのが辛い。たとえその先に希望の未来が開けるとしても、だ。しかし小説だから自分のペースで読める。1章読んでは、主人公の苦悩に身もだえし、本を閉じたりできる。これが映像だと最後まで受動的に見ることになるのだが、小説は頭の中での言葉の再構成なのだから、ゆっくり構成し、心を落ち着けてから先に行けるのだ。そこが、小説という芸術形態の良いところだ。
 ということで、じっくりじっくりメノリの苦悩とつきあうことになる。大丈夫、結論は分かっている。それまでの様々なメノリの思考、行動とゆっくり付き合うのだ。
 がんばれ、メノリ。
 幸いなことに、この時代、惑星パーンの人々にとって忘れられていた糸胞の恐怖と、それを防ぐ竜騎士への尊敬が復活し、数世代にわたって固定化してきた社会構造が急速に変わろうとしていた。そして、その変化が騒乱につながるのを避けさせ、過去に失われたものを再発見し、新たなよりよき未来のために力を注ごうとする人物がいた。それが竪琴師ノ長ロビントンである。ただ歌や音楽を奏でるだけでない、情報と文化と文明を収拾し、保存し、伝達し、コミュニケーションを活発にする、それこそが「竪琴師ノ工舎」の仕事だと心得、変化の時を上手に導こうとしていたのである。そのロビントンが探していた鍵のひとりが、辺境の半円海ノ城砦に生まれた才だったのである。
 そう、メノリに道は開かれているのだ。
 そして彼女は動くことを恐れない、待つだけではないシンデレラなのである。
 いいねえ、いい物語だ。
 いい歌は、生活の中から生まれてくるのだ。