竜の貴婦人

MORETA:DRAGONLADY OF PERN

アン・マキャフリイ
1983

 出版された頃に読んで以来の再読である。
 強調したいことがある。
 2019年終わり頃からはじまった新型コロナウイルス感染症パンデミックという21世紀最初の世界的パンデミックを経験したあとだからこそ、この物語は読まれるべき作品となった。パンデミックを知っているからこそ、身につまされ、心をえぐる物語となる。
 そう、この物語はパンデミックに直面したときの人々の物語なのだ。

 「竜の貴婦人」は、パーンの竜騎士の外伝2として邦訳出版された作品である。
 本編シリーズは人類がパーンとよぶ惑星に入植した後、想定していなかった惑星規模の災害である「糸胞降り」に直面し、パーンの生物から人類が生み出した「竜」とともに生き残るための戦いを繰り広げる物語である。長い年月のうちに「糸胞降り」によって入植者らは人類の科学文明を忘れ、独自の農耕・狩猟型の文明・文化、社会形態をゆっくりと発展させていた。電気や機械動力などの技術はほぼ失われた、地球でいえば中世の終わり、産業革命前の手工業時代のレベルであり、領主(太守)と領民、竜騎士と各ギルド(職能集団)を中心にした社会である。
 歴史や記録、文化の継承、社会規範や生存のための知識などは「竪琴師」による音楽と歌の形で人々に伝えられてきた。
 本編は人類がパーンに入植して2400年ほど経った第9次(糸胞)接近期を舞台として繰り広げられる。

 そのなかでパーンの人々に愛され続け、竜騎士の献身と誇り、パーンに生きる人間としての理想の姿として歌われ続けてきたのが「モレタの飛翔」の物語である。本編でもいくたびか「モレタの飛翔」については語られているが、その具体的内容は記されていなかった。
 実はモレタの飛翔は、本編から1000年ほど昔、第六次接近期の終わり頃の物語であったのだ。そして本書「竜の貴婦人」はこのモレタの物語である。
 本編を読んでいれば分かることだが、モレタは女王竜オルリスと感合したフォート大巌洞の洞母であり、それはつまりすべての竜騎士のリーダーたるフォート大巌洞の統領の妻という重要な職責者であることを意味する。そして、本編を読んでいるならば自明のことだが、モレタの飛翔とは、モレタがパーンの竜騎士と人々を守るために力尽きるまでパーン中を飛び回った、その勇気と献身を讃える歌なのである。
 実際には何が起きたのか、モレタとはどのような人であったのか、伝承となっているモレタの飛翔の物語が、「今」のできごととして語られる。
 ここで忘れてはならないのが、パーン人はそもそも高度な科学文明を持つ人類の末裔であり、比較的早くにパーンの実情に合わせた社会形成が行なわれたということである。だから本編と1000年も遡るモレタの世界であるが、この1000年に本質的な変化は起きていない。

 物語は、「糸胞降り」の期間が終わりを迎える直前の時期、領主の代替わりを祝うかのような大きな祭りの準備にはじまる。ふたつの大きなイベントがパーンの別々の場所で同時期に開催され、パーン中が沸き立っていた。人々は祭りやイベントの会場に遠くからも長い時間をかけて集まってきた。竜騎士もまた糸胞降りの間を狙って行なわれるイベントを楽しみにしていた。しかし、この2カ所への人の集まりは、ちょうどその時にはじまった人と地球由来の動物のどちらにも死をもたらす感染症の流行、パンデミックのきっかけとなってしまう。突然始まり、次々と倒れていく人々、それをなんとか治療しようと取り組む療法師たちとまだ元気な人々。竜騎士さえも倒れていく。そうしている間にも、次の糸胞ふりははじまる。わが身可愛さにとらわれ太守としての役目さえ放棄する男もいれば、パーン全体に心を配り、目の前の人たちを助けるために力を尽くす人々もいる。
 このパンデミックと糸胞降りという未曾有の危機を前に、重要な立場を理解して適切なふるまいを見せる表のモレタと、自分の気持ちに素直に従うひとりの女性としてのモレタの姿が描かれる。それは歌に歌われるようにただただ崇高な天使のような人物ではない。悩み、苦しみ、喜び、愛し、愛されるひとりの人間の姿である。

 さて、「パーンの竜騎士」の本編3部作は1968年から1978年に発表されている。第一作「竜の戦士」は1968年なのだ。作家のアン・マキャフリイといえば、強く、自立心があり、恋愛にも積極的な女性を主人公として描くことでも知られているが、この第1作ではどちらかといえば、女性は活躍するけれど「受け身」であったり「シンデレラ」であったりする。これは想像だが、マキャフリイは後にこのあたりの設定には腹を立てているのではなかろうか。とはいえ自分が書いた作品であり、多くのファンもいる。そうそう設定を大きく変えることはできない。できないけれど、その枠組みの中で、今日的な価値観をもって女性像を描き直すことはできるはずだし、それをやれるのはマキャフリイ自身だと考えたのではなかろうか。
 モレタの女性像や人間観、恋愛観、行動には初期作品にはなかった点が多く、それを作品世界の枠組みにはめこみ、教条的ではないファンタジーとしても感動させる物語に仕立て上げるのがマキャフリイの力である。
 パンデミックや大災害の時、人はどう動くのか、動けば良いのか。考えさせられる作品であった。

 そして、本作で何度かさりげなく登場してくる「ネリルカ」は、さらにマキャフリイが一歩も二歩も踏み込んでくる。合わせて必ず読みたい作品だ。