旋舞の千年都市

THE DERVISH HOUSE

イアン・マクドナルド
2010

 2014年に東京創元社から創元海外SF叢書の第一段として翻訳出版されたのが本書「旋舞の千年都市」である。2027年のトルコ、イスタンブールを舞台に月曜日から金曜日までの5日間の濃密な群像劇が展開する。長年の懸案課題図書をようやく手にする。
 イアン・マクドナルド。「火星夜想曲」(1988)も手強いSFだった。たくさんの登場人物、しつこいばかりの細部の描写、途中なんども投げ出しそうになるが読み終わって後悔のない旅路。2025年最初の1冊にふさわしい重厚な作品である。
 まず本書が上梓されたのが2010年というのがポイント。本書の中で2027年にはトルコはEUに正式加盟したばかりとなっている。2025年の現実では、実際のところ2027年にトルコがEUに正式加盟する可能性はまったくない。一時は実現可能性さえ危ぶまれたが、ロシアのウクライナ侵攻などの情勢を受けてトルコとEUの関係改善に向けた政治的模索は続いている。しかし、2000年代後半は、いずれトルコはEUに正式加盟できるのではないかと楽観視する見方もあった。作者のイアン・マクドナルドは少しだけ好意的な舞台設定をしたと言える。また2010年当時はまだスマートフォンが広がりをみせはじめた時期である。本書に出てくるジェプテップ(携帯)の機能は2025年のスマホよりもより高性能であり、ナノテクやバイオテクに関しては本書の2027年は現実よりはるかに先を行っている。
 まあ現実との比較はその程度にしておこう。

 舞台はイスタンブールである。実は1990年、すなわち35年ほど前、私はトルコを旅していて、玄関口であるイスタンブールには行き帰り合わせて2週刊ほど滞在した経験がある。主に滞在したのは当時バックパッカーが泊まる安宿の多いヨーロッパサイドの旧市街側であったが、イスタンブールの新市街側やアジア側にも行く機会を得た。それからトルコはいくつかの政治的危機やはげしい経済的動乱、そして発展をするのだが、イスタンブールという都市の歴史的積み重ねは35年ぐらいではびくりとも揺るがない。だから登場する町や歴史的建造物などには記憶にあるものもあって、読んでいて私の記憶の奥底をかき回されるような気持ちにもなった。もちろん、実際にイスタンブールを訪れたことがなくても、本書を読む価値はまったく減じることがない。
 人類世界の中心のひとつ、それがイスタンブールであることは間違いないからである。ちなみに、トルコの首都はアジア側のアンカラである。イスタンブールは首都ではない。それでもイスタンブールはアジアとヨーロッパの結節点にあり、イスラム教とキリスト教に代表される文明の衝突と混交の地であり、人と物と文化の交差点である。
 主要登場人物は6人。このうち5人は旧市街の古い古い修道僧(ダルヴィーシュ)の館を改装したアパートの住人である。
 ある事件をきっかけに宗教的存在を見ることができるようになった若い男性。心臓に障害を持ち「大きな音」を避けるために常に耳栓をつけて暮らす利発な9歳の少年。その少年にナノテクの玩具のプログラム方法を教えたりしているギリシャ系の引退した経済学者の老人。田舎町から親戚を頼って出てきてマーケティングの学校を卒業し就職活動をしている若い女性。ダルヴィーシュの館の一角で歴史的宗教的美術品の画廊を営むやり手の女性。その夫は天然ガス商社で先物トレーダーとして成り上がろうとしている野心家。
 この6人のそれぞれが、それぞれの場所でさまざまな人と絡み合いながら物語は進展していく。濃密な5日間。
 最初に起きるのは自爆テロ。トラム(路面交通機関)で自爆した女以外に誰も死ななかったが、月曜日の朝、それは激しい交通渋滞を引き起こしただけだった。9歳の少年はその事件現場にナノテクのおもちゃを自分の「目」として送り出し、そこに「少年探偵」として「事件」を見いだしてしまう。画廊の女の元には、はるか昔から伝承として伝わる「蜜人」を見つけて欲しいとの依頼が舞い込み。その夫は自分の仕事を舞台にした大がかりな詐欺の計画を実行しようとタイミングを計っている。老経済学者の元にはトルコ政府のの秘密組織から研究会への参加を求められる。若い女性は親類の男とクルド人の研究者が開発したバイオコンピューターテクノロジーのスタートアップ企業を手伝うことになり。金が絡み、政治が絡み、欲が絡み、テクノロジーが絡み、宗教が絡み、そしてイスタンブールという千年の都市の歴史がまとわりついてくる。
 6つの視点の物語はまるでイスタンブールの歴史のようにやがて少しずつ交錯し、金曜日を迎えることになる。
 SFとしての「外挿」は近未来の予測としてさほど突飛なものはない。近未来を舞台にした普通のエンターテイメント小説と言ってもいいかもしれない。それほど新しいテクノロジーをうまく物語に取り入れてあるからだ。だからSFとしては特筆すべきものではないかもしれないが、過去と未来が交差するなんとも言いがたいあじわい、趣がある。
 イアン・マクドナルド、読後に後悔なし。

 追記 主人公の老経済学者はギリシャ系である。トルコのギリシャ系の人々は、かつて非イスラムの少数民族として迫害を受け、多くの人たちがギリシャに逃れ、ギリシャでも苦難の暮らしを続けていた。トルコに残っても少数のコミュニティとなり差別的な待遇となっていたのだ。また、登場人物の一人にクルド人の研究者が登場するが、トルコ人の若い女性がクルド人が研究者であることに初対面でとまどうシーンもある。
 トルコは本来多民族他宗教の混交する地であり、第一次世界大戦後ケマル・アタチュルクによってトルコ共和国は独立し、イスラム教主体だがアラビア語表記を廃し、アルファベット表記に変え、政教分離をはかるなど西洋との接点を築こうとしたのだ。しかし、内実はイスラム原理主義と世俗主義の間に揺れ動き続けているし、ギリシャ系への迫害、トルコ、イラン、イラクなどの山岳地帯に生きるクルド人に対する迫害など、多くの問題を抱えている。
 本書では、さりげなくそういう差別の視点と、そうではなく人と人との関係性の構築という当然のあり方を作品に織り込んである。
 トルコのことだけではない、日本でもそういう差別は多い。心して読んでおきたい。