地を継ぐ者

地を継ぐ者
INHERIT THE EARTH
ブライアン・ステイブルフォード
1998
 22世紀の終わり、一度荒廃した都市と地球は再生の道を歩んでいた。気候変動によって傷んだ自然環境はナノテクや技術開発、さらには、疾病と紛争によって人口が減ったこともあり、回復に向かっていた。
 ナノテクと生化学技術、遺伝子工学技術によって不死ではなくとも不老超長寿となったごくわずかの高齢者たちが企業、金融を支配していたが、それ故に、後の世代から恨まれており、彼らはエリミネーターと呼ばれる非組織の殺人者たちに常に狙われていた。
 若い世代は先行世代に実質的に支配され、経済的な成功は難しく、長寿は保証されていても、仕事も生きがいもないという状況にあった。エリミネーターは、そんな世代間の固定化しかねない不安と不満から生まれたのである。
 若い世代の中には、自分達が怪我や病気に対して強いこと、簡単には死なないことから、ナイフなどを使った個人対戦をヴァーチャルリアリティの映像作品として公開し、スリルと興奮を売っているストリートファイターと呼ばれる者もいた。世界は徐々に仮想化もしている。
 さかのぼって22世紀初頭、世界は激動していた。2度に渡る経済格差と世代間の深刻な対立による紛争は地球上のあらゆる都市に荒廃をもたらした。とくに、人類が妊娠不能に陥ったウイルスは絶望と混乱をもたらし、そしてそこに新たな希望と秩序が訪れる。人工的な出産技術体制と不老不死への技術革新が鍵であった。それはしかし新たな世代間対立を生むだけであったのだ。
 地を継ぐ者とは、地球という「地」を誰が継承するかということである。企業と個人、先行世代とやがて不老不死が確立するであろうという現行世代の対立の狭間で物語は進む。
 主人公は人工出産技術を確立し、50年ほど前に死んだコンラッド・ヘリアーの息子で、その継承者になることを嫌い、その息子であることを隠して生きる仮想環境デザイナーをしているデーモン・ハート。先行世代と現行世代の狭間で、支配する者と支配される者の狭間にいる元ストリートファイターである。
 物語は、彼の育ての親たちのひとりがエリミネーターに誘拐されたことではじまる。デーモンは父の同僚たちが複数の養父母となって父の後継者となるべく育てられていたのだが、彼自身はそれを嫌ったのだ。しかし、養父母であることは変わりない。そして、エリミネーターは死んでいるはずのコンラッド・ヘリアーは生きていると主張をはじめた。デーモンは、この誘拐事件とその背後にある動機に向かって動き出さざるを得なくなる。それは「地を継ぐ者」=未来を選択するできごとになっていく。
 不老不死というのは、人類が物語を手にしたはじめころからのひとつの大きなテーマであって、老いて死ぬ運命にある者と不死者の関係性の物語は繰り返し生み出されてきた。個人的には先日ようやく読み終わった「光の王」(ロジャー・ゼラズニイ 1967)は不死・転生者の物語であり、たとえば「メトセラの子ら」(ロバート・A・ハインライン 1941,1958)、なんてのもある。20世紀終わり頃からのSFになるとすぐに仮想化されちゃうので不死は当たり前になっていて、時折実体化するのもいいね、なんて感じだ。そんななかにあって、本書では、不老不死社会になる直前のもやもやを描いた作品で、とても興味深い。
 21世紀初頭のいまだと、そういう社会を大きく変える技術的な転換点はまだまだで、通信技術、エネルギー技術、移動体・交通技術、生化学、生物科学など、ちょっと先は見えているけれど、具体化するにはどれもまだ足りないという時代である。そんな時代だからこそ、SFには変わりゆく世界の光と影を指し示す力があり、新たな物語が生まれる力を持つと思う。
 COVID-19パンデミックの世界にあって、人々の行動変容とともに、良き世界に変わる前に、世界が引きこもることで、人々の流れが滞り、目が外に向かなくなり、独裁や支配を求める者たちが息を吹き返しつつある。
 何か大きな世界的イベントが発生すれば、それに伴い、たいてい悪い方向に世界は進むが、その先には必ず希望があり、しかしそれは自らの手で切り開いていくしかない。
 物語はそういうことを繰り返し繰り返し伝えてゆく。SFの面白さであり使命でもある。
2021.01

光の王

光の王
LOAD OF LIGHT
ロジャー・ゼラズニイ
1967
 長編「わが名はコンラッド」はたしか高校生の頃に読んで、神話な要素などがまったく分からず、きつねにつままれたような気がする。ロジャー・ゼラズニイは、読むのに深めの教養が試されるので悩ましいSF作家だ。
 話は変わるが、小学生の頃、夏目漱石の「吾輩は猫である」に手を出して、出だしでなんとなく詰まって以来、高校、大学、社会人となんども手を出しては読み進められなかったが、その理由はいまだもってわからないし、いまだもって読み終わっていない。そういう物語もあれば、読まなければ、読みたいと思いつつ実のところ読んでいない作品もある。
 本書「光の王」は私にとっての長年の課題作だった。
 たいていの翻訳SFは好き嫌いせずに読んできたつもりだが、この「光の王」は「猫」以上に私の心のとげとなっていた作品である。読みたい、読むと面白いに違いない、でもなんとなく手が出ない。話題にもなっているし、ヒューゴー賞もとっている。なぜだ、なぜ手が出ないのか。
 「光の王」翻訳書が出たのが1985年。大学生の頃で、一番本を読んでいた時期なのに。
 その後、2005年に新装版として再版されたものをようやく古書として入手。
 2021年の最初に読む本とした。
 
 出版されてから半世紀以上経つのだが、作品に古さはまったくない。
 ファンタジー要素満載のSFだからだ。
 舞台は人類が植民した異星。超能力にも似た属性を持ち、転生をくり返すことで不死となっている初期入植者たちは神々となり天上世界で暮らし、科学技術の独占と能力によって地上の人たちを導いていた。見方によっては支配していた。この独占に対して、広く技術の公開、神々の失墜を模索し、神々と対立してきたのが主人公のサム、シッダールタとも、仏陀とも呼ばれた初期入植者のひとりである。
 現住生命体、市井の人々、神々が、魔法と科学の融合した世界で広げる神々同士、神々と悪魔、ゾンビ、人間の闘い。その中で語られる人生、生命、死、愛、裏切り、自然観、社会観…。これを何らかの啓示的な作品として読むのもいいが、実はそうではない。
 壮大なヒロイックファンタジーなのだ。
 いまならば映像化するといいだろう。そういう作品。
 たくさんの言葉のひとつひとつが、映像としてよみがえる。そういう作品。
 だから、苦労して読み終わったのだが、もう一度読んでみたい。でも、ちょっとだけ疲れるのは映像化が当たり前になってしまった現代に生きているからだろうか。
 楽してはいけない。想像力は、自分で鍛えなければ。
 言葉で想起される想像力を鍛えるのには最適の1冊である。
 もう一度、読もう。
2021.1.3

フラッシュフォワード

フラッシュフォワード
FLASH FORWARD
ロバート・J・ソウヤー
1999
 2009年4月21日CERNヨーロッパ素粒子物理学研究所では、LHC大型ハドロン衝突型加速器の実験を行った。ヒッグス粒子を検出するための最初の実験である。
 しかし、その実験は意外なできごとを地球規模で引き起こした。実験開始から終了までの2分強の間、人類の意識すべてが2030年10月23日に飛んだのである。2030年10月23日に起きていた人はその行動を客体として体験した。寝ていた人は変な夢を見る者もいた。そして、その時死んでいた人たちは…。
 その2~3分の間、人々の意識は飛んでいるのだから、立っていた人、行動していた人の多くに影響があった。車を運転していた人は衝突し、飛行機も墜落、階段から落ちて死ぬ人、さまざまである。もちろん、未来を見知ったことで、絶望した人、希望に満ちた人もいる。
 なぜそんなことが起きたのか?
 未来は決定しているのか? それとも変えられるのか?
 このふたつの問いが、全編のテーマである。
 物語は、CERNの実験主任であったロイド・シムコーと、若い共同研究者のテオ・プロコビデス、それに、ロイドの婚約者でエンジニアのミチコ・コムラのそれぞれの思いや行動とともに描かれる。予測し得なかった世界的惨事への責任、愛する者を失ったことによる悲嘆、未来を知ったことによる「あらかじめ予定された裏切り」、「死への恐怖と回避への希求」。などなど。
 話としては面白いのだけれど、1999年に描く2009年の世界描写には苦笑するしかない。しかたないのだ。さらに、2030年までの過程の予測については、まあ笑い話である。近未来の予測は誰にもできないのだから。とくに、技術、経済とか政治は。ソウヤーの予測、楽しいので笑いながら読んでみて。
 たとえば、ドナルド・トランプは、自分の遺体を安置するために砂漠にピラミッドを建設中だとか、アメリカがメートル法に変わるとか、ビル・ゲイツが全財産を失うとか、そして、スター・ウォーズ9部作がまだ完成していない、とか。
 ちなみに、現実世界ではLHCが最初に稼働したのは2008年9月10日であり、これについてはなかなかの予測だが、現実がちょっとだけ頑張っていたようだ。2013年には、ヒッグス粒子の存在が確定している。
 ところで、あなたは未来を知りたいですか?
 私は知りたくないです。まあ、もうすぐ56歳にもなりますので、明日死ぬことだってあるという気持ちになっていますが、毎日、その日その日が楽しみですので。
2020年12月

ターミナル・エクスペリメント

ターミナル・エクスペリメント
THE TERMINAL EXPERIMENT
ロバート・J・ソウヤー
1995
 90年代後半から00年代にかけて、ロバート・J・ソウヤーブームがあった(らしい)。次々と翻訳され、ヒットしてきた。だが、なぜか1冊も読んだことがなかった。手が伸びなかったのである。タイミングを逸した。なんとなく避けてきた。基本的に地球の現代もので、ひとつの科学的外挿による事件を描いた作品で、そのあたりが手を出さなかった理由なのだろうか。2020年になって、ようやく手を伸ばしてみた。最初の1冊が「ターミナル・エクスペリメント」。「死」がテーマのサスペンス作品である。AIに脳の全シナプス反応をコピーし、人格をダウンロードすることができる技術が開発された。2011年12月、「死」に対して研究と派生技術製品の開発で著名なピーター・ボブスンは死にかけているサンドラ・ファイロ警部に、ある告白と提案をしていた。ピーターの3体の仮想人格のうちのひとりがサンドラを含む複数の殺人・殺人未遂事件の犯人だと。そして、この事件を解決するためにサンドラの仮想人格化とピーターの持つすべてのデータへのアクセスを保証すると。サンドラは1995年、ピーターの大学時代から、ピーターの足取りを追い、そして、犯人を捜し、追い詰めようとする。
 という物語である。
 現代物のやっかいなところは、1995年に2011年、すなわち15年後を舞台にしている作品を、2020年、さらに約10年後に読んでいるわけで、科学技術のズレにとまどってしまう。
 もちろん、作家が導入したAIや「死」にまつわる派生技術とその影響というのは、そもそもSF的要素であり、そこでの社会的混乱や技術についてはさほど違和感はない。
 しかし、社会的背景、たとえば国家や社会的風習、政治状況、インターネットや電子ブックの普及具合などについては、予測とのズレが大きいと、苦笑になってしまう。
 そうなると、こういう作品の寿命はどうしても短くなってしまう。
 古くさい設定でも、長い寿命の作品はあるのだが、そういう意味では、ソウヤーは流行作家なのだろう。時代にフィットした作品を読者にしっかりと提供できるのだ。
2020.12

星海への跳躍

星海への跳躍
LIFE LINE
ケヴィン・J・アンダースン&ダグ・ビースン
1990
 少し先の未来。でも、古いSFなのである。本書の中では米中対立が柱だし、中国はさほどの影響力を持っていない。
 舞台は地球-月圏。ラグランジュ4のアギナルドはアメリカと交渉の末勝ち取ったフィリピンのコロニー。ラグランジュ5のオービテク1はアメリカの科学産業コロニーだが、実質は民間企業カーティス・ブラームス社の支配下にある。同じくラグランジュ5にはソ連のキバーリチチも存在している。月面にはアメリカを中心に建設されたクラヴィウス基地。そこには、アメリカ政府の指示で、ラグランジュ4に建設中だったオービテク2の建設スタッフも降りてきている。舞台はこのアギナルド、オービテク1、キバーリチチとクラヴィウス基地で、そこにいる人たち。なぜならば、地球上で核戦争が勃発したからである。かれら数少ない宇宙の人たちは、その光を宙から見て、そして、彼らが宇宙に取り残されたことを知った。それぞれのコロニーや基地は地球からの支援を前提に運営されており、自給できる体制にはなかったからである。地球の通信網は、核戦争に伴う電磁パルスによって壊滅しており、地球の状況を把握することは困難。地球では人類は滅ぶことはないとしても、文明再興まではそれなりの長い時間がかかることになるだろう。つまり、人類の希望は、食料も水も移動手段も限られたこの4つの施設の人たちにかかってしまったのである。
 何人かの個性的な登場人物が出てくるが主人公と言えるのは、フィリピンコロニーのラミス・パレラ青年であろう。フィリピンの天才生物学者のルイス・サンドバール博士の下で研究者として働いていた両親を事故で失い、地上に残ることを選択した兄と別れてアギナルドの大統領の養子としてコロニーで成長する青年である。コロニー独特の重力環境を活かして夜な夜な生身で空を飛び、その身軽さを鍛えていた青年は、この危機の前に、その能力を買われてアギナルドとオービテク1をつなぐ突飛もない旅に出ることになる。アギナルドでは、サンドバール博士が以前から家畜飼料用にものすごい速度で成長する光合成菌体を開発しており、それを人間の食用とすることで生存を確保できる見通しが立っており、その菌体を他のコロニーに運び、人類の生存可能性を高めようとしているのであった。
 本書の見所はふたつ。ひとつは、この4つの人類拠点に起きる様々な政治的、組織的危機。誇張された中にも、なるほどな、と思わせる典型的なリーダーシップや危機対応が描かれる。
 もうひとつは、移動手段。これは根幹に関わってくるので書かないが、遺伝子組み換え技術、新素材開発技術、伝統的なロケット工学、などなど、ありそうでなさそうな、できてそうでできなさそうなアイディアが込められている。
 全体の鍵を握るフィリピンのコロニーは、民主的な大統領の下で牧歌的民主主義により平和に危機への対応がとられているが、商業主義・大企業的管理思想のアメリカ、かつてのソ連そのものの管理社会、科学者と技術者の関係がおもしろいNASAを彷彿とさせる月基地。それぞれのキーマンの個人的葛藤。
 さて、人類は生き残れるのか?
 それにしても、本書が発表されたのは1990年。ソヴィエト連邦が崩壊したのは1991年12月。しかし、1989年からのソ連周縁国(共産国)や東ドイツの崩壊とドイツ統一の流れの中でも小説世界は当時の冷戦終盤が基礎になっている。未来予測はかくのごとく難しいのである。
(2020.12)