フラッシュフォワード

フラッシュフォワード
FLASH FORWARD
ロバート・J・ソウヤー
1999
 2009年4月21日CERNヨーロッパ素粒子物理学研究所では、LHC大型ハドロン衝突型加速器の実験を行った。ヒッグス粒子を検出するための最初の実験である。
 しかし、その実験は意外なできごとを地球規模で引き起こした。実験開始から終了までの2分強の間、人類の意識すべてが2030年10月23日に飛んだのである。2030年10月23日に起きていた人はその行動を客体として体験した。寝ていた人は変な夢を見る者もいた。そして、その時死んでいた人たちは…。
 その2~3分の間、人々の意識は飛んでいるのだから、立っていた人、行動していた人の多くに影響があった。車を運転していた人は衝突し、飛行機も墜落、階段から落ちて死ぬ人、さまざまである。もちろん、未来を見知ったことで、絶望した人、希望に満ちた人もいる。
 なぜそんなことが起きたのか?
 未来は決定しているのか? それとも変えられるのか?
 このふたつの問いが、全編のテーマである。
 物語は、CERNの実験主任であったロイド・シムコーと、若い共同研究者のテオ・プロコビデス、それに、ロイドの婚約者でエンジニアのミチコ・コムラのそれぞれの思いや行動とともに描かれる。予測し得なかった世界的惨事への責任、愛する者を失ったことによる悲嘆、未来を知ったことによる「あらかじめ予定された裏切り」、「死への恐怖と回避への希求」。などなど。
 話としては面白いのだけれど、1999年に描く2009年の世界描写には苦笑するしかない。しかたないのだ。さらに、2030年までの過程の予測については、まあ笑い話である。近未来の予測は誰にもできないのだから。とくに、技術、経済とか政治は。ソウヤーの予測、楽しいので笑いながら読んでみて。
 たとえば、ドナルド・トランプは、自分の遺体を安置するために砂漠にピラミッドを建設中だとか、アメリカがメートル法に変わるとか、ビル・ゲイツが全財産を失うとか、そして、スター・ウォーズ9部作がまだ完成していない、とか。
 ちなみに、現実世界ではLHCが最初に稼働したのは2008年9月10日であり、これについてはなかなかの予測だが、現実がちょっとだけ頑張っていたようだ。2013年には、ヒッグス粒子の存在が確定している。
 ところで、あなたは未来を知りたいですか?
 私は知りたくないです。まあ、もうすぐ56歳にもなりますので、明日死ぬことだってあるという気持ちになっていますが、毎日、その日その日が楽しみですので。
2020年12月

ターミナル・エクスペリメント

ターミナル・エクスペリメント
THE TERMINAL EXPERIMENT
ロバート・J・ソウヤー
1995
 90年代後半から00年代にかけて、ロバート・J・ソウヤーブームがあった(らしい)。次々と翻訳され、ヒットしてきた。だが、なぜか1冊も読んだことがなかった。手が伸びなかったのである。タイミングを逸した。なんとなく避けてきた。基本的に地球の現代もので、ひとつの科学的外挿による事件を描いた作品で、そのあたりが手を出さなかった理由なのだろうか。2020年になって、ようやく手を伸ばしてみた。最初の1冊が「ターミナル・エクスペリメント」。「死」がテーマのサスペンス作品である。AIに脳の全シナプス反応をコピーし、人格をダウンロードすることができる技術が開発された。2011年12月、「死」に対して研究と派生技術製品の開発で著名なピーター・ボブスンは死にかけているサンドラ・ファイロ警部に、ある告白と提案をしていた。ピーターの3体の仮想人格のうちのひとりがサンドラを含む複数の殺人・殺人未遂事件の犯人だと。そして、この事件を解決するためにサンドラの仮想人格化とピーターの持つすべてのデータへのアクセスを保証すると。サンドラは1995年、ピーターの大学時代から、ピーターの足取りを追い、そして、犯人を捜し、追い詰めようとする。
 という物語である。
 現代物のやっかいなところは、1995年に2011年、すなわち15年後を舞台にしている作品を、2020年、さらに約10年後に読んでいるわけで、科学技術のズレにとまどってしまう。
 もちろん、作家が導入したAIや「死」にまつわる派生技術とその影響というのは、そもそもSF的要素であり、そこでの社会的混乱や技術についてはさほど違和感はない。
 しかし、社会的背景、たとえば国家や社会的風習、政治状況、インターネットや電子ブックの普及具合などについては、予測とのズレが大きいと、苦笑になってしまう。
 そうなると、こういう作品の寿命はどうしても短くなってしまう。
 古くさい設定でも、長い寿命の作品はあるのだが、そういう意味では、ソウヤーは流行作家なのだろう。時代にフィットした作品を読者にしっかりと提供できるのだ。
2020.12

星海への跳躍

星海への跳躍
LIFE LINE
ケヴィン・J・アンダースン&ダグ・ビースン
1990
 少し先の未来。でも、古いSFなのである。本書の中では米中対立が柱だし、中国はさほどの影響力を持っていない。
 舞台は地球-月圏。ラグランジュ4のアギナルドはアメリカと交渉の末勝ち取ったフィリピンのコロニー。ラグランジュ5のオービテク1はアメリカの科学産業コロニーだが、実質は民間企業カーティス・ブラームス社の支配下にある。同じくラグランジュ5にはソ連のキバーリチチも存在している。月面にはアメリカを中心に建設されたクラヴィウス基地。そこには、アメリカ政府の指示で、ラグランジュ4に建設中だったオービテク2の建設スタッフも降りてきている。舞台はこのアギナルド、オービテク1、キバーリチチとクラヴィウス基地で、そこにいる人たち。なぜならば、地球上で核戦争が勃発したからである。かれら数少ない宇宙の人たちは、その光を宙から見て、そして、彼らが宇宙に取り残されたことを知った。それぞれのコロニーや基地は地球からの支援を前提に運営されており、自給できる体制にはなかったからである。地球の通信網は、核戦争に伴う電磁パルスによって壊滅しており、地球の状況を把握することは困難。地球では人類は滅ぶことはないとしても、文明再興まではそれなりの長い時間がかかることになるだろう。つまり、人類の希望は、食料も水も移動手段も限られたこの4つの施設の人たちにかかってしまったのである。
 何人かの個性的な登場人物が出てくるが主人公と言えるのは、フィリピンコロニーのラミス・パレラ青年であろう。フィリピンの天才生物学者のルイス・サンドバール博士の下で研究者として働いていた両親を事故で失い、地上に残ることを選択した兄と別れてアギナルドの大統領の養子としてコロニーで成長する青年である。コロニー独特の重力環境を活かして夜な夜な生身で空を飛び、その身軽さを鍛えていた青年は、この危機の前に、その能力を買われてアギナルドとオービテク1をつなぐ突飛もない旅に出ることになる。アギナルドでは、サンドバール博士が以前から家畜飼料用にものすごい速度で成長する光合成菌体を開発しており、それを人間の食用とすることで生存を確保できる見通しが立っており、その菌体を他のコロニーに運び、人類の生存可能性を高めようとしているのであった。
 本書の見所はふたつ。ひとつは、この4つの人類拠点に起きる様々な政治的、組織的危機。誇張された中にも、なるほどな、と思わせる典型的なリーダーシップや危機対応が描かれる。
 もうひとつは、移動手段。これは根幹に関わってくるので書かないが、遺伝子組み換え技術、新素材開発技術、伝統的なロケット工学、などなど、ありそうでなさそうな、できてそうでできなさそうなアイディアが込められている。
 全体の鍵を握るフィリピンのコロニーは、民主的な大統領の下で牧歌的民主主義により平和に危機への対応がとられているが、商業主義・大企業的管理思想のアメリカ、かつてのソ連そのものの管理社会、科学者と技術者の関係がおもしろいNASAを彷彿とさせる月基地。それぞれのキーマンの個人的葛藤。
 さて、人類は生き残れるのか?
 それにしても、本書が発表されたのは1990年。ソヴィエト連邦が崩壊したのは1991年12月。しかし、1989年からのソ連周縁国(共産国)や東ドイツの崩壊とドイツ統一の流れの中でも小説世界は当時の冷戦終盤が基礎になっている。未来予測はかくのごとく難しいのである。
(2020.12)

女総督コーデリア

女総督コーデリア
GENTLEMAN JOLE AND THE RED QUEEN
ロイス・マクマスター・ビジョルド
2015
 ヴォルコシガン・シリーズは、主人公のマイルズの父アラール・ヴォルコシガンの死によってマイルズの旅が終わり、幕を閉じた。しかし、その世界は続く。このシリーズの前日譚「名誉のかけら」でアラールと惑星ベータのコーデリア・ネイスミスが出会い、様々な事件を経て結婚する。そして、マイルズが生まれ、物語がはじまる。そして、アラールが死に、コーデリアの物語となる。コーデリアはアラールの後を継いで惑星セルギアール総督となっていた。科学技術の進んでいる長命なコーデリアと、早逝したアラールの間には、もうひとり、影のパートナーが居た。現在、セルギアールの艦隊提督としてコーデリアを宇宙から支えるオリバー・ベリン・ジョール49歳。長年アラールの下で働き、同時に恋人でもあった。そのことは、コーデリアをはじめ、ごく限られた人たちにしか知られていない。アラールとコーデリアとオリバー。3人の関係は安定したものだったが、コーデリアとオリバーが性的な関係を持つことはほとんどなかった。アラールの死はふたりの関係を変えるものになる。3年の間、コーデリアとオリバーの関係は、惑星を統治するためのオフィシャルなものだけだったが、3年が過ぎ、ふたりの間に新たな関わりの兆しが訪れる。
 時代が変わってきたね。いいことだ。ビジョルドはSFやファンタジーの中で生き方の多様性、異質な者の出会いと共感、理解について書いてきたが、ここではオリバーを出すことで、性の多様性を受け入れることについて自然に書いている。2000年代に入って、性別と関係なく人称が同じである世界を書く作品とか、恋愛関係において同性、異性について特別な書き分けをしない自然な作品が増えてきた。本作もまた、アラールとオリバーの同性同士の関係、アラールとコーデリアの関係、コーデリアとオリバーの関係が物語に深みを与え、暖かくほっこりとした物語に仕立てている。上手だ。
 筋立て自体はSFというより設定された世界観での大人の恋愛小説といった感じ。
 いいね。
(2020.11.14)

物体E

物体E
STEAL THE STARS
ナット・キャシディ&マック・ロジャーズ
2017
 アメリカの小説世界は独特だ。オーディオブックが普及している。車社会のアメリカで長距離ドライブのお供に聞く連続ドラマ。ポッドキャストドラマを平行してノベライズしたのがこの作品である。ドラマなので配役があり、本作のひとりナット・キャシディは出演もしている。マック・ロジャーズがポッドキャスト版の脚本作家で、全体の骨子やストーリーはロジャーズがつくっている。それをノベライズするのがキャシディの仕事である。メディアミックス作品である。
 そのことを踏まえての話だが、SFとしては単純明快。恋愛小説、サスペンス小説でもある。落ちてきた宇宙船に生きているのか死んでいるのか分からない宇宙人ひとり。元米軍基地の敷地が広大な民間研究所になり、別の一般的な科学研究をしていることになっているが、地域住民は雇われず、働いている人たちはそっけない。周りは不審に思っているが、かつて基地だったこともあって、そういう関係には慣れている。
 新自由主義が進んだ世界、現実にもイラン戦争のころからアメリカは準軍事会社に戦争をビジネスとして委託していった。それが行き着いたのが本作の世界。多くの基地も民間に払い下げられ、多くのミッションが民間に払い下げられ、そして行き場を失った軍人は、民間で働くことになる。本作ではシエラ・コーポレーションが、この基地クイル・マリン研究所も、宇宙人も、宇宙船も所有している。そしてそこで働く「民間人」たちも。主人公のダクは研究所の警備主任。元米軍のレンジャーである。副官はパティ。ふたりの女性がこの難しい仕事をこなしていた。守秘、機密保全、安全確保。徹底した管理体制は、警備、研究職員を含め全員に「交際禁止」条項をサインさせれらている。広いとはいえ限られた人間関係には友情や愛情が訪れることもある。しかし、それは禁止されていた。
 ある日、新人のマット・セーレムが警備班に配属される。もちろん、彼もまた優秀な元軍人であった。若く、ハンサムで、ひとあたりがよく、匂いもいい。タグはマットに惹かれ、マットはタグに惹かれた。禁止された遊びは、遊びでは済まなくなる。ふたりはそれを知っていたし、副官のパティもそれを知っていた。最初から幸せになることが許されない恋愛。もし発覚すれば仕事を失うだけではない、シエラが所有する施設に入れられ、その後は、使い捨ての仕事で一生を終わることになる。さて、どうする。
 80年代から、新自由主義的な世界はSFでよく描かれている。政府に代わって企業が人々を支配する世界。企業に所属することで仕事、暮らし、インフラが保障される世界。企業国家などなど。それは2000年代に入ると、現実の世界でも笑いごとではなくなってきた。だから、ポッドキャストで、耳で聞くだけでも、SFと意識しなくても、ふつうに理解できる世界になった。それが、いまだ。
(2020.11.8)