楽園の崩壊

楽園の崩壊
THE OUTCASTS OF HEAVEN BELT
ジョーン・D・ヴィンジ
1978
「琥珀のひとみ」は読んだ記憶がある。サンリオ文庫からでている「楽園の崩壊」をようやく手に取った。もちろん古書としてである。作者のジョーン・D・ヴィンジは女性で、ヴァーナー・ヴィンジが男性。ふたりの関係は、ジョーンの最初の夫がヴァーナーということ。ヴァーナーの作品はたくさん読んでいて、とても気に入っている。調べてみたところ、ジョーンは「雪の女王」で1981年のヒューゴー賞をとっているし、「琥珀のひとみ」でも中編賞をとっている。また、スターウォーズ、砂の惑星、マッドマックスなど、映画のストーリーブックの著者として80年代アメリカではよく知られていたようである。
 本書は、どことなくアーシュラ・K・ル・グィンのアンシブル世界にも似ているが、それよりももうすこし悲惨な植民星系を舞台にしている。アンシブルも超光速もない、化学ロケット、核ロケット、そして、ラムスクープ船の世界。
 モーニングサイドと呼ばれる不安定な星系の住民たちの危機を救うため、なけなしの資源をつかいラムスクープ船をしたて3光年先のヘブン・ベルトを目指して長い旅を続けてきた宇宙船レンジャー号は、星系内に入るなり、化学ロケット船からの攻撃を受け死傷者を出す。
 ヘブン・ベルトは内戦により崩壊した首都惑星ランシングと、わずかな資源をもつグランド・ハーモニー(ディスカス)空域、わずかにもそれなりの社会を維持しているデマルキー空域の各小惑星が分裂し、協調を失ったまま、滅びの道をたどっていたのであった。
 レンジャー号の船長ベサ・トルギュッセンは、ランシングから資源を求めて飛び立った回収船ランシング04号の二人の若者がレンジャー号に侵入したことから、この二人を通じて、星系の実態を知り、モーニングサイドに戻るための燃料となる水素を求めて一計を講じる。しかし、ディスカス、デマルキーの人々は、星系外から訪れたラムスクープ船とその技術こそ星系再生の鍵を握るとして、レンジャー号の確保に乗り出す。
 これだけ書くと、スペースオペラっぽいけれど、全然違う。書かれているのは、モーニングサイドの人々が生み出した社会と思想、生き方、そして、崩壊したヘブン・ベルトのそれぞれの状況に置かれた人々が生み出した社会と思想、生き方のぶつかり合いであり、それを象徴する個人を通じて考える、個人とは、社会とは、家族とは、という問いであった。
 あと書きの解説にもあるが、当時は、ル・グィンをはじめとして女性SF作家が次々と頭角を現し、フェミニズム運動ともつながる思想や社会をSFの舞台で提起し、実験していた時代である。本作品も、時代背景を考えると、女性船長をはじめ、女性の立場や役割がとても重要な要素をしめている。それだけではなく、経済、社会、家族について、いくつもの提示がある。しかし、どの社会についても、それぞれに外部から見れば問題があり、正しい社会などないのではないかという疑問も、その底には見える。それでも、個人としてできること、正しいこと、やり遂げたいことを人は求め、動くのだ。
 そこには、殺すより殺さない方向で、壊すより、生み出す方向で人は動くことができるという希望も込められているように思う。
 旧世界=旧地球を離れ、厳しい外宇宙の世界で人類が生きる上で獲得しなければならない思想や社会はどのようなものだろう。そういう問いは、70年代も、2020年代も、そう大きくは変わらないのだ。
(2020.02)

プロテウスの啓示

プロテウスの啓示
SIGHT OF PROTEUS
チャールズ・シェフィールド
1978
 初読。好きな作家のひとり。しっかりした科学知識をふまえ、荒唐無稽大言壮語の物語をみせる。科学者であり、SF作家であり、どうやら面倒見もよくて、社交的であったようである。
 本書は最初期の長編である。舞台は22世紀の地球。人口は140億人を超え、世界は経済格差に分断されている。宇宙開発は太陽系に広がり、そして人間は整態技術により自由にその姿を変えられるようになっていた。
 考えてみたらいい。お金と形態を昆虫の変態のように変異させるためのしばらくの日数さえあれば、想像のつく限りの、デザインされた形態になれるのだ。えら呼吸で海を泳ぐことも、深海に潜ることも、滑空することも、チーターのように走ることも、象のように巨大になることも、そして、宇宙空間で活動しやすい形態をとることも。藤子不二雄の「怪物くん」やカフカの「変身」どころの騒ぎではない。
 もちろん、俳優や歌手などと同じような姿形になることもできるだろう。ゴジラやウルトラマン、仮面ライダー、ウルヴァリン、ポムポムプリン、どんな姿でも、生物体であればその形をとることができる。物理法則と生物のしくみによるものなら付加機能もつけられる。蜘蛛の糸、毒蛇の毒、サイの角、カニのハサミ。
 私は想像力に欠けた人間だから、せいぜい光合成のできる皮膚か髪の毛があればいいと思う。そういえば、「光合成だけで生きていきたい」という歌がラジオから流れていた。そんな21世紀に生きている。でも、光合成だけで生きるのはいやだなあ。動物としておいしいものをたくさん食べたい。食べても食べても太らないというのも困る。食べたら食べたなりの因果応報。カロリーを消費しなければ太るのだ。ああ、一度、さらさらヘアになってみるのもよいかもしれない。あと、視力がよくなるといいな。でも、これ以上目が大きくなるのは困る。目が大きいのだ、私は。別にコンプレックスでもないし、たいして形態を変えたいとも思わない。
 でも、「プロテウスの啓示」の世界での人は違う。
 合法、違法を問わず形態を変えたがる人たちが多いのだ。
 ところで、作品の内容とも関わるのだが、たとえばカメレオンやある種のタコのように体表の色を自在にコントロールする形態が身につくとしよう。それが液晶画面のように複数の色素の集合体になっていて、ものすごい勢いで各単位を自由に変えることができ、それを認識する目(受容体)をもっていたら、高速で情報を送受信できるのではないだろうか。2台の大画面液晶モニターがあって、合い向かいになっていて、ミリ秒単位で相互に情報をやりとりするのだ。そうなると、言葉よりもはるかに密度の濃い情報のやりとりができる。しかし、そんなに情報を短い時間で大量にやりとりする必然性ってなんだろう。
 と、インターネットを使い、動画やデータのやりとりを高速で行いながら考え込むのであった。
 本書「プロテウスの啓示」の話に戻ろう。といっても、書けることはあまりない。
 ジョン・ラーセンとベイ・ウルフは違法な整態技術適用者を探して摘発する管理局捜査官。あるとき、ラーセンは学生からIDの存在しない移植用肝臓を発見したとの情報を得る。この時代、人にはすべてIDがつけられており、そのデータがその人がどんな整態をしていても個人を特定できるようになっているのだ。この無IDへの操作は、コンピュータからのデータ抹消などどこかで妨害されていた。それを追いかけるうちに、事件に気がつくふたり。
 そして7年が過ぎ、新たな事件が発生する。小惑星帯から地球にリゾートに来た3人が海の底で、これまでに見られたことのない整態の変態過程で死んだままの状態で発見された。この事件は太陽系を巻き込んだ大きな事件に発展する。
 それは、太陽系の…。
 これ以上は書けない。
 とにかく、1部、2部、3部と、話が飛躍していき、最初のストーリーとつながっていてもかけ離れた時空の地平のかなたへ読者を連れて行ってしまう。
 初期の作品からこうなのだ、シェフィールドは。
 小道具は多少古くなっているが、いまでも十分読み応えのある作品であった。
(2020.02)

六つの航跡

六つの航跡
SIX WAKES
ムア・ラファティ
2017
 地球初の恒星間移民船ドルミーレ号。2000人の冷凍者、500人格分のデータを乗せて地球を離れ、航海を続けていた。船を操るのは6人のクローン乗務員とAI・イアン。
 2282年、クローンに関する国際条約が成立し、クローンは一度に1体のみ、人格データは最新のもののみ、特別な条件を除き、人格データの変更、DNA改変したクローン体の作成は禁止された。
 2493年、6人のクローン体は、ドルミーレ号の中で船に乗る直前の記憶までを持って目が覚めた。あたりは血まみれ、彼らの死体が重力を失った船内で浮かんでいた。AIも自我を失い、記録と記憶を失っている。最悪の目覚め、最悪の事態。
 彼ら6人のクローンは、地球で犯罪を犯し、移民船が無事に目的地に到着すればその罪は免罪されるという条件で乗り込んでいた。誰がどんな犯罪を犯したかも明らかにされない。そして誰かが殺し、破壊工作をしない限り、現状は生まれない。
 誰もお互いを信じられない。犯人は?動機は?手段は?
 クローンと人格のデータ化技術により、事実上の不死を得た人類。
 初期には、クローン体のDNAハック、人格データのハックなどが合法、違法問わずに行われていた。その技術はクローンに関する条約ができたことで地下に潜り、そして、その技術は、技術そのものの力で途絶えることなく継承されることになった。
 6人の過去が数百年に渡って少しずつ明らかにされる。
 それは…。
 密室殺人ミステリ? いや、ミステリとは言えないかも。SFミステリは、最初に科学技術的な背景が明らかにならないと読者を置いてきぼりにしてしまう。だから、謎解きが少しずつ進むと、推理小説にはならない。でも、ミステリ感は満載。密室ドラマでもある。
 映画と言うより、舞台向きなのかもしれない。
 クローン&人格継承技術がもたらす闇について、なるほどと思える作品でもある。
 別に恒星間移民船である必要はないのだけれど、密室にするにはこれが一番。
 かのハインラインも使っていたしね。
(2020.1)

ダークネット・ダイヴ

ダークネット・ダイヴ
MOMENTUM
サチ・ロイド
2011
 気候変動と石油エネルギー危機は人類に深刻な格差をもたらした。格差は拡大し、拡大した格差は固定化し、さらに拡大する。市民権は限られた者の特権を意味し、多くの者たちは非市民のアウトサイダーとして生きるほかなかった。存在そのものが非合法とされ、政府の都合で犯罪者扱いされ、軍警察に有無を言わせず撃たれ、投獄され、拷問も受けた。
 エネルギー不足が慢性化したロンドンでは停電が頻発。新規の原発建設に取りかかったが、予定通りにいかず、予算は超過し、遅れ、ようやく試運転にこぎついたものの動かず。それは環境保護過激派のしわざとされ、アウトサイダーの何人かが狩られていく。
 市民の少年たちはネットワークゲームに没入するが、ハンター・ナッシュはそれでは物足りなかった。だから、アウトサイダーのような身体を使ったジャンプができるようになりたいと身体を動かし、スリルを求めた。アウトサイダーの若者は、肉体を鍛え、ビルを飛び、壁を登るスキルを培っている。それにあこがれたのだ。
 しかし、ハンターはスラムの縁で、アウトサイダーの少年が軍警察に殺されるのを見てしまった。尋問もなにもなく、市民以外には「まず撃ってから」がまかり通っているのだ。
 ハンターは別の日に、川で小舟が橋のたもとに集まっているのを見かける。アウトサイダーたちの葬送である。そこに軍警察が。巻き込まれまいとハンターは橋の上部に登って惨劇を見ている。そこに、追われたアウトサイダーの少女ウーマが現れる。ウーマはハンターに世界中のアウトサイダーのネットワークすべての鍵を握るアイテムを隠すよう頼み、軍警察に捕まってしまう。市民のハンターはすぐに釈放された。
 ウーマとハンターは再開し、鍵の謎解きがはじまる。
 ガール・ミート・ボーイの物語。
 マリー・ルーがアメリカの分断と専制を描いたボーイ・ミーツ・ガールSF「レジェンド」に近いかも。発表時期も同じ2011年だし。そう考えると2000年代後半には、2010年代からはじまったばかりの20年代を予感するSFが多数出ていたのだろう。
 気候変動、エネルギー危機、分断と格差、ネット社会とポピュリズム政治、独裁・専制化。
 2020年は、イランとアメリカの緊張で幕を開けたが、アメリカは「レジェンド」そっくりになりつつあるし、EUからの離脱を決めたイギリスの格差社会は限界に近づいている。
 気候変動は止められないが、長期的視野でゆるめることはできる。
 エネルギー危機も止められないが、自然エネルギー技術の発展とエネルギー分配方法の改善で中長期の対処はできる。食糧危機、水争奪もまた、それらの科学技術と社会成長によって対応可能であろう。
 しかし、そのためには、ポピュリズムに流されず、専制や独裁を防ぎ、個が自立しながら社会を安定させる必要がある。分断と格差を減らしていく必要がある。
 本書に書かれているアウトサイダーが求める世界は、そういう社会なのだけれど、ストーリーはちょっと古いゲームっぽいところがある。わかりやすくてよろしいが。
(2020.1)

スターシップ・イレヴン

スターシップ・イレヴン
Linesman
S・K・ダンストール
2015
人類は数百年前にラインと出会った。ライン、それはエネルギーであり、物質でもあり、人類の行動範囲を格段に広げるものであった。ラインを使い、ボイド空間に出入りすることで光速を超えて船を飛ばすことができるようになった。ラインは10のレベルがあり、人類はラインを1~10まで区分した。数字が小さいラインはクルーの健康維持や軽作業、通信などを担い、数字が大きくなるほどに船のエンジンやボイド空間への入出などの重要な役割を担う。そして、ラインの調子を整えることができるのは、ラインズマンと呼ばれる天性の才能と訓練を受け、ラインズマン・ギルドで承認されたものだけ。彼らは、カルテル・マスターに雇用され、宇宙船のメンテナンスを引き受ける。そのなかでもレベル10のラインズマンはライン10を認識し、その修正ができる少数の特別な存在。
主人公のイアン・ランバートは、ライン10のひとりで、そして、現在のところ宇宙船のメンテナンスを請け負えるただひとりの男である。なぜなら他の高位のラインズマンはすべて「合流点」とよばれる未知の存在の調査にでかけているからだ。イアンも合流点の調査を望んでいたが、カルテル・マスターが許さず、ただひとり、さまざまな宇宙船のラインを、ラインと関わるエンジンや機器類を治していた。カルテル・マスターがイアンを合流点に行かせないのは、彼がいれば儲かるからだが、イアンは他のラインズマンとは大きく異なる点があった。彼は歌うことでラインの「気持ち」を知り、そして「治す」のだ。他のラインズマンはラインに感情や思考があるとは思っていないし、ラインは曲がったところをまっすぐにするのが仕事だと思っている。
ランシア帝国のスラムで育ったイアンは、多くのラインズマンとは異なり、自己流でラインズマンとしての能力を育て、後に訓練されたときも自己流を変えることができなかった。
そのイアンに転機が訪れる。ランシア帝国の若き皇女ミシェルが、イアンを事実上買い取り、そして、ミシェルや緊張関係にある同盟星の政界、軍関係者とともに特殊な任務につくことになったのだ。それは、人類の3勢力の戦争を防ぎ、そして、合流点など、人類が理解できない存在のなぞを解き明かすためのミッションは、それまで孤独だったイアンを変え、人類を変えるのであった。
物語としては、人類の戦争ものだ。実際の戦闘もある。宇宙船はボイド空間を使って他の星系に移動できるが、同時に2隻が同じエリアに出現すると星系規模での空間破壊が起きてしまう。そのためゲート管理が必要になった世界、というのが条件。つまり、一度に1隻ずつ。星系・惑星の連合や同盟といった政治・軍レベルの緊張と陰謀と争い、経済的紛争、ラインズマンをめぐる、あるいはラインズマン同士の勢力争い。そういうものが、そういうものと無関係でいたいイアンを取り巻く。
積極的意思を持たない主人公イアンを中心に敵も味方も濃い人たちが動き回って結果的にイアンとラインをめぐる大騒動につながるという物語で、焦点を絞り切れていない気もするが、「ライン・ユニバース」がシリーズ化されれば、人類間、人類と未知の種族(エイリアン)、ラインという存在の真実など、広げようはいくらでもあると思う。
長ーい開幕ストーリーを読んでいた気分。
(2020.1.5)