女の国の門

女の国の門
THE GATE TO WOMEN’SCOUNTRY
シェリ・S・テッパー
1988
 ずいぶん前に古本屋で入手していた未読の一冊。ようやく読了。読み始めると一気だった。「大戦争後」の世界もの。かつて核戦争が起き、人類はほぼ滅亡状態になった。いまも核の影響は各地に残っている。そんな世界。小さな社会集団が独自の文化を形成し、生存を保っている。スタヴィアの世界は、塀に囲まれた女の国。男は5歳になると塀の外にある男達の兵舎に送られ、15歳になると一度だけ女の国で母親と面会し、選択を告げることになる。外で男として、兵士として生きるか、臆病者として女の国に戻り、そこでどこか別の女の国の従僕として生きるかという選択である。そして、男達が女達と直接交わるのは謝肉祭の二週間。その間に男達と女達は出会い、恋に落ち、あるいは、ゲームとしてお互いを知る。
 女の国はいくつかあって、それぞれに同じような社会システムとなっている。
 もちろん、規範にはずれた人たちはいて、ならずものの小集団、ジプシーとよばれる小集団、旅芸人一座などがそれにあたる。
 スタヴィアの生涯を通じて、女の国とは、兵士と従僕とは、その社会のしくみ、危機、人類を生き残らせるための思想が語られる。
 話としてはおもしろいが、今日的にはちょっとつらい作品だ。ひとつは、性的マイノリティを完全に否定している。そもそも男女二項対立の社会構造になっている。
 その背景には、男達は戦い、社会を急速に変え、戦いを拡大し、自分と他者と世界を壊す存在であり、女達は産み、協調し、世界を守り、育てる存在として位置付いている。従僕とは男性の攻撃性を、非理性性を排除した望ましい姿であり、独立はしていても女達に従属する存在として描かれる。
 1988年発表という時期を考えても、少々古くさい。
 あとがき解説によると、作者は1929年生まれ。つまり発表当時59歳。50歳代後半に執筆した作品である。第2次世界大戦が、アメリカによる広島、長崎への原爆投下をもって終結したのが16歳の時。その後、10代の終わりから20代の前半をソ連との冷戦、核開発、核実験、そして朝鮮戦争、ベトナム戦争を見てきている。そのことを考えると、ずっとたまりにたまっていた怒りが作品になったとも言える。
 物語そのものは、スタヴィアという女の国でも傑出した人物の波乱に満ちた半生を軸に、作者が構築した世界を鮮やかに描き出している点でおもしろい。
 冒険あり、陰謀あり、恋愛あり、親子間の複雑な関係ありで、決して教条主義的な作品ではない。
 性的マイノリティのことなど、そういう古い社会思想があることを理解した上で、当時議論を呼んだ作品を読むのも大切な読書体験だと思う。
(2019.9.30)

凍りついた空 エウロパ2113

凍りついた空 エウロパ2113
THE FROZEN SKY
ジェフ・カールソン
2012
 なんだい、おもしろいじゃないか。22世紀、人類はいまだ混沌としている。太陽系でもっとも生命の可能性が高い木星の衛星エウロパは、人類の重水素供給源として自動採掘マシンが氷の星を掘り、内惑星に向けて打ち出している。しかし、南極エリアの氷の下を探索していたマシンが微生物を発見、その調査のために国際科学探査チームが地球から派遣される。3人の科学者のリーダーはアレクシス・フォンデラハ、通称ボニー。物語は、彼女がたったひとりでエウロパに閉じ込められ、未知の攻撃に負傷し、次の攻撃に備えるところから始まる。すでに仲間のふたりは死に、そのうち一人を、宇宙服のスーツAIを利用して、仮想人格(ゴースト)としてよみがえらせ、機能制限をおこない制御しながら支援にあたらせていた。しかし、ゴーストは自らの人格の統合とスーツAIののっとりを望んでいる。負傷した肉体はマイクロマシンである程度までなら修復できる。もっとひどい怪我ならばクローン移植による再生も可能だ。しかし、死んでしまってはなすすべもない。
 エウロパには、彼らの科学チームの他にも、あとから高速船で追いかけてきたEU、ブラジル、中国のチームがそれぞれの思惑の中でエウロパに降り立っている。
 先行したボニーのチームがみつけたのは、サンフィッシュと名付けられた、おそらくは知能をもつ生命体と、それらがつくる構造、そして氷の壁に記された文字のような文様。
 知性生命体なのか、それとも単なる反応としての構造や装飾なのか、そして、コミュニケーションはとれるのか、重水素採掘利権や、地球における政治状況を反映しながら、エウロパの世界の小さな人間達の物語が進む。
 釣書で「未知の生物に襲撃される。さらには探査の方針をめぐり深刻な対立も発生」などと書かれているから、「エイリアンかよ!」っとつっこんでちょっと触手を伸ばすのが遅れてしまった。エウロパの自然環境、そこで発生しうる生態系と知性、地球・人類の進化の歴史と、他の惑星・衛星での進化の「時間軸のずれ」問題、AI、仮想人格、先端医療、クローン培養、国際政治、エネルギーなどいろんな要素を詰め込んだ良質なエンターテイメント作品であった。
 ちょっと「中性子星」(ロバート・L・フォワード)を思い出してみたり。
 続編もあるらしい。楽しみ。
(2019.9.7)

迷宮の天使

迷宮の天使
AFTERPARTY
ダリル・グレゴリイ
2014
 認知学、大脳生理学などが導き出したひとつの答えである「自由意志という幻想」を正面から捉え、脳の配線を変えてしまう新薬「ヌミナス」と、ドラッグなどの化学物質をレシピと原料から簡単に合成できる「ケムジェットプリンタ」を外挿することで近未来の、かなりハードボイルドなSFが誕生した。
 アメリカSFと「神様」というのは結構微妙な関係にあって、とくにキリスト教に造詣が深くないと、何を書いてあるのか分からないこともある。「アークエンジェル・プロトコル」(ライダ・モアハウス、2001)をハヤカワ文庫SFで読んだとき、「天使」が当たり前に出てきたのを頭で受け入れられず読み終えてから「天使」が本当に「天使」だったことに思い至ったということをやらかした。なので、わりと冒頭から「天使」などが頭の中にいて、見えて、アドバイスや赦しを与えてくれるストーリーにちょっと怯えたのは事実。しかし、設定がしっかりしていて、ヌミナスにより脳の配線が変わり、認識としての神を持つことになった人間がいるという導入があったので、その線に沿って読み進めれば、アクションあり、謎解きあり、近未来SF的ガジェットありのとても読みやすい話であった。
 しかも、「自意識」とか、「認知」など様々な脳をめぐる科学的問題がストーリーに織り込まれ、SFとしての完成度も高い。
 ストーリーは、主人公の神経科学者ライダ・ローズが、精神科病棟に長期入院しているところからはじまる。最近、病棟に入れられた少女が自殺した。その少女の症状が、10年前に自分たちが開発し、封印した新薬「ヌミナス」によるものではないかと疑いを持ったライダは、病棟で恋人となったオリー(オリビア)の「自主退所」を支援し、「ヌミナス」の出所を突き止め、流通を止めるために動き出した。「ヌミナス」は大量摂取すると不可逆的に脳の配線を変え、服用者に「神」を顕在化させるのである。ライダは10年前に、開発チームを組んでいたメンバー達と新薬開発成功のパーティで大量摂取し、ひとりの天使を幻覚として持つことになっていた。
 はたして5人の新薬開発関係者のうち誰が関わっているのか。ひとりはライダの婚姻パートナーで実質的な開発者だがすでに死亡している。ひとりは刑務所におり、ひとりは大富豪となって姿を隠している、そしてもうひとりは製薬メーカーの管理職。それにライダである。
 ライダは、ドラッグの製造売人、大麻の元締め、タバコの密輸業者などをたぐりながら、住んでいるカナダからアメリカへと向かう。偏執症を持つオリーの調査能力とライダの人脈は、ふたりを真実に向けた旅に向かわせる。謎の殺人者が、ふたりの行く手を複雑にしていく。
 愛すべきサブキャラのオリーが無神論者であるというのも実におもしろく、それぞれにキャラ立ちしていて、ハードSFなんだけど、ライトな読み物にもなっている。
 いいねえ21世紀のSFだ。
 このところ20世紀前半的なSFばかり読んでいたから、すごく楽しめた。
 神の存在にも慣れたかな。
 でも、おせっかいな神はいらない。
 この不自由な自意識と不自由な自由意志にもてあそばれながら、これからもSFを読むのだ。
(2019.8.14)

リゲルのレンズマン

リゲルのレンズマン
LENSMAN FROM RIGEL
デイヴィッド・カイル
1982
 本書は、レンズマンシリーズの外伝としてデイヴィッド・カイルの手になる第二段階レンズマンシリーズ三部作の2作目、トレゴンシーを主人公とした作品である。前作「ドラゴンレンズマン」の後、そして、「レンズの子ら」の手前、まだ子どもたちが生まれる前の物語。リゲル星系第四惑星の第二段階レンズマン・トレゴンシーが暗殺された! いやそんなばかな。だって、「レンズの子ら」でも活躍するトレゴンシーである。もちろん、その暗殺は未遂に終わり、そして、このトレゴンシー暗殺をめぐっていくつもの物語が展開する。トレゴンシーは、銀河パトロール隊の調査、諜報、特殊部隊の創設者であると同時にリーダーだったのだ。キニスンが銀河系の光とすれば、トレゴンシーは銀河系の影となってこの宇宙の平和を守っていたのだ!じゃーん。アメリかっぽーい。
 前作「ドラゴンレンズマン」では、第二段階レンズマンのウォーゼルと並んで、不思議な能力を持つふたりのレンズマンが登場し、物語を深めたが、本作では、レンズマンどころか、銀河パトロール隊の士官でさえない、自ら「技官」を名乗るクラウドという青年が大きな役割を担う。それと同時に、ボスコーンとは違う異質な「観察者」とでも言うべき新たな存在が登場してくる。
 そして、ブラックホール兵器、ウォーゼルの幻覚操作とは比べものにならない規模の非現実的現実を生み出す力、不思議な力を持つクリスタルなど、新たな要素も登場する。
 残念ながら、本作品ではこの「観察者」的な存在の謎は回収されておらず、想像するに、おそらくこれに続く「Zレンズマン」のテーマとなっているのだろう。
 前作の「ドラゴン・レンズマン」は単独作品の要素が濃かったが、本作「リゲルのレンズマン」は明らかに三部作を意識して、その中継ぎ的要素もある。また、「渦動破壊者」のクラウドと名字が同じ存在で、立ち位置も似ている存在が登場するなど、オリジナルシリーズのリスペクト、オマージュも色濃く出ているのが特徴である。
 さて、個人的なことになるが、前作は奥付に鉛筆で金額が書かれていたので古書店で求めたのが明らかだが、本作はそういうのがみあたらない。訳出されたのが1992年で、そうなると、数年前の個人的ばたばたからちょっと落ち着いた時期であり、その時期に本書を買い求め、同時に古書店で前作を探し求めたのかも知れない。忘却の彼方の話だ。
 人の記憶はこのように曖昧に過ぎていくが、1920年代に登場したレンズマンという世界は、60年後にもこうして書かれていく。設定は古くなり、社会状況としても、作品群には今日では書くことが認められない要素もあるが、それでも、作品は残り続ける。SF史の中で欠くことのできない作品だからだ。
 それに果敢にもチャレンジしたカイルのレンズマンは、いまどのような位置づけなのだろう。ひとつ訳者後書きには書かれていたが、あるレンズマンを登場させたことで、ファンの中では正史と認めない動きもあるようである。難しいね。
 ちなみに、「Zレンズマン」は未訳のままだ。
(2019.8.13)

ドラゴン・レンズマン

ドラゴン・レンズマン
DRAGON LENSMAN
デイヴィッド・カイル
1980
 E・E・スミスのレンズマンシリーズは本編6作、その後、「渦動破壊者」という番外編で成り立っている。「渦動破壊者」が出されたのは1960年。それでも本編からは15年以上離れていて、まさしくサイドストーリーという内容だった。小学生の頃、本編6作を繰り返し読んでいたので、1977年に「渦動破壊者」が出たときには本当に驚いたし、その内容は心躍る感じではなく、少年には少々微妙だったのを覚えている。
 本書「ドラゴン・レンズマン」は、1989年に、「渦動破壊者」の翻訳者、小隅黎氏が訳出したもので、実は、ずいぶん後になってから古書店で入手した作品である。久しぶりに再読。
 内容は、レンズマンシリーズの中心人物であるキムボール・キニスンの最初の異星人相棒であり、第二段階レンズマンとなったヴェランシアのウォーゼルが主人公の作品で、「第二段階レンズマン」と「レンズの子ら」の間に位置するエピソードという話である。ウォーゼルが機械知能との対決をはじめ、様々な事件に関わっていくストーリー。さらに、これまでにはいなかったタイプのレンズマンが登場する。まるでアンドロイドのように機械化されたレンズマン、不思議な能力をもつレンズマン。そして、作品の物議を醸すことになったレンズマン。
 作者のデイヴィッド・カイルはとても難しい仕事にチャレンジしている。たしかに、レンズマンの世界は確立しているし、「語られていない」物語はたくさんある。とくに、この「第二段階レンズマン」から「レンズの子ら」の間には、長い時間があり、その間の銀河パトロール隊の活躍はいくらでも物語があるだろう。原作者のドク・スミスも、語るべき要素を本編にちりばめており、それらをうまく拾い出せば、レンズマンの世界は、その時間軸の範囲内だけでもずいぶんと深めることができる。
 しかし、SFの世界はずいぶんと先に進んでしまい、ドク・スミスが生み出したスペースオペラの姿も変容している。その中で、現代においてレンズマンの世界観を物語として産み落とすのはとても厳しいことだ。このカイルのシリーズは、第二段階レンズマンであるウォーゼル、トレゴンシー、ナドレックの三部作から成り立っているが、ナドレックが主人公となる三作品目の「Zレンズマン」とうとう翻訳されずじまいになっている。
 残念なような、しかたがないような。
 でもね、レンズマンシリーズのファンは、読んで置いた方がいい。入手困難でも。
(2019.8.12)