レインボーズ・エンド

レインボーズ・エンド
RAINBOWS END
ヴァーナー・ヴィンジ
2006
「電脳コイル」が放映されたのは2007年である。ちょっと懐かしい感じの町で小学校に通う少女を主人公にした、この作品では、メガネというウェアラブルコンピュータを身につけることで、現実の空間と仮想空間を重ね合わせ、現実と仮想空間を自由に切り替えながら生活し、学校に通い、遊ぶことができた。「電脳コイル」では、この仮想空間のバージョンの違いやデータのほころびから新たな「都市伝説」が生まれ、それが物語の柱となっていった。ウェラブルコンピュータと現実空間の仮想化(マッピング)による新しい世界について分かりやすく描いた点で、この作品はきわめて象徴的で衝撃的な作品である。もちろん、それ以前にも「攻殻機動隊」で近未来の、現実と仮想空間の入り乱れた姿を描いているが、電脳コイルには日常感が存在していたのである。
 さて、本作「レインボーズ・エンド」は2006年に発表された作品で、舞台は21世紀前半。人々は、コンタクトレンズとシャツでできたウェラブルコンピュータを身につけ、「電脳コイル」をしのぐ現実感で現実空間が仮想化された世界に生きるときの人の変化を活写する。
 さすが、ヴァーナー・ヴィンジである。
「遠き神々の炎」「最果ての銀河船団」で遠未来の世界を描いたヴィンジが、1981年に発表したのが「マイクロチップの魔術師」。インターネットでのヴァーチャルリアリティーについて、インターネット創生期の頃に書かれた作品であり、大きな衝撃を与えている。「遠き神々の炎」「最果ての銀河船団」では、特異点を超えた知能の存在が描かれている。人工知能がある時点で人間の知能を上回り、それがさらに知能を上回る存在を生み出し、加速度的に知能が発達、成長し、その結果として、人類(や、それらを生み出した種属)は、終焉、大変動、本質的変化を受けることになるというものである。
 本書「レインボーズ・エンド」では、特異点的な存在は出てこない(ようである)。人々は、ウェラブルコンピュータを身につけ、リアルとバーチャルを自由に切り替えながら生活や仕事をしていた。時に場所は意味を持ち、時に場所は意味を持たない。距離も、時間も、立場も、時には制約を失い、時には制約にしばられる。すべてのものがデータ化され、マッピングされようとしている時代のはじまり。
 それは、特異点につながる自然発生的なネットの中の人工知能の誕生を迎える前夜のような世界。
 それでも、戦争があり、貧困があり、苦痛がある。幸せの数と同等に。
 子どもたちは新たな遊びを覚え、開発し、そして、罠にはまる。
 大人たちは新しいおもちゃに興奮し、支配を考え、失敗し、破綻する。
 人間がすることは変わらない。たぶん。
 世界は拡張され、人の認識も拡張されるが、私達は食べ、飲み、眠らなければならない。そして、誰かとふれあい、認知され、存在を許容されなければならない。
 そうしたい。
 おそらく、本書「レインボーズ・エンド」は、2006年の「マイクロチップの魔術師」なのだろう。だから、あと20年ほどして読むと、なるほどねえ、とか、あはは、とか思えるのだろうと思う。ちょっとリアルすぎて困ってしまう。少し未来を見たいという人にはお勧めしたい作品である。
ヒューゴー賞・ローカス賞受賞作品
(2009.06.01)

反逆者の月3 皇子と皇女

反逆者の月3 皇子と皇女
HEIRS OF EMPIRE
デイヴィッド・ウェーバー
2003
 ペリー・ローダンにはじまった「反逆者の月」は、「反逆者の月2 帝国の遺産」でスター・ウォーズに変わると同時に「王の誕生」物語となり、本書「皇子と皇女」は予定調和的に「王の子どもたち」の物語となって終息に向かうのであった。
 今回の主役は、皇帝コリンの双子の皇子と皇女であるショーンとイシス。帝国中枢ですくすくと育ったふたりは、帝国海軍に入り、特別扱いされることなく、軍人として育っていった。帝国は順調に体制を整えられていたが、有無を言わせず帝国の進んだ科学力と独自の文明に取り込まれてしまった地球と地球人たちには、不満を持つ者も少なくなかったのである。ひそかに陰謀がたくらまれていた。それはあまりにも周到で密やかだったため、誰にも気づかれることなく進んでいた。その最初のターゲットは、ショーンとイシス。彼らを葬るための陰謀は成功したかに見えたのだが…。
 ということで、若い皇子、皇女と、その友人たちがある惑星で戦争を行うはめになったのだった。すべては「生き残り、帝国に復帰する」ため。そこは、産業革命直前の状態が長く続く宗教的国家体制の国。鉄砲はあれど、戦車はない。主な武器は騎馬と刃物。古典的な陸上戦である。戦争オタクの作者デイヴィッド・ウェーバーが、宇宙船ではなかなか描けない陸上戦を激しく活写する。
 さて、ふたりの運命はいかに。そして、帝国の運命はいかに。
 ということで、本作では、皇帝となってしまったコリンの活躍が見られない。皇帝になるとそうそう気楽に動けないのである。残念! ペリー・ローダンならば、いつも前線にいそうなのに。その代りに子どもたちが頑張る。このあたりは、レンズマンシリーズの終盤に近いかもしれない。スター・ウォーズも、よく考えれば「子どもたちの物語」だしなあ。
 何も言うことはありません。前作を読まれた方はそのまま最後まで読み通しましょう!
(2009.05.20)

スターシップ-反乱-

スターシップ-反乱-
STARSHIP:MUTINY
マイク・レズニック
2005
 本書「スターシップ-反乱-」は、マイク・レズニックによるパースライト・ユニバースに属する作品であり、本書の舞台は銀河暦1966年、人類が主に共和制の政治体制にいた時代の最後の頃である。ちなみに、「サンティアゴ」は銀河暦3286年の民主制、「ソウルイーターを追え」は銀河暦3324年の民主制だそうである。本書「スターシップ-反乱-」には年表がついているのである。「キリンヤガ」はパースライト・ユニバースに属していないとのことだ。
 便利だ。
 本書の主人公はコール・ウィルソン中佐。老朽艦セオドア・ルーズベルトに左遷配属された共和宙域の航宙軍士官である。過去に3つの勇敢勲章とふたつの功労感状を持ちながら、何度も降格されているが、そのことを知る民間人は少ない。共和宙域のヒーローであり、敵方のテロニ連邦軍からは目の敵にされている。彼は、ついに全員が左遷組であり、最前線とはほど遠い宙域の警備のみを命じられている老朽艦に送られた。コール中佐曰く「官僚主義の結果」であり、軍の立場としては「命令不服従の結果」だという。
 コール中佐は、11年続いている戦争を終わらせることが自分の軍人としての役目だと固く信じており、その自由な発想で自ら課したミッションに取り組んでいく。本人も大変だが、回りも大変だ。しかし、すでに有名人としての知名度と信頼を活かし、コールがいるところに「最前線」を作り出し、勝利を導き出す。
 本書はタイトル「スターシップ-反乱-」や、宇宙戦争という古典的な設定では収まらない、マイク・レズニックらしいウィットと人間描写に富んだ作品である。「キリンヤガ」とはまた違った爽快感が得られることであろう。
(2009.5.10)

久遠

久遠
ETERNITY
グレッグ・ベア
1988
 グレッグ・ベア「永劫」の続編である。「永劫」を再読したのは2004年7月。それから約5年が過ぎた。そして、「久遠」を初読である。古本店で見つけたのだ。見つけてから1年ほど放置。人間とは忘却する生きものである。すっかり「永劫」の筋を忘れてしまった。自分で書いた「永劫」についてのメモを読み直し、なんとなく分かったような気がしたが、やはり忘れている。前作から40年後の地球。荒廃した地球には、彼らを救う別の時空の未来の地球から来た人達がいた。小惑星の内部には、超時空構造物「道」がつながっており、無限に近い空間や世界とつながっていた。そのつながりが切れ、荒廃した地球を救う側も資源不足に悩まされていた。まして、「世話をされる」側の地球人にとっては、いつも頭の上から礼儀正しく頭が良くてスポーツもできる優等生が学級委員長が面倒をみてくれるわけで、どうにも落ち着かない。そんななか、前作で別の時空に旅立った男が、ひょっこりと帰ってきた。宇宙の「終極精神」の遣いとして。出迎えるはめになったのは、若返りの技術を拒否し、晩年を迎えかけた主人公のひとりギャニー・ライアー。その妻、カレン・ファーリーは若返り技術を受け、地球行政官として活躍していた。ギャニーは、多くの救われない人々とともに死を迎えようとしていたのだ。しかし、そこに「終極精神」の遣いたるミルスキーがやってきてしまう。ひとりの人間と宇宙の死と再生を対比させながら…。
 一方で、前作の主人公のひとりだったパトリシア・ルイーザ・ヴァスケスは、やはり別の時空の過去の地球上で天才科学者として人々の科学力向上を手伝いつつ、年を取り、孫娘に彼女の秘密を伝授し、そして死んでいった。
 残された孫娘のリタは、別の時空の窓を開けることを希求するようになった。それが世界を変えることになるとしても…。
 ということで、途中まで何がなにやらと思いつつ読んでいたのである。
 私というざる頭の人間には、「永劫」も「久遠」も縁遠いのであろう。
 もう一度続けて読まない限り、何を書いていいやら分からない。
「永劫」をはじめて読んだ1987年頃は、とても忙しい新入社員だった。
「久遠」をはじめて読んだ2009年は、とても忙しい中年の一社会人である。会社勤めではないが、あれをしたり、これをしたり、あっちに行ったり、こっちに行ったり、なかなか一筋縄ではいかない。いろいろやりつつひとつの仕事を終え、新しいプロジェクトの準備をするさなか、頭に入らないなあ。しばらく休むか。
(2009.04.30)

ベガーズ・イン・スペース

ベガーズ・イン・スペース
BEGGARS IN SPAIN AND OTHER STORIES
ナンシー・クレス
2009
「プロバビリティ」シリーズ三部作が一気に翻訳されたナンシー・クレスの短編集である。「プロバビリティ」シリーズで登場した「共有世界」のアイディアが登場した「密告者」をはじめ、7作品が掲載されている。このうち、表題作「ベガーズ・イン・スペース」と「眠る犬」は、ナンシー・クレスを有名にした無眠人シリーズである。表題作は、その後長編化され、三部作となっているようだ。
 無眠人とは、眠ることのない人のこと。遺伝子操作で生まれた眠る必要のない子どもたち。知性に恵まれ、健康で、精神的にも安定し、極めて高い生産性を持つ。それゆえに、普通の人たちからのねたみを買い、やがて迫害されていく。ミュータント、超能力者迫害ものの変奏曲である。不老不死、超能力など、理由なき超人に変わって、遺伝子操作という「科学」が導入されてSFの中心に戻ってくることとなった。
「ダンシング・オン・エア」もまた、遺伝子組み換えによる能力改編をベースにした作品。クラシックバレエが、その舞台となる。
 個人的に好きなのは「戦争と芸術」。異星人との戦争を続ける人類。敵の基地を確保した人類の軍は、芸術に詳しい専門家を敵の基地に送り込む。異星人が人類の居住エリアを襲って収集した物品の中から貴重な芸術品を回収するためである。芸術作品だけでなく、バスタブや子どもの靴など様々なものが収集され、異星人にしか分からない方法で配列されていた。人間の専門家は、そこから何かを読み取ろうとする。なぜ、異星人はこれらを集め、このように並べたのか…。
 とても短い作品から、中編といえる作品までいずれも読みやすく、満足できる。「プロバビリティ・ムーン」の最初のとっつきにくさに比べれば、最初に短編集を読むのはクレスを知るのにいいかもしれない。
本短編集は、日本独自編集だそうだ。表題作「ベガーズ・イン・スペース」は、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、アシモフ誌読者賞、SFクロニクル読者賞受賞作品。つまり傑作である。
(2009.04)

太陽の中の太陽

太陽の中の太陽
SUN OF SUNS
カール・シュレイダー
2006
 気球世界ヴァーガシリーズの第一作目である。帯の釣書は「リングワールド以来の破天荒な世界」である。まさしく。時は遠い未来。何らかの泡というか、膜というかに包まれて外の宇宙と隔絶した世界が用意されている。そこには人工の太陽がある。大きな重力を生み出すほどの質量はない人工の核融合太陽である。ひとつではなく、たくさんの太陽がある。大きな太陽がある中心の世界はキャンデスと呼ばれているが、このヴァーガの世界にはたくさんの小さな太陽があり、その光の周囲に小さなコロニーや衛星の居住地がある。ヴァーガの世界には空気があり、窒息して死ぬことはない。重力はとても微少。太陽の大きさやコロニー群の軌道によって世界の勢力分布は変わる。中心世界キャンデスは、その光の大きさ、安定性によって強国となり、世界を統べる。しかし、周辺にはそれぞれに太陽があり、その恩恵で生きる人々がおり、国が成立する。太陽を持つものが国を興し、世界の中の勢力となることができる。しかし、時に世界はきまぐれである。それぞれのもつ軌道によって他の世界と近づき、分かれる。そのたびに、侵略や併合が起き、力関係は変わっていく。光の届かない場所は、冬空間と呼ばれる。人が住むには厳しい世界だ。そして、ほとんどの空間が冬空間である。
 さて、内側の世界があるということは外の世界もある。間違いなく。どうやれば外に出られるのか、そもそも外の世界がどういう世界なのか知るものは少ない。気にしていないともいえる。
 太陽など一部の技術を除けば、この世界は大航海時代や第一次世界大戦前の世界に似ている。
 群雄割拠の世界である。
 ここにひとりの少年ヘイデンがいる。ヘイデンの母は太陽技術者だった。父は小国エアリーの独立を望んでいた。エアリーは太陽を作ろうと画策していた。支配者である大国スリップストリームから独立するために。しかし、その独立は果たされず、両親は殺され、ヘイデンは孤独のままに生きていくこととなった。両親を殺したスリップストリームの提督への復讐を誓って。
 そのヘイデンが、スリップストリームの提督の妻に雇われ、提督が率いる艦隊に乗りこんで冒険の旅に出ることとなった。スリップストリームを守るためか、提督を殺す機会をうかがうためか、それとも、同行することになった外世界から来た美女と一緒にいたいためか、ヘイデンは悩みながらも戦い、生きのび、成長していく。そして、何かを得、何かを失う。大人になっていくのだ。
 まさしく破天荒な世界を舞台に、バロック調のストーリー展開。フィリップ・リーブの「移動都市」シリーズなどが好きな人にはおすすめな一冊である。
(2009.03)

プロバビリティ・スペース

プロバビリティ・スペース
PROBABILITY SPACE
ナンシー・クレス
2002
 ナンシー・クレスの「プロバビリティ」シリーズ第三弾で完結編である。人類とフォーラーの戦争は宇宙を崩壊させる究極兵器をお互いが持ってしまい膠着状態。人類側は軍内部でクーデターが勃発。前作で新たな物理学の地平線を開いた物理学者カペロは誘拐され、娘のアマンダは誘拐現場を目撃してしまったために「誰も信用できない」状態で、一緒に「ワールド」に旅をしたマーベットを探して流浪の旅に出る。一方、マーベットは、前作で中間管理職のパワー全開だったカウフマン君と一緒。カウフマン君は、ワールドの共有世界を崩壊に追い込んだことについて自責の念でいっぱい。なんとかワールドに行こうとする。行ってどうなるものでもないだろうが…。
 さらに、誘拐されたカペロの幽閉先にたまたま遭遇してしまった少年は殺され、その母で大金持ちの策士、女スパイにして男たらしのマグダレナは、息子がカペロとともに誘拐されたままであると確信してカペロを追い求める。
 父カペロを案じ、カペロを探すためにマーベットを求めて地球、月、火星での様々な事件に巻き込まれるアマンダ。
 息子を捜すためにカペロの居場所を求めるマグダレナ。
 さらに、何かを求めるカウフマンと、現実をしっかり把握しているマーベットのカップル。
 クーデターを起こしたピアース大将は、宇宙が崩壊する可能性を理解する能力がなく、究極兵器をフォーラーの母星に近づけようとする。
 軍を退職し、中年の自分探しの旅に出るカウフマン君パート。典型的な少女巻き込まれ旅と事件の成長期ものとなったアマンダのパート。そして、背景に横たわる宇宙崩壊の可能性。
 果たして、どうなる、この宇宙。
 前作2作は「ワールド」のおもしろさが際だっていた。本作は、世界観もキャラクターも頭に入っていることだから、素直に楽しめばよろしい。
 それにしてもナンシー・クレスは登場人物に愛着がない。平気でいじめていく。その典型がカウフマン君である。前作では、ちょっとしたヒーローだったのに、軍を辞めたとたん、役立たずの、自分で何をしていいのかわからない大人になりきれていなかったおじさんの扱いである。かわいそう、と思うあたり、筆者もおじさんだからか。
 もちろん、前作と違って、本作では少女アマンダの成長の旅がある。出会いあり、別れあり、裏切りあり、信頼あり、冒険あり、機転あり、恋愛ありの、これぞ少女成長ものといったところである。
 中年のおじさんも安心して読んで欲しい。
キャンベル記念賞受賞作品
(2009.03)

ひとりっ子

ひとりっ子
SINGLETON AND OTHER STORIES
グレッグ・イーガン
2006
 グレッグ・イーガンの短編集である。私たちは世界を感じている。世界を感じているのは「脳」の情報処理である。入ってくるデータが同じでも処理の仕方で世界は変わる。処理の仕方のパターンの蓄積こそが世界観と言ってもいいのかも知れない。だから、処理の仕方のパターンを変えてしまえば世界観は変わる。あなたは誰になりたい。あなたは何者になりたい。あなたは、何だ?
 宇宙は、認識されなければ存在しないのか?
 森の中の木が倒れても、その音を聞く人がいなければ、森の中の木は倒れていないのか?
 猫は生きているのか、死んでいるのか?
 イーガンは、様々な形で問いかけ続ける。
 幸せとは、生きるとは、知るとは、宇宙とは、世界とは。
 そして、そういう頭が混乱したくなりそうな問いかけの上で、「幸せ」のありようを語る。
 宇宙のありようを研究している物理学者が、あるいは脳の働きを研究している生物学者が何を考えているのか、そのわずかな一端を感じたいと思ったら、グレッグ・イーガンの短編集を読むといい。なんとなく分かるような気持ちになるから。
(2009.01)

プロバビリティ・サン

プロバビリティ・サン
PROBABILITY SUN
ナンシー・クレス
2001
「プロバビリティ・ムーン」に続く、三部作の第二弾である。直接の続編で、前作の謎解きと、新たな展開を迎える。前作「プロバビリティ・ムーン」よりも戦争SF色やエンターテイメント色が強くなった。「共有現実」というややこしい世界観を読者に共有する必要がなくなっただけ、物語を展開しやすくなったのである。そうしてもうひとつ、本書「プロバビリティ・サン」のエピローグでようやく年代がはっきりと示される。2167年という数字がさらりと明らかにされる。つまり22世紀なのである。来世紀だ。ちなみに、異星種族フォーラーとの戦争によって人類は多くの星系を失い始めているが、それでも、人類は、地球、火星、月、ベルト域、ティタンなどに数十億の人口を有しているらしい。21世紀初等の現在でも「数十億」であるのは変わらないのだが。
 それから、もうひとつ、前作でははっきりしなかったことが、明らかになる。フォーラーは、あんまり人類型ではなかったのだった。
 さて、「プロバビリティ・サン」の話だが、前作で発見された「もうひとつの究極兵器」を研究、奪取することと、姿がはっきりしなかった強大な敵であるフォーラーを捕獲し、研究することのふたつが、ラウル・カウフマン大佐に与えられた使命である。そのために、天才物理学者、テレパスに近い特殊な共感能力をもつ超感覚者、前作に登場した地質学者のディーター・グルーバーと人類学者のドクター・アン・シコルスキなど個性派揃いのチームをまとめて作戦を遂行する必要がある。天才的中間管理職であるカウフマンは、”世界(ワールド)”へと向かう。究極の無理難題を果たすため、誰ひとり話を聞いてくれないだけでなく、お互いに信頼もないメンバーの間をとりなし、なんとか全員にやる気を出させ、秘密を守り、目的を達成する。お涙ちょうだい物語である。
 また、前作ではわかりにくかった「プロバビリティ」についても、量子論、究極理論などを背景にしながら、新たな宇宙理論として統合されていく。その新たな「発見」の物語でもある。
 ちなみに、本書の宇宙論については、「エレガントな宇宙」(ブライアン・グリーン)にヒントを得ているとある。「一般向け」に超ひも理論を軸にした最新の宇宙論を解説した本で、草思社から翻訳出版されている。私も買って読んだが、たしかにおもしろい、けど難しい。それでも、流し読みしておくと、本書「プロバビリティ・サン」のような話を読む際にちょっとはわかりやすくなる。
 まあ、そういう科学的な理論のところはすっとばしてもおもしろく読めるエンターテイメントSFなので、安心して欲しい。
(2008.12.31)

時間封鎖

時間封鎖
SPIN
ロバート・チャールズ・ウィルスン
2005
 おもしろいじゃん。
 作者が「世界の秘密の扉」のR・C・ウィルスンだし、タイトルが「時間封鎖」だから、タイムトラベルものかと思って、ちょっと手が出なかったのだけど、よくよく釣書を読んでみると、なんかおもしろそうじゃん、ということで読んでみた。
 おもしろい。正当派のSFだ。
 ちょっとした近未来の話だ。ある日、すべての星と月が消えた。そして偽物の太陽が地平線から昇りはじめた。外から見た地球は暗黒な何かに突然覆われてしまった。地球からロケットを打ち出すことも、ロケットが地球に戻ることもできる。月も、太陽も、星も、地球の外には普通に存在した。ただ地球だけが隔離されてしまったのである。しかも、それは空間的な隔離だけではなかった。封鎖外と封鎖内では時間の進み方が違うのである。外では普通に時間が流れ、地球上だけは時間が遅延していた。つまり、ゆっくり進んでいたのである。しかも、その時間差はあまりにも大きい。ひとりの人間の一生が太陽の一生と並ぶほどなのだ。
 偽物の太陽は、地球上の生物が死滅しないようにするため熱をコントロールするためのものであったらしい。つまり、地球を時間的に封鎖した何者かは、地球の生命体を滅ぼすことが目的ではないらしい。
 そして、地球はまるでタイムマシンに乗ったかのように宇宙の時間の流れから置き去りにされていった。地球の外では、たくさんの星が生まれ、進化し、そして死んでいった。月は徐々に遠くなり、太陽はやがて年をとっていくことになるだろう。ということは、やがて太陽が巨大化し、地球はそれに飲み込まれることになる。果たして、そうなってもこの時間封鎖は持つのであろうか? もし、時間封鎖が破綻したら、その時点で人類と地球は滅亡することになる。
 地球上に訪れた絶望の世界。しかし、それでも日々は過ぎ、生活は続く。いくつかの宗教が生まれ、いくつかの科学プロジェクトが生まれた。そのひとつは、火星のテラフォーミングである。地球がゆっくりとした時を過ごすならば、数十年で火星のテラフォーミングを行うことができるかも知れない。そうすれば、人類はふたたび普通の宇宙に復帰することができるかも知れない。それはひとつの夢になった…。
 そういう状況になったら、人々はどう考え、どう行動していくだろう。
 子どもの頃に、時間封鎖を経験した3人の人間の生き方を通して、その答えを模索する物語である。
 時間封鎖によって経済的にも政治的にも強力な位置を占めるようになった企業のオーナー、E・D・ロートン。その息子であり、経営者として英才教育を受けて育った天才科学者のジェイスン。ジェイスンの双子の姉として生まれ、息子を後継者としてしかみない父と、圧倒的な力を持つ父の前に飲酒に逃げるしかない母の間でひとり優しさを心に抱えていたダイアン。ロートン家の下働きとして敷地内に居を構えているひとり親の母に育てられ、ジェイスンとダイアンの唯一の親友として育った主人公のタイラー。この3人の人生の物語である。3人の心に深い影を落とすのが、権力者である「父」E・Dの存在と、時間封鎖の体験。彼らはそれぞれにそれらと向き合い、あるいは避け、あるいは別の強力な存在を追い求める。時に彼らは離れ、時によりそい、人生の流れの中に生きる。それは普通の宇宙での長い長い旅の中にあるひとつの物語。
 滅びの予感の中にある人々のあがきであり、救いの模索である。
 果たして、救いはあるのか?
 時間封鎖というひとつの状況と、いくつかの「すでにある科学」の延長だけで、驚くべき物語と、驚愕的なクライマックスが用意されている。
 絶対読んだ方がいい。みじんもクライマックスまでの気配を伝えたくない。書きたくない。
 これはおもしろいよお。
 ちなみに、あとがきにもあるが、グレッグ・イーガンの「宇宙消失」と状況は似ているけれど、「宇宙消失」は観察者問題が鍵になっているのに対し、「時間封鎖」の方は、ある意味で古典的なSFである。読みやすいのはこちらだ。
ヒューゴー賞受賞作品
(2008.12.11)