ドラゴン・レンズマン

ドラゴン・レンズマン
DRAGON LENSMAN
デイヴィッド・カイル
1980
 E・E・スミスのレンズマンシリーズは本編6作、その後、「渦動破壊者」という番外編で成り立っている。「渦動破壊者」が出されたのは1960年。それでも本編からは15年以上離れていて、まさしくサイドストーリーという内容だった。小学生の頃、本編6作を繰り返し読んでいたので、1977年に「渦動破壊者」が出たときには本当に驚いたし、その内容は心躍る感じではなく、少年には少々微妙だったのを覚えている。
 本書「ドラゴン・レンズマン」は、1989年に、「渦動破壊者」の翻訳者、小隅黎氏が訳出したもので、実は、ずいぶん後になってから古書店で入手した作品である。久しぶりに再読。
 内容は、レンズマンシリーズの中心人物であるキムボール・キニスンの最初の異星人相棒であり、第二段階レンズマンとなったヴェランシアのウォーゼルが主人公の作品で、「第二段階レンズマン」と「レンズの子ら」の間に位置するエピソードという話である。ウォーゼルが機械知能との対決をはじめ、様々な事件に関わっていくストーリー。さらに、これまでにはいなかったタイプのレンズマンが登場する。まるでアンドロイドのように機械化されたレンズマン、不思議な能力をもつレンズマン。そして、作品の物議を醸すことになったレンズマン。
 作者のデイヴィッド・カイルはとても難しい仕事にチャレンジしている。たしかに、レンズマンの世界は確立しているし、「語られていない」物語はたくさんある。とくに、この「第二段階レンズマン」から「レンズの子ら」の間には、長い時間があり、その間の銀河パトロール隊の活躍はいくらでも物語があるだろう。原作者のドク・スミスも、語るべき要素を本編にちりばめており、それらをうまく拾い出せば、レンズマンの世界は、その時間軸の範囲内だけでもずいぶんと深めることができる。
 しかし、SFの世界はずいぶんと先に進んでしまい、ドク・スミスが生み出したスペースオペラの姿も変容している。その中で、現代においてレンズマンの世界観を物語として産み落とすのはとても厳しいことだ。このカイルのシリーズは、第二段階レンズマンであるウォーゼル、トレゴンシー、ナドレックの三部作から成り立っているが、ナドレックが主人公となる三作品目の「Zレンズマン」とうとう翻訳されずじまいになっている。
 残念なような、しかたがないような。
 でもね、レンズマンシリーズのファンは、読んで置いた方がいい。入手困難でも。
(2019.8.12)

渦動破壊者

渦動破壊者
THE VORTEX BLASTER
E・E・スミス
1960
 1977年8月にレンズマンシリーズ第7巻として小隅黎氏により訳出されたのが本書「渦動破壊者」である。12歳のときだ。奇遇にも、レンズマンシリーズを文庫ですべて揃えたのが1977年のことである。小学生の時からジュブナイルでなじんでいたレンズマンシリーズを大人向け!の文庫で読み終わり、まあ分からないところもあったものの楽しんでいたところに、6巻ではなく7巻があったというのだ。びっくりだね。はじめて読んだときには、正直言って、「レンズマン」が活躍しないのでがっかりした記憶がある。
 主人公のニール・(ストーム)・クラウドは天才核物理学者。原子爆発により発生し、人間にはコントロールできない「渦動」により最愛の妻を失ったクラウドは、宇宙の各地で起きる渦動による被害を食い止めようと、渦動を破壊する方法を考えつく。それには、電子計算機でさえ追いつかないほどの速度で渦動の変動周期を予測し、正確に爆弾を渦動に投下する必要があった。簡単にできる話ではない。しかし、天才クラウドは、まさしく考えるより早く予測のための高度な方程式を解き、対応することができる能力を持っていた。かつてレンズマンになれなかった男は、いま、どのレンズマンにも、電子装置にもできない渦動破壊者として宇宙に知られることになったのだ。
 レンズマンが追う宇宙的な麻薬犯罪組織の陰謀などにも巻き込まれつつ、クラウドは宇宙船渦動破壊号にメンバーを揃え、やがてパートナーも得ながら、渦動を破壊し、なおかつ、その宇宙の深遠なる謎にも迫るのであった。
 さて、宇宙は奇遇でできている。
 ものすごく久しぶりにレンズマンシリーズを読み返し、本書「渦動破壊者」を読みつつ、たまたま電車に乗る機会があり、「SFマガジン創刊700号記念アンソロジー海外編」を本棚から手にとって、最初の「○○○」アーサー・C・クラーク、小隅黎訳1947年作品を読んでいた。未読の方には申し訳ないのでタイトルは伏せ字にしておくが、恒星の中に生きる知的生命体がコロナとともに冷たい宇宙空間に放出され、惑星の重力に引かれながらもエネルギーがないためにやがて消滅してしまうという話なのだが、「渦動破壊者」のアイディアの中にも、そういう要素が入っている。
 人類など炭素やメタンといった「冷たい」物質でできた生命系とは別に、太陽とかあるいは太陽系ならば木星といった「熱い」場所で、電離化した物質やエネルギーでできた生命体があるのではないか、というSFでは欠かせない問いである。
 原子力時代の訪れとともに、「渦動破壊者」はひとつの大きな物語として、核というテーマで遊んでいる。もちろん、今となっては「渦動」はあり得ないし、核で遊ぶのはもってのほかなのだが、そういう時代だったことも思い起こさせてくれる。
 そして、今頃気がつくのだが、小隅黎氏は、新訳レンズマンシリーズの前に「渦動破壊者」を訳していたのだ。むしろ、「渦動破壊者」のあと、時間をおいて「小隅版レンズマン」を順番に新訳したということか。これも新たな気付き。さらに気がつく。「渦動破壊者」も小隅黎氏自身による再訳されていることに。
 あともうひとつの気付き。ドク・スミスは、冒頭の献辞に「ボブ・ハインラインへ 称賛と尊敬をこめて」とある。1890年生まれのドク・スミスは、1960年に70歳。1907年生まれのハインラインは53歳。この頃、ハインラインは「太陽系帝国の危機」「銀河市民」「夏への扉」「大宇宙の少年」「宇宙の戦士」など次々に傑作をものにしている。
 ドク・スミスは1965年に亡くなっているが、この「スペースオペラの父」は本当にSFが大好きだったんだな。
(2019年7月)

三惑星連合軍

三惑星連合軍
TRIPLANETARY
E・E・スミス
1948
 レンズマンシリーズ6冊の最終刊であり、シリーズの前日譚であり、レンズマン以前の話であり、書かれたのが最初の1934年である作品が本書「三惑星連合軍」である。
 で、本シリーズは新訳の小隅黎訳と旧訳小西宏訳がある。小隅訳はシリーズ最初の「銀河パトロール隊」しか読んでいなくて、子どもの頃から小西訳だけを読んできた。翻訳の初版は1968年! 手元には1977年19版!がある。SFと文庫本には良い時代だ。19版って!1965年生まれの私は、本書を12歳の頃に読んでいる。最初にレンズマンシリーズに遭遇したのは10歳前後に小学校の図書館で読んだジュブナイル。その本筋は、この三惑星連合軍をベースにレンズマンの色づけがしてあったように思う。もう40年以上前の遠い記憶だ。
 本書「三惑星連合軍」では、シリーズ全体の背景を地球の歴史から書き起こす。それはもちろん仮想、空想の物語であり、アトランティス、ローマの次は第1次世界大戦の1918年、第2次世界大戦の1941年、第三次世界大戦と続き、第三部で三惑星連合軍の物語が語られる。レンズマンシリーズだが、まだレンズはない。シリーズ5作品目の「ファーストレンズマン」が「三惑星連合軍」と「銀河パトロール隊」の間に入るのだ。
 どうしてこういう出版になったかというと、書かれたのは「三惑星連合軍」の主要部分が最初だけど、太陽系を軸にした「三惑星」は評判が悪く、その後書かれた「銀河パトロール隊」は「銀河」だから評判が良くてシリーズ化され4部作が第2次世界大戦をまたぐ形で出版され、大成功をもたらす。そこで、この4部作に、前史である「三惑星連合軍」と、そのミッシングリングにある「ファースト・レンズマン」が書かれ、整理されて出版となった、そういうわけである。
 一度でも「レンズマン」に触れているならば「三惑星」からだと時系列的に正しいが、やはり出版順に読む方がいいような気がする。
 新訳は読んでいないが、正直言って、訳は古い。50年前だもん、古くて当然。
 心の中で翻訳し直して読もう。
「レンズマン」シリーズの主人公であるキニスンの先祖がたくさん登場するから、楽しみにしていて。
(2019年7月)

ファースト・レンズマン

ファースト・レンズマン
FIRST LENSMAN
E・E・スミス
1950
 レンズマンシリーズの5作品目だが、前日譚でもある。レンズマンシリーズの本編は1~4作で、最初に書かれたのが6作目と位置づけられる「三惑星連合軍」。評伝によると、この作品が太陽系内の話だったことから、当時太陽系を出るようなSFが少なく、E・E・スミスにはスカイラークシリーズ同様に銀河系を飛び出すような作品が望まれており、やや評判を落としたことから、銀河系しかも隣の銀河系も含む大宇宙を舞台にしたレンズマンシリーズが誕生したという。それで、単行本シリーズ化するにあたって、レンズマンシリーズの前日譚として「三惑星連合軍」があり、その続編で、なおかつ、レンズマンシリーズとつなぐ作品として本書「ファースト・レンズマン」が書き下ろされたらしい。つまり、加筆・補筆はあるものの、本書が長篇のレンズマンシリーズ最終作でもある。
 そう思うと感慨深い。
 話としては、三惑星連合軍のリーダーであるバージル・サムスが、アリシア星に行き、メンターによってレンズとミッションを得て、ファースト・レンズマンの称号を得たところから、太陽系を超えた「銀河パトロール隊」を結成するにいたるまでを描いた作品となる。また、レンズマンシリーズの「敵」であり、当初の最大の問題とされていた麻薬シオナイトの宇宙的問題が提起されるのも本作品の特徴。
 第2次世界大戦直後のアメリカで書かれた作品であることを、繰り返し留意して読む必要がある。アメリカは連合軍の遅れて来たリーダーとしてヨーロッパ、アジアで、ドイツ、日本という枢軸国と戦い、自由と民主主義を標榜して、総力戦でこれに勝利した。
 負けた側の国の人間として言うのもなんだが、日本は世界においては遅れて来た帝国主義、植民地主義であり、負けるべくして負けたのだが、この戦争により、世界中が疲弊したことは間違いない。日本は加害者であり、被害も大きかったが、アジア・ヨーロッパ、そして、最初は関係ないとそっぽを向いていたアメリカもまた大きな被害を受けている。
 話は遡るが、第1次大戦後、国際連盟が成立し、その中で、万国アヘン条約というのが結ばれている。麻薬を取り締まるための国際条約である。1912年に調印された。その後、幾多の議定書決議、条約調印、批准があった。そして、第2次世界大戦後、国際連合がつくられる。1946年「麻薬に関する協定、条約及び議定書を改正する議定書」ができ、1961年には「麻薬に関する単一条約」が調印された。
 という、現実世界の歴史的背景を知っておいた上でだが、本書「ファースト・レンズマン」1967年4月初版、1977年5月第18版の小西宏訳285ページをちょっと引用させてもらおう。
さあここだ。出典は不明だが—いくつかの資料が、フーバーという人物の報告をとりあげている。西暦一九四〇年から五〇年ごろのことだ。聞きたまえ。『この議定書は』–フーバーは世界的規模での麻薬取締りに関する協定のことをいっているのだ–『五十二カ国によって署名された。その中にはU・S・S・R』–これはロシアのことだ–『および、その衛星諸国も含まれていた。国際協定に対して共産主義国が』–共産主義については、きみのほうがよく知っているだろう」
「独裁の一形態で、失敗に終わったということだけは知っている」
「『–共産主義国が単なる言葉以上の協力を示したのは、これがはじめてだった。この協定が維持されたことは、当時の政治情勢を考慮に入れれば、全加盟国が次のような五つの注目すべき点で、国家主権を放棄する義務を負ったわけであり、まことにおどろくべきことである。
『第一 他国の全加盟国の麻薬取締官をして、すべての地域および水域に、自由、秘密かつ無登録で入国し、無制限に旅行し、かつ退去することを許す。
『第二 要求に応じて、既知の犯罪者および密輸品が妨害なしに領土に出入りすることを許す。
『第三 他のどの加盟国が立てた麻薬取締計画にも、主導者としてではなく、従属者として、完全に協力する。
『第四 要求に応じて、いかなる麻薬取締り作戦に関しても、完全な秘密をまもる。そして、
『第五 上記の事項すべてについて、中央麻薬取締局に、完全かつ継続的に情報を提供する』
 しかもだな、パージ、これは成功したらしいのだ。(略)」
 以上が引用である。
 これを読むと、スミスがいかに麻薬に対して嫌悪し、なんとかできないかと思っていたのだということが分かる。と同時に、いくつかの疑問が湧いてくる。まず、フーバーが大統領だとすると、フーバーは1929~33年の1期のみを務めた共和党の大統領(フーヴァー)であり、執筆当時はその後のルーズベルト、トルーマンの民主党時代だったのである。それから、当然ながら、スミスが書いたような議定書はない。
 ただ、当たり前だが、スミスにとっては生きた現実の歴史であるロシアがソ連に変わったことは書かれており、そして、やがてロシアに戻ることを示唆している。
 54歳にして、2019年にして、ちょっともう、この本の筋立てには飽きたなあと思いながら読んでいて、この1ページにはとても引っかかった。なぜスミスはここを書いたのだろう。話としては、「銀河パトロール隊」が北アメリカ(現アメリカ合衆国)、太陽系(三惑星連合)を超えた銀河系における最高政治軍事執行機関となる必要性や必然性と、民主主義や自治との関係を、当時の価値観なりに表現するために挿入された架空のエピソードなわけであるが、それにしても、こういう話を持ってくる必然性はないのだ。
「銀河パトロール隊」という、ある意味でレンズマンによるプラトン的な選民独裁社会、警察国家化を成立させるための方便でもあるのだが、そして、戦後、アメリカの立ち位置はそれに近いことを望んでいたのかも知れないが、スミスは何を考えたのだろう。
 当時の人たちは、ここをどう読んだのだろう。気になる。
 このように歴史的作品であることは間違いない。
 現在のSFや社会状況とは大きく価値観も異なるが、いつ、どのような現実社会背景で書かれたのかを踏まえて読めば読む価値のある作品である。
(2019.5.26)

レンズの子ら

レンズの子ら
CHLDREN OF THE LENS
1954
E・E・スミス
 レンズマンシリーズ本編は「宇宙パトロール隊」「グレー・レンズマン」「第二段階レンズマン」そして、本書「レンズの子ら」の4部で構成される。他にも数作あるし、派生作品もあるが、ベースはこの4作である。もっとも先に書かれたのは、前日譚として位置づけられる「三惑星連合軍」であり、「ファースト・レンズマン」は本編4部とを繋ぐ作品として書き起こされたものである。
 つまり、「スターウォーズ」と似た構成なのである。スターウォーズシリーズは、エピソード4、5、6を本編として、その前日譚が描かれ、そして、後日譚が描かれ、サイドストーリーが展開している。そして家族の物語でもある。
 レンズマンシリーズの本編は、キニスンとクラリッサの夫婦と子どもたちの物語であり、最後は、その筋立てが1940年代のアメリカ的家族像であるが、愛の賛歌である。
 結局、大規模な戦いと、愛なのだ。
 前作から20年後、ひとりの男の子、4人、二組の双子の女の子という5人の子どもたちに恵まれたキニスンとクリス。第二銀河系の「超最高基地」をベースに第二銀河系の銀河調整官となったキニスンは多忙な日々を送るが、子どもたちは生まれたときから超常的な能力を持ち、それぞれの特性を伸ばして成長していた。息子のクリストファー(キット)はレンズマン養成学校を卒業するなりグレー・レンズマンとしてミッションに入り、4人の娘達は、誰にも知られることなく、また、アリシアでレンズを受け取ることなく、必要に応じて自らレンズを身につける能力を開発していた。この5人こそ、アリシアのメンターが永劫の時間をかけて優生操作をしてきた結果として生まれた地球人にして地球人ではない銀河の後継者たちなのである。それは、アリシア人が究極の悪として敵対し、倒すことができなかったエッドール人を滅ぼすための武器でもあった。そして、5人はそのことを自覚し、第二段階レンズマン以下の精神では受け止めることができないこの究極悪の存在を受け止め、それを倒すことが使命であると知っていた。彼ら5人は第三段階能力を持ちうる存在であったのだ。
 ということで、究極の善と悪の最後の戦いが幕を切って落とされるのである。
 もちろん、主人公はキムボール・キニスン本人。最愛の妻クラリッサも活躍し、それをとりまく第二段階レンズマンの異星人も大活躍。壮大なスペースオペラは、壮大に幕を下ろす。そして、この作品が書かれる頃には、第2次世界大戦もアメリカの勝利によって終わりを告げており、アメリカの「正しさ」が世界を支配しようとしていたのであった。
 E・E・スミスは1890年に生まれ、1965年に没しているが、このレンズマンシリーズは1937年から執筆発表されている。時代背景を考えると、ナチスドイツが台頭しつつあり、アジアでは日本が中国に戦争をしかけた頃である。アメリカはモンロー主義をとり、中立を保っていたが、関係国はアメリカの動向に常に気を配っていた。アメリカはすでに大国だったのだ。そういう社会背景や文化的背景を踏まえないと読みにくいところもあるが、これぞスペオペでもある。
 筋立てや物語の設定などは、現代では陳腐であるが、これらを開発・発明したのはE・E・スミスである。だから、作品を馬鹿にしてはいけない。その影響力の大きさを忘れないように、私もこの人生でもう一度ぐらいは読むのだ。
(2019.5.18)