パラダイス 楽園と呼ばれた星

パラダイス 楽園と呼ばれた星
PARADISE A CHRONICLE OF A DISTANT WORLD
マイク・レズニック
1989
 マイク・レズニックの代表作となった「キリンヤガ」(1998)に遡ること9年前に上梓された「パラダイス」。初読です。
「キリンヤガ」はテラフォーミングされた小惑星キリンヤガでケニヤのキクユ族の伝統的な暮らしを求めたユートピアとそのほころびの物語だった。短編を連ね、大きなひとつの世界と物語が構築されていた。「キリンヤガ」はよく練られた物語であり、物語の中の物語であった。
 本書「パラダイス」は、人類とは異なる種属と生態系の存在する惑星ペポニの物語である。「まえがき」ではケニアの寓話がひとつ載せられ、そして、「これはケニアという実在する国家ではなく、ペポニという架空の世界についての物語である」と、読者に対して宣言をして物語の扉を開く。
 ストーリーは、マシュウ・ブリーンが卒論制作として、伝記作家として、パラダイスに関わった人やペポニの人たちと関わり、取材する形ですすむ。最初は入植初期に伝説的なハンターとして知られた人間のハードウィク。その晩年に医療施設で野生の王国としてのペポニが描かれる。それから2年後には作家のアマンダと、同じ時期にペポニにいた人たちの物語。ペポンの独立までの物語。その3年後には、ペポンを独立に導いた初代大統領へのインタビュー。そして、14年後の、その後の惑星ペポニの姿。
 それは、解説にあるように、現実のケニアの歴史を反映した寓話かも知れない。
 あるいは、人類の現代史の寓話かも知れない。
 SFの名を借りた語りなのかも知れない。
「キリンヤガ」ほど複層的、重層的ではない、ある意味で粗いストーリーかもしれない。
 ただ、2018年の現在にあって、この物語は架空の惑星の物語でなく、現実の地球の、特定の国の物語でもなく、いまこの地球と地球人が抱える問題そのもののように読むことができる。
 いまの日本では意識しがたいが、世界の人口増加は続き、生物は大量絶滅時代を迎え、農地は不足し、原生自然、あるいは2次的自然さえ崩壊しようとしている。食料はかろうじて保っているが、経済格差の増大、貧困、先進国におけるインフラの劣化、それらを背景に紛争の拡大…。気候変動という全人類的な課題の前にも、目先の欲に惑わされたままの現状。「楽園と呼ばれた惑星」は実は地球なのかも知れない。
 英語タイトルにあるように、本書は「年代記」として書かれているが、その年代は1世代から2世代の年代記なのだ。わずか1世代で世界は大きく変わる。1900年代前半、中盤、後半、2000年代前半と、それぞれの世代で1世代の変化の大きさを感じ、それぞれの世代が世代として認識できる世界観の違いにうろたえる。そういう時代に生きている。
 本書「パラダイス」が邦訳されたのは1993年。それから25年が経ってしまった。
 25年前、こんな世界が来ると思っていただろうか。
 25年前と、今と、どちらが「パラダイス」なのだろうか?
 答えは人によって異なるだろう。
 過去のパラダイスを手に取ることはできない。
 現在を変えることはできない。
 未来をパラダイスにすることは、できるかもしれない。
「その気になれば、だれにだって見つけられんだけどな」
(2018.8.21)

流れ星をつかまえろ

流れ星をつかまえろ
CATCH A FALLING STAR
ジョン・ブラナー
1968
 はるかなる未来、人類は小さな都市、集落として孤立し、それぞれの生活を営んでいた。自動化された機械、生物改造により生み出され、夜を照らす照明球や、植物のように育つ建物の中で人の記憶と感応する「歴史の館」、家も、食料も自動的に得られる世界。しかし、それを享受する人たちは、それらが「あたりまえ」のことで、技術は失われ、19世紀のようなライフスタイルとなっていた。
 主人公のクレオハンは天体望遠鏡をつかい、数百年後には地球に惑星規模の星が近づき、地球を崩壊させる事実を知る。そして、過去の人類の歴史の中に、それを食い止める技術があるはずだと、自らが暮らす退廃の都市を出て旅することを決意する。理解者のいない苦悩の中で唯一出会った海に暮らす女性のカリスとともに。
 旅をしながら、地球の、人類の変化を体験するふたり。十万年ほどに渡って人類は栄華と衰退を繰り返してきた。宇宙に出た人類もいれば、生命操作に心血を注いだ人類もいる。そのすべてがやがて滅び、いまの時代へとつながっているのだ。
 読み始めて3カ月ほどで読了。それほど長い作品ではないのだが、ちょっとしたタイミングで最初の数ページで停滞してしまった。旅が始まってからはおもしろく読む。椎名誠の「アド・バード」やブライアン・W・オールディスの「地球の長い午後」にも通じるディストピア遠未来ものである。地球の長い午後が1962年の作品だから、本作に影響を与えたのかもしれない。
 スイフトの「ガリバー旅行記」などもすこし影響があるのだろうか。
 行動が固定化された集落の人たちが次々と出てくる中で、人類を救いたいという動機を持ち、自分で考え、おびえたり苦しんだりしながらも前に進んでいく主人公たちの姿は、たよりなげでもかっこういいものである。
 最近のSFが21世紀らしい洞察と複雑な構成で読者を楽しませてくれるが、こういう職人肌の古いSFもいいね。ジョン・ブラナーの作品はまだあまり読んでいないので、きちんと読んでみようと思う。
2018.8.5

アルマダ

アルマダ ARMADA
アーネスト・クライン
2015
 80年代から、こういう妄想ってあったよなー。当時だとゲームセンターのシューティングゲームが実際の攻撃訓練になっていて、強い人が選ばれて実戦に使われるとか、ゲーム自体が実戦とつながっているとか。
 SFでもあったよね、「エンダーのゲーム」「終わりなき戦い」とか。
 21世紀だもん。リミックスだよおっかさん。
 生まれてすぐに19歳の父ちゃんが事故で死んじゃった主人公のザック君。ゲーム中心の生活で寝ても醒めてもゲーム。宇宙空間での異星人との戦争ゲーム「アルマダ」はネットゲームで、バリバリのゲームPCを使って、ザック君、いまや全世界のランキングで6位! 高校卒業も迫るなか、進路も決めず、卒業もぎりぎりの状態だけど、ランキング6位! アルマダの世界では超有名人なのだ。
 死んだ父ちゃんは、SFファン、SF映画ファン、ゲームマニア。
 こりゃあ父ちゃんの血を色濃く引いているなあ。
 母ちゃんは息子の高校卒業が心配、その先が心配、でも、息子が命を賭けているゲームを止めるほど野暮じゃない。だって、そんな父ちゃんを愛した母ちゃんだから。
 ザック君、授業中に外を見ていたら、ゲームの中で出てくる戦闘宇宙船と同じ機体が空を飛んでいるのを見てしまう。さて、これは幻覚か、それとも本当の世界が目の前に現われたのか。そういえば、父ちゃんは、この世界に隠された秘密があると信じていて、そういう調査ノートを作っていた。あんまりに「陰謀脳」だと思ったから、そのノートのことは捨てるつもりだったのだけど、もう一度、そのノートを見なきゃ。ゲームもなんだか大きなイベントが夜に控えている。同級生の悪ガキはおとなしい同級生をいじめているし、むかつく。高校生も大変だ。助けになるのは、バイト先の中古ゲームマシン店のおおらかな店長ぐらい。長年、つぶれもせずに、ザック君をやとっては、二人でゲームを楽しんでいる。
 おーい、それってちょっとあやしくないかー。
 というわけで、ネタバレが怖くない作品だ。
 当然、ザック君の目の前に宇宙船がやってきて、ザック君をリクルートする。
 当然、戦いは始まるし、戦いになると、あの人がやってくるし、敵はあれだし、結末はあーだし。大丈夫、みんなどこかで知っている話だから。
 いや、これまでSF読んでなくても大丈夫。
「スターウォーズ」は見たかい? 「スタートレック」「未知との遭遇」「ET」「2001年宇宙の旅」「エイリアン」「トランスフォーマー」「パシフィックリム」「メン・イン・ブラック」あははははっは。どれか見てればだいたい分かる。
「ガンダム」でもいい。
 読める、筋書きが読めるぞ。ハリウッドエンターテイメントの匂いがする。
 いや、けなしているんじゃない。
 軽く楽しく、SFファン魂を昇華してくれる。
2018.5.7

アルテミス

アルテミス
アンディ・ウィアー
ARTEMIS A Novel
2017
 2017年の海外SFを2018年頭には読めちゃえる時代。リンリン。
 舞台は月。時代は、ちょいと未来。月には月面都市アルテミスがあって、最初のドームシティのアームストロングを取り囲むように、オルドリン、コンラッド、ビーン、シェパードのドームシティができている。人口2000人。主要産業、観光。主要観光地、アポロ11号ビジターセンター。エネルギーは、2つの核反応炉でまかない、その電力でアルミニウムの精錬と、酸素の供給が行われている。アルミニウムの精錬原料は月の石。運営しているのはケニア・スペース・コーポレーション。ケニア政府が設立した複合企業体。通貨単位はスラグ。交換レートは地球からアルテミスへ1g運ぶ=1スラグ。単純明快。
「月は無慈悲な夜の女王」「月は地獄だ」「酸素男爵」
 月には大気がない。月の重力は地球の6分の1。近いけど遠い。遠いけれど近い。なにもないけれど、低重力はある。衛星には岩石など物質がいろんな形で存在している。宇宙の窓口。自然がつくった宇宙への階段の一歩。玄関口。
 1969年に人類ははじめて月に足跡を残した。アポロ11号。
 私は4歳。
 ずいぶんと長いこと、人は月に行っていない。月は変わらず、地球の周りにいる。
 2000人のうちのひとりが主人公。ジャズ・バシャラ。女性で、一般庶民で、何かやらかしかねないと目を付けられていて、技術職の父親と離反して、ひとりで、下層民として、ポーターをやりながら、EVA(ドーム外活動)のライセンスを取り、観光客相手にお金を稼ぎたいと心から思っている。お酒は好きです。お金は目標額があります。文通相手が地球にひとりいます。
 お金を稼ぐのに必要なのは知恵と勇気と策略と。小さな仕事で信頼を得たところで、ちょっと大きすぎる仕事を頼まれて、お金に釣られて引き受けて、そうしてアルテミスをゆるがす大事件に巻き込まれてしまう。
 もともと天才的な理解力と交渉力、それに加え、父親から厳しくしつけられた手仕事の段取りと技能はジャスを助け、裏切り、そして、成長させる。
 ストーリーのパターンは、「火星の人」と似たような感じ。できそうにないことを、ちゃんと科学的なつみあげと知恵と勇気で解決しようとする。本来的に明るく、前向きで、怖れず、立ち向かう力を持っている。ときにはくじけるけど、本当にはへこたれない。
 安心して読めます。
 ところで、この文章では、である調とですます調がまざっていて、書いていてもちょっと気持ち悪いのだけど、本書は、なぜか、(ルールはあるけど)これが混在しているので、読んでいて気持ち悪い。
 後書きで解説者が、翻訳が読みやすいと絶賛している。読みやすいですか?私はつらいです。原文を読んでいないので、必然性があるのかどうかも分からないし、最近のライトノベルなどの文体を知らないので、そういうのが普通になったのかとも思うけれど。すいません、慣れませんでした。
 でも一読の価値あり。夜更けまで読んじゃったもの。
 そうそう、労働者層が日常的に食べているのは月で培養された藻を乾燥させて味付けたもの。げろまず。
(2018.4.1)

シルトの梯子

シルトの梯子
SCHILD’S LADDAER
2001
グレッグ・イーガン
 難しい…。難しいよう。頭がついていかないよう。でも、おもしろかった。
 だってグレッグ・イーガンだもの。手に取るときから分かっていたさ。手に余るってことはね。
 遠い遠い未来の物語。人類は、新たな進化を遂げていた。宇宙を理解する理論は古典力学から量子論・一般相対性理論の理解を経て、量子グラフ理論となり宇宙の物理法則はサルンペト則で記述されることとなった。
 あーあああああああ聞こえなーい。そこからかーい。
 人類はホモ・サピエンスであることを離れ、非実体的存在として生きる者、実体をもち、移住した惑星で適応して生きる者、惑星から惑星へ、データとして飛び、目的地で実体化して旅を続ける者などがいる。彼らは子どもとして生まれるが、完全なる死は望まない限り存在しない。バックアップを取り、復活することができるからだ。アイデンティティが保たれる技術と、環境と自己の間で仲介する技術により、彼らはコミュニケーションを取り、生存を快適にし、姿形を変えることさえできるようになった。性もまた、他者を含む環境と自己の間でのアイデンティティとコミュニケーションの問題にすぎず、どの性であるか、どの性にするかに、それ以上の意味はなくなった。
 さて、物語。サルンペト則と量子グラフ理論の限界を確認する実験がミモザ星系にて行われた。
 その実験は驚くべき結果を生み出した。別の新しい時空を生み出したのだ。この宇宙を飲み込みながら、新しい時空が拡大を続けていく。人類は拡張した生存圏から少しずつ後退をよぎなくされてしまった。
 新時空が生まれて6世紀が過ぎ、この時空を理解・破壊・あるいは回避するための方策を研究・実験する施設リンドラーを、主人公チカヤが訪問する。チカヤは、数千年の過去を持つ、なんだか調整能力のある人のようだ。「ようだ」というのも、この世界では、リーダーとか、肩書きとかがあんまりないようで、チカヤの動機はあるが、リンドラーに招待されたわけでもなければ、ただなんとなく来ただけでもないようで、訪問し、同時に役割を自ら手に入れ、立場を示し、議論し、行動するひとり、といったところなのだ。
 20世紀風に言えば、政治家でもあり、科学者でもあり、旅人でもあり、冒険者でもあり、恋する青年であるとともに知恵を授ける老師といったところで、つまりは、チカヤという存在だ。
 リンドラーという限られた施設、まあ、大きな宇宙実験船みたいなものは、新時空の境界面に一番近いところにいて、その何か分からないものをなんとか理解しようとしているわけで、人も訪ねてくるが基本的には閉鎖空間。
 チカヤはそこで惑星時代にともにそだったマリアマと再開するが、マリアマが自分とは異なる立場で訪問したことを知る。子ども時代のできごと、リンドラーで繰り広げられる人間模様のなかに、事態は思わぬ方向に向けて進み始める。
 異質な存在となった人類を、ホモ・サピエンスの私たちに、理解できる程度に翻訳し、それでいて、難しいストーリーを成り立たせるグレッグ・イーガンの力業があってこそ、なんとか最後まで読み通すことができた。
 ただ、たいていのSFならば自分がちょっとかしこく、新しいビジョンを作者と共感できたと思えるのだけれど、これはー、まいった。いや、おもしろい、おもしろいんだけど、さすがに「むつかしー」が頭の中をぐるぐるしてしまう。
 読みながら、異質な存在を描いたスタニスワフ・レムの「ソラリス」や、この宇宙の中でも特異な環境にある中性子星における生命体の存在を描いた、ロバート・L・フォワードの「竜の卵」「スタークエイク」を思い出したよ。
 それから、ちょっとだけネタバレになるけど、「シルトの梯子」の宇宙では、人類のほか知的生命体は確認できず、かろうじて4つの惑星で生命の存在が知られるだけの死んだような静かな世界として描かれている。それを、未来の人類の末裔はとても寂しがっていたんだ。なによりも「生命」を尊び、その多様性に価値の基盤を置いていたからね。
(2018.2.4)