流れ星をつかまえろ

流れ星をつかまえろ
CATCH A FALLING STAR
ジョン・ブラナー
1968
 はるかなる未来、人類は小さな都市、集落として孤立し、それぞれの生活を営んでいた。自動化された機械、生物改造により生み出され、夜を照らす照明球や、植物のように育つ建物の中で人の記憶と感応する「歴史の館」、家も、食料も自動的に得られる世界。しかし、それを享受する人たちは、それらが「あたりまえ」のことで、技術は失われ、19世紀のようなライフスタイルとなっていた。
 主人公のクレオハンは天体望遠鏡をつかい、数百年後には地球に惑星規模の星が近づき、地球を崩壊させる事実を知る。そして、過去の人類の歴史の中に、それを食い止める技術があるはずだと、自らが暮らす退廃の都市を出て旅することを決意する。理解者のいない苦悩の中で唯一出会った海に暮らす女性のカリスとともに。
 旅をしながら、地球の、人類の変化を体験するふたり。十万年ほどに渡って人類は栄華と衰退を繰り返してきた。宇宙に出た人類もいれば、生命操作に心血を注いだ人類もいる。そのすべてがやがて滅び、いまの時代へとつながっているのだ。
 読み始めて3カ月ほどで読了。それほど長い作品ではないのだが、ちょっとしたタイミングで最初の数ページで停滞してしまった。旅が始まってからはおもしろく読む。椎名誠の「アド・バード」やブライアン・W・オールディスの「地球の長い午後」にも通じるディストピア遠未来ものである。地球の長い午後が1962年の作品だから、本作に影響を与えたのかもしれない。
 スイフトの「ガリバー旅行記」などもすこし影響があるのだろうか。
 行動が固定化された集落の人たちが次々と出てくる中で、人類を救いたいという動機を持ち、自分で考え、おびえたり苦しんだりしながらも前に進んでいく主人公たちの姿は、たよりなげでもかっこういいものである。
 最近のSFが21世紀らしい洞察と複雑な構成で読者を楽しませてくれるが、こういう職人肌の古いSFもいいね。ジョン・ブラナーの作品はまだあまり読んでいないので、きちんと読んでみようと思う。
2018.8.5

アルマダ

アルマダ ARMADA
アーネスト・クライン
2015
 80年代から、こういう妄想ってあったよなー。当時だとゲームセンターのシューティングゲームが実際の攻撃訓練になっていて、強い人が選ばれて実戦に使われるとか、ゲーム自体が実戦とつながっているとか。
 SFでもあったよね、「エンダーのゲーム」「終わりなき戦い」とか。
 21世紀だもん。リミックスだよおっかさん。
 生まれてすぐに19歳の父ちゃんが事故で死んじゃった主人公のザック君。ゲーム中心の生活で寝ても醒めてもゲーム。宇宙空間での異星人との戦争ゲーム「アルマダ」はネットゲームで、バリバリのゲームPCを使って、ザック君、いまや全世界のランキングで6位! 高校卒業も迫るなか、進路も決めず、卒業もぎりぎりの状態だけど、ランキング6位! アルマダの世界では超有名人なのだ。
 死んだ父ちゃんは、SFファン、SF映画ファン、ゲームマニア。
 こりゃあ父ちゃんの血を色濃く引いているなあ。
 母ちゃんは息子の高校卒業が心配、その先が心配、でも、息子が命を賭けているゲームを止めるほど野暮じゃない。だって、そんな父ちゃんを愛した母ちゃんだから。
 ザック君、授業中に外を見ていたら、ゲームの中で出てくる戦闘宇宙船と同じ機体が空を飛んでいるのを見てしまう。さて、これは幻覚か、それとも本当の世界が目の前に現われたのか。そういえば、父ちゃんは、この世界に隠された秘密があると信じていて、そういう調査ノートを作っていた。あんまりに「陰謀脳」だと思ったから、そのノートのことは捨てるつもりだったのだけど、もう一度、そのノートを見なきゃ。ゲームもなんだか大きなイベントが夜に控えている。同級生の悪ガキはおとなしい同級生をいじめているし、むかつく。高校生も大変だ。助けになるのは、バイト先の中古ゲームマシン店のおおらかな店長ぐらい。長年、つぶれもせずに、ザック君をやとっては、二人でゲームを楽しんでいる。
 おーい、それってちょっとあやしくないかー。
 というわけで、ネタバレが怖くない作品だ。
 当然、ザック君の目の前に宇宙船がやってきて、ザック君をリクルートする。
 当然、戦いは始まるし、戦いになると、あの人がやってくるし、敵はあれだし、結末はあーだし。大丈夫、みんなどこかで知っている話だから。
 いや、これまでSF読んでなくても大丈夫。
「スターウォーズ」は見たかい? 「スタートレック」「未知との遭遇」「ET」「2001年宇宙の旅」「エイリアン」「トランスフォーマー」「パシフィックリム」「メン・イン・ブラック」あははははっは。どれか見てればだいたい分かる。
「ガンダム」でもいい。
 読める、筋書きが読めるぞ。ハリウッドエンターテイメントの匂いがする。
 いや、けなしているんじゃない。
 軽く楽しく、SFファン魂を昇華してくれる。
2018.5.7

アルテミス

アルテミス
アンディ・ウィアー
ARTEMIS A Novel
2017
 2017年の海外SFを2018年頭には読めちゃえる時代。リンリン。
 舞台は月。時代は、ちょいと未来。月には月面都市アルテミスがあって、最初のドームシティのアームストロングを取り囲むように、オルドリン、コンラッド、ビーン、シェパードのドームシティができている。人口2000人。主要産業、観光。主要観光地、アポロ11号ビジターセンター。エネルギーは、2つの核反応炉でまかない、その電力でアルミニウムの精錬と、酸素の供給が行われている。アルミニウムの精錬原料は月の石。運営しているのはケニア・スペース・コーポレーション。ケニア政府が設立した複合企業体。通貨単位はスラグ。交換レートは地球からアルテミスへ1g運ぶ=1スラグ。単純明快。
「月は無慈悲な夜の女王」「月は地獄だ」「酸素男爵」
 月には大気がない。月の重力は地球の6分の1。近いけど遠い。遠いけれど近い。なにもないけれど、低重力はある。衛星には岩石など物質がいろんな形で存在している。宇宙の窓口。自然がつくった宇宙への階段の一歩。玄関口。
 1969年に人類ははじめて月に足跡を残した。アポロ11号。
 私は4歳。
 ずいぶんと長いこと、人は月に行っていない。月は変わらず、地球の周りにいる。
 2000人のうちのひとりが主人公。ジャズ・バシャラ。女性で、一般庶民で、何かやらかしかねないと目を付けられていて、技術職の父親と離反して、ひとりで、下層民として、ポーターをやりながら、EVA(ドーム外活動)のライセンスを取り、観光客相手にお金を稼ぎたいと心から思っている。お酒は好きです。お金は目標額があります。文通相手が地球にひとりいます。
 お金を稼ぐのに必要なのは知恵と勇気と策略と。小さな仕事で信頼を得たところで、ちょっと大きすぎる仕事を頼まれて、お金に釣られて引き受けて、そうしてアルテミスをゆるがす大事件に巻き込まれてしまう。
 もともと天才的な理解力と交渉力、それに加え、父親から厳しくしつけられた手仕事の段取りと技能はジャスを助け、裏切り、そして、成長させる。
 ストーリーのパターンは、「火星の人」と似たような感じ。できそうにないことを、ちゃんと科学的なつみあげと知恵と勇気で解決しようとする。本来的に明るく、前向きで、怖れず、立ち向かう力を持っている。ときにはくじけるけど、本当にはへこたれない。
 安心して読めます。
 ところで、この文章では、である調とですます調がまざっていて、書いていてもちょっと気持ち悪いのだけど、本書は、なぜか、(ルールはあるけど)これが混在しているので、読んでいて気持ち悪い。
 後書きで解説者が、翻訳が読みやすいと絶賛している。読みやすいですか?私はつらいです。原文を読んでいないので、必然性があるのかどうかも分からないし、最近のライトノベルなどの文体を知らないので、そういうのが普通になったのかとも思うけれど。すいません、慣れませんでした。
 でも一読の価値あり。夜更けまで読んじゃったもの。
 そうそう、労働者層が日常的に食べているのは月で培養された藻を乾燥させて味付けたもの。げろまず。
(2018.4.1)

シルトの梯子

シルトの梯子
SCHILD’S LADDAER
2001
グレッグ・イーガン
 難しい…。難しいよう。頭がついていかないよう。でも、おもしろかった。
 だってグレッグ・イーガンだもの。手に取るときから分かっていたさ。手に余るってことはね。
 遠い遠い未来の物語。人類は、新たな進化を遂げていた。宇宙を理解する理論は古典力学から量子論・一般相対性理論の理解を経て、量子グラフ理論となり宇宙の物理法則はサルンペト則で記述されることとなった。
 あーあああああああ聞こえなーい。そこからかーい。
 人類はホモ・サピエンスであることを離れ、非実体的存在として生きる者、実体をもち、移住した惑星で適応して生きる者、惑星から惑星へ、データとして飛び、目的地で実体化して旅を続ける者などがいる。彼らは子どもとして生まれるが、完全なる死は望まない限り存在しない。バックアップを取り、復活することができるからだ。アイデンティティが保たれる技術と、環境と自己の間で仲介する技術により、彼らはコミュニケーションを取り、生存を快適にし、姿形を変えることさえできるようになった。性もまた、他者を含む環境と自己の間でのアイデンティティとコミュニケーションの問題にすぎず、どの性であるか、どの性にするかに、それ以上の意味はなくなった。
 さて、物語。サルンペト則と量子グラフ理論の限界を確認する実験がミモザ星系にて行われた。
 その実験は驚くべき結果を生み出した。別の新しい時空を生み出したのだ。この宇宙を飲み込みながら、新しい時空が拡大を続けていく。人類は拡張した生存圏から少しずつ後退をよぎなくされてしまった。
 新時空が生まれて6世紀が過ぎ、この時空を理解・破壊・あるいは回避するための方策を研究・実験する施設リンドラーを、主人公チカヤが訪問する。チカヤは、数千年の過去を持つ、なんだか調整能力のある人のようだ。「ようだ」というのも、この世界では、リーダーとか、肩書きとかがあんまりないようで、チカヤの動機はあるが、リンドラーに招待されたわけでもなければ、ただなんとなく来ただけでもないようで、訪問し、同時に役割を自ら手に入れ、立場を示し、議論し、行動するひとり、といったところなのだ。
 20世紀風に言えば、政治家でもあり、科学者でもあり、旅人でもあり、冒険者でもあり、恋する青年であるとともに知恵を授ける老師といったところで、つまりは、チカヤという存在だ。
 リンドラーという限られた施設、まあ、大きな宇宙実験船みたいなものは、新時空の境界面に一番近いところにいて、その何か分からないものをなんとか理解しようとしているわけで、人も訪ねてくるが基本的には閉鎖空間。
 チカヤはそこで惑星時代にともにそだったマリアマと再開するが、マリアマが自分とは異なる立場で訪問したことを知る。子ども時代のできごと、リンドラーで繰り広げられる人間模様のなかに、事態は思わぬ方向に向けて進み始める。
 異質な存在となった人類を、ホモ・サピエンスの私たちに、理解できる程度に翻訳し、それでいて、難しいストーリーを成り立たせるグレッグ・イーガンの力業があってこそ、なんとか最後まで読み通すことができた。
 ただ、たいていのSFならば自分がちょっとかしこく、新しいビジョンを作者と共感できたと思えるのだけれど、これはー、まいった。いや、おもしろい、おもしろいんだけど、さすがに「むつかしー」が頭の中をぐるぐるしてしまう。
 読みながら、異質な存在を描いたスタニスワフ・レムの「ソラリス」や、この宇宙の中でも特異な環境にある中性子星における生命体の存在を描いた、ロバート・L・フォワードの「竜の卵」「スタークエイク」を思い出したよ。
 それから、ちょっとだけネタバレになるけど、「シルトの梯子」の宇宙では、人類のほか知的生命体は確認できず、かろうじて4つの惑星で生命の存在が知られるだけの死んだような静かな世界として描かれている。それを、未来の人類の末裔はとても寂しがっていたんだ。なによりも「生命」を尊び、その多様性に価値の基盤を置いていたからね。
(2018.2.4)

ネクサス

ネクサス
NEXUS
ラメズ・ナム
2012
「シンギュラリティ」「ポストヒューマン」なんていう言葉がSFの世界だけでなく、一般の雑誌や新聞、あるいはテレビやラジオといったメディアにも登場するようになった2017年。仮想現実(VR)技術もすすんでいるが拡張現実(AR)技術もポケモンGOの
登場で一般化された2017年。
 個人的なことでは、昨年、今年とほとんどSFを読む機会がなかった。SFどころか本を読む時間がとれなかった。もともと人との対話とデータ収集、整理、執筆、企画といった仕事を長く続けていて、フリーランス兼必要に応じてどこかに勤務するという形態をとっていたのだが、自宅での手仕事を中心とした商いに力点を置いたので、時間配分ができなくなったのだ。少しずつ時間をつくっては読んでいたのだが、その1冊が本書「ネクサス」である。
 舞台は2040年、アメリカ、タイ。ネクサスとよばれるナノマシン薬物は、使用した人を「つなげる」ことができる。近くにいるネクサス使用者同士は、薬物が体内にある間、その脳と脳をリンクすることとなる。相手の感情、記憶、思考が双方向で分かるようになる。ネクサス3はアメリカで違法薬物とされていたが、主人公の神経科学者ケイデン・レインは、仲間とともに永続的にネクサス使用を可能にし、なおかつ、ネクサスそのものを自身の脳によってプログラム可能となるようなシステム開発にも成功していた。これらをレインはネクサス5と呼んでいた。
 2030年代のトランスヒューマン技術によるテロをきっかけに、アメリカでは遺伝子工学、クローン技術、ナノテク、人工知能など、トランスヒューマン、ポストヒューマンを生み出しかねない研究への厳しい規制と、トランスヒューマン、ポストヒューマンに対して人権を認めない法整備を整え、新型リスク対策局(ERD)を設けていた。
 一方、世界では、これらの技術はアメリカほどの規制を行わない国もあり、アメリカは危惧をいだいていた。
 ERDは、ケイデン・レインらのネクサス5の存在を疑い、自らの強化人間化した特別捜査官サマンサ・カタラネスを潜入させる。
 それが、はじまりだった。
 最近読んだ本では、ピーター・ワッツの「エコープラクシア」が、ポストヒューマン、トランスヒューマンの両方を書いていた。この作品は「ブラインドサイト」の続編だが、前作よりも「エコープラクシア」の方が、人の変貌を分かりやすく描いていたと思う。
 そんな新しい世界がどのようにはじまるのか、人工知能によるシンギュラリティの起きない世界で起きる、人間によるシンギュラリティの物語、それが「ネクサス」。
 作品自体は、編集者の釣書はSFスリラーと銘打たれているように、近未来サスペンスとか、サスペンスアクションといったおもむきのストーリー展開で、読み手を飽きさせない軽い読み物に仕立て上げられている。考えてみれば、かつての超能力者ものと仕掛けはそう大して変わらない。超能力に目覚めた(手に入れた)主人公と、すでにある程度の超能力をもつ存在、そして、体制側の超能力者や敵対する超能力者。超能力者を規制、迫害しようとする体制。そんな陰謀と戦いの中で、主人公は目覚める、みたいな。
 ファンタジーとしてみれば、現代的魔法使いものも同様だ。
 いよいよ魔法と科学の区別がつかなくなってゆく。
 三部作とのこと、続編を楽しみにしている。
(2017.12.25)