エコープラクシア 反響動作

エコープラクシア 反響動作
ピーター・ワッツ
ECHOPRAXIA
2014
「ブラインドサイト」の続編。前作も、むむむ、って感じで、本作も、むむむ。おもしろい。ひとつの視点提示ではある。この10年ほど、脳科学とか認知とか進展をおいかけていないからなあ。
 人類がDNA技術で再生した天敵・吸血鬼の認知、人類がポスト人類として脳を連結させる集合知性体、変わらないベースライン(現生人類)と、その能力の拡張、天国と呼ばれる仮想空間に逃げ込む存在。前作で起きた異性知性とみられる存在の地球へのアクセスと、それに対しての人類側が送り込んだ探査船テーセウスの存在が、ベースライン、複数のポスト人類群、さらには、前作で出てきた異星の存在。
 神という存在の認識、自由意志、自意識というものの本質、仮説と科学論文をうまく消化させて読者に提示した作品。
 むむむ。
 いつか再読。
(2017年5月)

マイルズの旅路

マイルズの旅路
ロイス・マクマスター・ビジョルド
CRYOBURN
2010
「外交特例」に続く、ヴォルコシガンシリーズ最新刊にして最終刊。「外交特例」もSFミステリーだったが、「マイルズの旅路」もまた、SFミステリー。冷凍保存技術が進みすぎた日本っぽい惑星「キボウダイニ」を舞台に、マイルズの誘拐にはじまる冒険。なじみ深いキャラクターが水戸黄門のように事件を解決していく。そして、最終刊らしい終わり方に。「外交特例」と合わせて、ヴォルコシガンシリーズを楽しんできた人へのささやかな贈り物。
(2017年春)

星群艦隊

星群艦隊
アン・レッキー
ANCILLARY MERCY
2015
「叛逆航路」3部作の3作目。大団円? 前作「亡霊星域」の続編というか、2部作の後半という感じ。ただ、前作よりも舞台は派手で、主人公ブレクの活躍はなばなしい。なんといってもブレクは階級、人種(人類かAIかも含め)、出自、立場で差別が起きることにとても敏感で怒りをもって動く。最終的に自分の存在・自由意思が誰かによって操作、支配されることに対して怒りをもって動く。そのために必要ならば世界を変える。その強い意志を持つ。そういう物語。
(2017年春)

アナンシ号の降下

アナンシ号の降下
ラリー・ニーヴン&スティーヴン・バーンズ
THE DESCENT OF ANANSI
1982
1986年9月に創元推理文庫から出版されている。1986年1月28日、スペースシャトルチャレンジャーが打ち上げ直後に爆発。本書の邦訳が、この事故を受け手のものか、それ以前から準備されていたものなのかは知らないが、2016年にはじめて読んだ者としては、「もうひとつの歴史」小説のように読めて実におもしろかった。
ストーリーは、単純明快。スペースシャトル計画が順調にいった未来。1980年代の日本の世界的経済成功がバブルの破綻で終わらなかった未来。
月の軌道上には1隻の宇宙船を元に、多くの宇宙へ放出された廃棄物(燃料タンクなどなど)を集め、設備を拡張し、月軌道上研究施設としてNASAとアメリカ政府の管理下の組織として研究者らも集めてきた。月面にはマスドライバーも設置され、軌道上で可能な素材や医薬品等の開発、供給などで、その存在は社会に認められていた。
組織の名前はフォーリング・エンジェル。いま、新たに軽く、強度が高い、あらたなケーブル素材が開発された。それは、地球上の橋の建設や宇宙での構造物に大きな変革を与えるだろう。
このケーブルの売却益をあてに、フォーリング・エンジェルは、NASAとアメリカ政府から独立した宇宙上の企業として独立の道を選んだ。
入札に参加したのは、アメリカ政府の意向を気にしなかった日本の建設会社と、ブラジルの企業。しかし、日本とブラジルの企業の中に、企業を裏切り、このケーブルをめぐって陰謀を企てる者が出てきた。
陰謀は、回教徒活動家戦線連合に対して、武器を供与し、ケーブルを月軌道上から地球に届けるためのスペースシャトルを攻撃するというものだった。
実際に攻撃が行われる中、完全な破壊を逃れたスペースシャトルの乗組員たちは、無事、地球または月軌道上のフォーリング・エンジェルに帰還できるのか?
というもの。
本書が書かれた当初には、スペースシャトル計画は遅れながらも前に進んでいたし、日本の経済は膨張を続けていた時期である。
まだ、ソヴィエト連邦は解体しておらず、ブラジルの発展は緒についたばかり。
このときに読んでいれば、地球圏軌道上の宇宙開発への期待をめぐるサスペンスとして読んだことだろう。
しかし、2016年の今日、スペースシャトル計画は終わり、日本は経済的に失速し、ISといった国際テロ組織と国家の闘いが世界の政治体制を変えつつある。だから、「もうひとつの歴史」小説である。
いま、読んでも実におもしろい。
(2016.8.22)

アンドロメダ突破

アンドロメダ突破
ANDROMEDA BREAKTHROUGH
フレッド・ホイル&ジョン・エリオット
1964
「アンドロメダのA」の続編。続編あったんだ。昭和56年3月に発行されているから、高校1年の終わり頃、かな。たぶん。続編ということは、前段のネタバレになるわけで、こういうのが一番感想を書きにくいのだけど。
 打って変わって、気候変動ものと言ってもいいかも。世界中で急激に暴風雨が吹き荒れ、海面が上昇し、あろうことか大気まで薄くなってきた。この原因は何か? アンドロメダからの贈り物である有機系連動スーパーコンピュータが生み出したのか?
 この地球規模の危機に対し、各国は利害を超えて対応できるのか? 科学者は倫理を持つことができるのか? 多国籍企業は「人類の危機」に立ち向かえるのか、立ち向かう気があるのか? 「アンドロメダのA」はタイトルを印象深く覚えていたのに、続編のことはまったく頭になかった私はなんだったのだろうか? そうして、2016年、30年以上の時を経て、中古本セールで入手してしまったが、一体、何人がこれを覚えているのだろうか?
 SFの多くは時間軸の関係で、できごとが急速に起きる。
 しかし、実際の気候変動は、じわりじわりとやってきて、80年代に「異常気象」と言っていたものが当たり前になり、爆弾低気圧とか、異常高温とか、異常低温とか、竜巻とか、40度前後の気温の夏とか、雪の降らない冬とか。そうやって、気配を感じさせながら、危機を予感として感じさせるものなのだろう。正常化バイアスは、政治家にも、科学者にも起きることは、東日本大震災および東京電力福島第一原子力発電所事故とその後の対応で存分に学んだし、学び足りない。
 宇宙から助けは来ないし、科学者が解決策を思いつき、一気に状況が改善されることもない。おそらくそれでいいのだろう。時間をかけてなんとかしていくしかないのだから。
 本書の中で、科学者である主人公と主要登場人物は、政治的リーダーに責められる。今の事態を招いたのは、科学者の知的好奇心とやってみたいという自己満足の結果ではないのか? そのために多くの人が死に、そしてまた、それを解決するために科学を使うというが、それで責任を逃れることになると思うのか、と。
「あれはどんな実験でも起こりえたことです。わたしが間違いをおかしたのです」
「あなたの間違いを訂正するために、さらに何百万の人々が死ななければならない」「政治家の誤謬は時として高価なものにつきます。そして企業家はそれから利益をあげようと全力を尽くすこともあります。しかしあなた方科学者は違う。世界の人々の半分を殺戮してしまう。しかも、残りの半分もあなた方がいなければ生きていけないのです」
 科学者である作者のフレッド・ホイルの、科学への信頼と科学への怖れを感じる一文であった。
(2016.8.14)