軌道学園都市フロンテラ

軌道学園都市フロンテラ
THE HIGHEST FRONTIER
ジョーン・スロンチェフスキ
2011
 近未来SFの設定として、50年後、100年後というのはひとつの目安となるのだろう。しかし、意外と難しいのも、この近未来というやつだ。50年前に書かれた50年後の舞台にしたSFを読めば、それは容易に想像できる。特にコンピュータ、宇宙技術、政治、環境・人口については、なるほどと思うことよりは、そりゃないわ、と思うことの方が多くある。それだけに難しいことだが、生きていれば手に届きそうで届かない少し先の可能性という点で、人は近未来SFに惹かれるのだろう。そして、作家は、その難しい作品に挑むのだ。50年後ならば、生きているうちに、そうして、その作品が残っていれば、評価を目の当たりにすることとなる。だから、特に100年後は人気がある。作家は、自分が生きていないことを想定できるからだ。
 まず、そんなことをつらつらと思うことになった作品である。舞台は2112年。つまり、書かれた頃から約100年後。現在予想されているよりも、気候変動が激しくなり、オゾン層はほとんど破壊され、海洋は上昇し、低地の都市は海に沈み、ハリケーンは荒れ狂い、海底のメタンハイドレートは時折爆発し、大気は乾燥をはじめ、年の半分近くが夜となる南極大陸の一部が重要な穀倉地帯になる時代。ケスラーシンドロームによりデブリに満ち、時には放射性物質を含む大きなデブリが地球に落ちてくる時代。
 そうして、もうひとつ、異星生命体とみられる危機状況で青酸ガスを放出する巨大細胞生命体が各地に増殖をはじめている世界。
 舞台はアメリカ。世界の覇権であることは変わらないが、現在の二大政党が中心となった統一党と、宗教的性格の強い中心党のうち、近年は中心党が政権を占めるアメリカ。
 主人公はジェニファー・ラモス・ケネディ。双子の兄を事故で亡くしたばかりで、軌道上のコロニー都市にあるフロンテラ大学に入学することになった、政治家家系の娘。
 主な舞台は、ジェニファーが通う軌道学園都市フロンテラ。
 技術的には、遺伝子改変、細菌を利用した宇宙エレベーターケーブル、トイネットと呼ばれる拡張バーチャルリアリティ空間技術による通信、仮想現実でのコミュニケーション。
 主人公のジェニー(ジェニファー)は、生物学にくわしく、政治学にも興味を持ち、スラン(!)という、精神波的なものでボールを操作する低重力スポーツの選手であるとともに、政治家としては致命的な「知らない人に向けて話をすることが難しい」特徴を持ち、兄の死により精神的にも不安定だと見なされている存在。一方で、緊急時の医療補助ボランティアとして訓練を積み、人を助けることを自らに課し、信頼されている存在でもある。
 同室となった女性は、全身擬体で、コミュニケーションも満足にできない、トイネットも使えない補欠入学者。友人となった女性は、病的かつ天才的なハッカーで、それゆえに、コロニー送りとなったセレブの娘。
 性の多様性、思想、行動の多様性が確保された世界で、メディアにより情報は操作されている。家族も関わる大統領選は近く、その行く末によっては地球の将来も左右される。方や地球を「生活可能な惑星」に回復しようと考えており、方や地球はやがて放棄せざるを得ないと考えているからだ。
 そうして、ジェニーの大学生活がはじまった。
 読み始めてすぐに「科学技術という魔法の世界のハリー・ポッター」だと気がついた。いや、模倣とかそういうことではなく、隔離された特別な大学に集まる特異な才能の学生、特異な性格や行動をする教授陣、同じコロニーに暮らす入植者(農夫)たち、大学を維持するために働く技術者、外の世界の政治、そして、魔法の代わりの科学技術。相互に関わり、成長する学生たち。
 大人のためのハリー・ポッター物語なのかもしれない。
 同時に、ハリー・ポッター以上に、階級の物語でもある。
 主人公をはじめ登場人物のほとんどが、持てるものたちであり、周辺に持たざるものたちがいる。そして、登場してこない背景としての持つことのないものたち。それは厳然としており、よほどのことがなければ、変わることはない。
 階級は固定されている。それが近未来。いや、現代を反映した近未来の物語なのである。
 とてもおもしろい作品であったのだが、複雑な気持ちになってしまった。
 
(2015.11.11)

虚像のエコー

虚像のエコー
ECHO ROUND HIS BONES
トマス・M・ディッシュ
1967
 1990年。1970年代末にはベトナム戦争は終わったが、米ソ冷戦は激化し、いまにも核戦争が起きそうな情勢となっている、2015年の今となっては古い未来。書かれたのが1967年で、ベトナム戦争真っ最中である。
 主人公のハンサード大尉は、ベトナム戦争を経て、陸軍の特別な部隊に配属されていた。
 その部隊は、秘密裏に開発された装置を使い、地球と火星を瞬時に移動することができた。装置はその部屋に入ったあらゆる物質を転移させることができる。ハンサード大尉は地球から火星へ赴任する際に、将軍から直接の秘密指令を受け取った。それは、1990年6月1日に、敵に対して核攻撃を行うというものであった。そうなれば、地球人類は破滅するであろう。転移技術を持つ故に、一部部隊が火星にいるアメリカ。月にはロシア人。それ以外のことを想像するだに恐ろしい核戦争。ハンサード大尉は、そして火星の将軍は、政治家たちがいつものように2週間のうちに命令を撤回するものと信じ、願っていた。荒涼とした火星の基地で。
 もうひとつ、物語は別の様相を示す。ハンサード大尉が火星に転移された瞬間から、ハンサード大尉は別の世界にも登場する。この転移技術は、どうやら別の位相にエコーのような物質を形成するのである。この別の位相は、元の存在とは物質的に異なるため、同じ空間にいてもものを触ったり、音を聞くことはできない。しかし、光の性質により、元の世界の光を受けることはできるのだ。だから、見ることはできる。まるで幽霊のような存在になる。その幽霊のようなエコーは、生きるためには、物質転移機から同時にコピーされる空気や物質としての食糧などに依存する。転移される空気、水、食糧がなければ生きられないはかない存在なのだ。転移のたびに、エコー存在がつくられる。同じ人が地球から火星、火星から地球と行けば、2つの同じ位相のふたりの人間が同時に存在することになる。そして、そのことを、オリジナルは知るよしもない。
 という条件を背景に、ベトナム戦争の悪夢、核戦争の悪夢と愚かしさ、人間の愛を書いた作品とも言える。1967年とはそういう年だったのだ。
 現実には、ベトナム戦争はもう少し早くに終わり、幸いなことに2015年まで全面核戦争は起きておらず、核爆発は直接の兵器としては使われていない。
 本書は、古書店で売っていた「銀背」を入手、初読である。ディッシュといえば、「いさましいちびのトースター」を思い出されるが、今調べてみたら、2008年に自死されていた。本書を書いたのは27歳の頃と思われる。そういう風にして読むと、あらためてアメリカはベトナム戦争で深い深い傷を負ったのだな、と、思わずにいられない。
(2015.11.8)

大尉の盟約

大尉の盟約
CAPTAIN VORPATRIL’S ALLIANCE
ロイス・マクマスター・ビジョルド
2012
 ヴォルコシガンシリーズの「外伝」で、主人公はマイルズの同い年であり、友人?であり、親戚?であり、これまでのストーリーでも狂言回しの役ばかりだったイワン・ヴォルパトリル大尉。
 外伝的な作品だから、これまでの読者への暖かい贈り物といったところ。ユーモアと温かい人間関係と、親子・家族って複雑だよね、が、かかわる物語。このシリーズ、最近はミステリー的な要素も多いけれど、今回はそれもなし。グレゴール帝やヴォルコシガン聴聞卿の婚礼にまつわる物語と似た、もうひとつのお話し。最初の100ページも読めば、終わりは想像つくけれど、ちゃーんと、愛読者には、あれが、これが、それが、どれが、と、エピソードも満載。
 なんだか「後日談」っぽくなっているけれど、このあと、本書のストーリーが伏線となって、大事件が起きることを、将来に予感。
 ところで、2015年秋の今、横浜市で発覚したマンションの傾き問題。すごいね。杭が岩盤まで到達していなかったから、傾いたんだって。先日、雑誌「NEWTON」が、高層ビルの特集をしていて、地震がほとんどないけれど、岩盤もないドバイなど中東での超高層ビルは、多くの杭と杭をつなぐ筏によって「浮いている」状態でつくっているそうですよ。日本だと、地震や地下水が多いのでそれはできないんでしょうね。だから、強い岩盤から支える構図にして、陸上に出たところで、免震、制震にするんでしょう。
 地面の下って、宇宙や海以上に難しいのは「見えない」ってことだよね。だから、音波などを使って、固さや構造を調べるけれど、今の技術では、細部や組成が大まかにしか分からないのかな? 今、東電福島第一原子力発電所の事故で、溶け落ちた核物質を大量に含む燃料がどこにあるのか、宇宙線を使って調べるなんて技術が開発されているけれど(そうして、まだ不正確だけど)、そういうふうに、地下の組成や微細な構造などが分かるようになって、地下立体マップなんていうのが詳細に作られるようになるんだろうか?
 ということを、これから読む人はちょっとだけ頭に入れておくと、後半楽しいかも。
(2015.10.25)

明日と明日

明日と明日
TOMORROW AND TOMORROW
トマス・スウェターリッチ
2014
 近未来、10年前の10月21日にアメリカのピッツバーグが壊滅した。核テロにより、ピッツバーグは破壊され、人々が死に、放射能に汚染された立ち入ることのできないエリアとなった。ピッツバーグに暮らし、たまたまその日、離れていた人たちは、家族、友人、家、生活、仕事、故郷、すべてを失った。
 しかし、思い出は再構成された。あらゆるところに存在する監視カメラ、脳と連結されたインターネット空間により、視覚、聴覚、嗅覚、触覚のログをとっていた人たち、膨大な記録が再構成された。死者のプライベートなログも一定の制約の下に再構成され、あの日までの思い出に「立ち会う」ことができるようになっていた。電脳空間の中に構成されたピッツバーグのシティアーカイブ。主人公のドミニクは、亡き妻の思い出に浸るためシティアーカイブに深く深くのめり込む。同時に、彼はシティアーカイブの中で当時起きたピッツバーグでの事件、事故の事実確認作業を行っていた。保険会社に依頼を受け、死者(行方不明者)の原因を調査するのだ。ドミニクはひとりの若い女性の死体を調べていた。核テロとは関係なく起きている死。殺されたのか、事故か。殺されたとすれば、なぜ、だれに、どうして。その調査は、ドミニクの心をすり減らし、同時に、彼を別の深い事件の闇に巻き込んでいくのだった。
 大脳皮質に埋め込まれる端末により、電脳空間での拡張現実感はかなり現実的なものとなった。メール、チャット、仮想の対面、データサーチ、あらゆることが変化する。現実と拡張現実の双方を人々は生きている。現実の時間の矢は、方向も長さも変えられないが、拡張現実は、入るタイミング、出るタイミングを変えられる。ただし、時間の矢の方向、長さは変えられない。拡張現実の中での時間は、現実の時間間隔と同じなのだ。早送りはできないが、スキップはできる、と、言った方がいいだろうか。
 拡張現実は、それだけではない。ネットとのアクセス、ネットの中の島(アーカイブなど)へのログイン、できるとき、できないときがある。有料の場合も、パブリックの場合もある。つねにつきまとうアドウエア、ウイルス、なりすまし、乗っ取り。そして、拡張現実の改変。
 どちらの時間をどれだけ生きるか、それが、きっと、自己マネジメントとして重視されるのだろうな。
 ドミニクは、現実でも拡張現実でもすりへり、病み、そして、なんとかしようとする。失われた妻の思い出を取り返すために。
 ハードボイルド、サスペンスSFって感じかな。
 絶望的な世界での、絶望的な心の闇。
 犯罪も結構きついし、 ちょっと重い21世紀初頭の作品です。
(2015.10.10)

楽園炎上

楽園炎上
BURNING PARADISE

ロバート・チャールズ・ウィルスン
2013

 第2次世界大戦が起きず、紛争がなくなったもうひとつの地球。シミュラクラがいる地球。電波層というあらゆる電波を反射する層のある地球。真実を隠された地球。真実を知らずとも人間は幸せ?
 単発の長篇作品だが、「時間封鎖」「クロノリス」と同様に、地球にある状況が挿入され、私たちが知る歴史と違う歴史で、私たちと似たような人たちが右往左往する物語である。SFらしいといえばとてもSFらしい。
 この世界は、第1次世界大戦後、大きな内戦や紛争、戦争が起きなかった。1914年に第1次世界大戦は休戦する。私たちが知る歴史よりも早く第1次世界大戦は終わっていた。そうして、舞台は2014年、休戦100周年の年にはじまる。主人公は18歳のキャシー・アイヴァースン。2007年に両親を殺害され、叔母と弟とともに偽装人間(シミュラクラ)を恐れ、ひっそりと暮らす女性。
 もうひとりの主人公はイーサン・アイヴァースン博士。「連絡協議会」という秘密組織で、シミュラクラと「電波層」の正体を追及してきた組織の生き残りのひとり。キャシー姉弟を育てたネリッサの元・夫であり、2007年以降、ひとりでシミュラクラを避けて生きてきた。
 2014年11月。キャシーやイーサン、そのほか、生き残りの何人かの元へシミュラクラが再びその姿を現す。「それ」から逃れるための逃避行をはじめたキャシーと弟たち4人の子どもたち。同じく逃避行をはじめたネリッサとイーサン。
 なぜ、彼らはふたたび追われる身となったのか?
 地球はなぜ戦争が起きない世界になったのか?
 シミュラクラと「電波層」とは何者なのか、宇宙のどこから来て、何をしようとしているのか?彼らは侵略者なのか?
「楽園炎上」の世界は、人間が戦争を起こさない世界。それは、ある意味で楽園なのだろう。しかし、同時に、真実を知らされない世界でもある。真実を知らないままに、真実を少しずつねじまげながら、戦争が起こされず、人々が生きている世界。その真実の一端に気がついた人々が殺された世界。殺されたことさえ、報じられない世界。真実の一端を知る生き残りがおびえながら生きていかなければならない世界。
 しかし、もし、この楽園の異物を追いだしたら、果たして人間はふたたび戦争を起こすのではなかろうか? もし、この真実を皆が知ったら、果たして人間は他者を信じて生きていけるだろうか? 楽園は楽園のままがいいのか? 楽園から追放された人間は、生きていけるのだろうか?
 そういうふうに書くと、楽園を追放されたアダムとイブという聖書の記述が思い起こされる。そういうふうに読むと、キリスト教社会における作品の読み方と、非キリスト教社会での読み方には違いがありそうな気がする。
 作品は、シミュラクラが出てくるとか、歴史がずれているとか、とてもディック的なのだけれど、ディックのような意図/意図しないわかりにくさ、不気味さはなく、映画のシナリオのような分かりやすい世界の展開、ストーリー展開になっているので万人受け。映画化されてもおかしくない。

(2015.9.11)