地獄への門

地獄への門
RE-ENTRY
ポール・プロイス
1981
 初読。前作が「天国への門」で、同じ舞台の数百年後だからって、邦題を「地獄への門」とするのはいただけないけど、直訳で「再突入」とするわけにもいかないし、意味合いとしては、ブラックホールへの再突入だけでなく、「やりなおし」とか「もういっかい」みたいな意味もあるので邦題をつけるのが難しいのはわからなくもない「タイムパラドックス、多元宇宙論」作品。
 前作で発見された二重ブラックホールによるいくつかの星系へのジャンプの可能性。それを追及した結果、二重ブラックホールのネットワーク「宇宙の多島海」が開拓され、居住可能な星系に人類は広がりを見せていた。そうして数百年の時が経った。惑星ダーウィンは、恐竜生態系などが復元された観光を主産業とする辺境惑星である。ここに生まれ育ったフィリップ・ホールダーは、地球に暮らし、時を経て惑星ダーウィンに戻る宇宙船に乗っていた。彼は、ある目的を持っていた。
 アンジェリカ・クレイモアは地球の特別捜査官のようなもの。ブラックホール内で着陸艇を強奪し、いずこかに消えたフィリップ・ホールダーを調査するよう政府高官から求められた。ホールダーは、政府高官が権力を握るきっかけともなったある宇宙船事故で高官と同乗し、生存したひとりだったのだ。
 彼女は、地球でホールダーに二重ブラックホールによる多元宇宙と時間遡行の可能性を伝えた老科学者クラリッサ・サイクリックとともに、フィリップ・ホールダーの時間線を追うことにした。
 ということで、多元宇宙論とタイムトラベルものを組み合わせたような展開。これはSFの中でも一番難しいんだよね。単なるタイムトラベルものならば、時間線はひとつ。時間旅行者が自分自身と出会うことによるタイムパラドックスをどうするか、あるいは、それにより改変される歴史と、その未来をどうするか、という設定を考えればいい。多元宇宙論だけならば、無限にいる(可能性が実現化された)自分というものを軸に組み立てれば良い。多元宇宙論とタイムトラベルを組み合わせると話がとてもややこしくなる。なぜならば、タイムパラドックスは複数の時間線でのできごとであり、起きた現実を過去に変えようとすれば、それは別の時間線での結果になる。因果律はひとつの時間線では成立するが複数の時間線では因果律は破綻する。そこに、時間線を渡る者の主観というのも発生する。つまり、時間線を渡り、かつ、自分が存在していた時間よりも遡行したという行為によって近くの時間線の過去に行き、未来を変えたときに、はじめて、主観上、未来が変わったことになる。ね。ややこしいでしょう。
 ややこしいのを何とか書き上げようと努力したのが、本書「地獄への門」つまり、二重ブラックホールネットワークというアイディアを空間だけでなく時間に延長した作品を書こうとしたことで、「地獄への門」を開いてしまったのは、当の作者だったってことではなかろうか。
 私は読んだ端から忘れていくので、ストーリーを追いかけるのが大変でした。2回続けて読むと、展開が理解できるのだろうね。しかも、本作品は、ホールダーを仮想犯人、クレイモアが犯人を追う刑事という謎解きサスペンスものにしているからややこしい。そこに、さらに、全体に大きく影響する「サイクリック」という名前からして怪しい科学者が出てくるからややこしい。あーややこしい、ややこしい。だって多元宇宙だから。
(2015.6.13)

道を視る少年

道を視る少年
オースン・スコット・カード
PATHFINDER
2010
「道を視る少年」オースン・スコット・カード 2010 読了。カードらしい少年成長譚。タイムトリップものだが、ここもまたカードらしい設定。ちょっと分かりにくいが、「読ませる」カード。ところで、映画は見ていないけれど、ビーン続編の翻訳まだあ?
(2014.3.13)
 でさあ、本書の続編もまだあ?
 軽く紹介しておくと、どっかの惑星に人類がいる。産業革命以前って感じの惑星社会のようだ。リグっていう少年がいて、パスが見える。つまり人間や動物が通った跡(時間線)を見ることができる特異な能力を持っている。他にこういう人間はいないようだ。
 さて、この星の暦はちと変わっている。暦の起点が11191年で、そこから毎年カウントダウンされていく。でもって、物語は、マイナス3年。つまり、この惑星で人間の暦がはじまってから11194年目。なんだって、暦の起点が11191年なんだ? ってのがもうひとつの謎。
 それから、間に挟まるラム・オーディンと彼が率いる移民船の物語。地球で人類は滅亡の危機を迎え、2隻の移民船をつくった。1隻は通常空間を光速の1割で進みながら船内で世代交代を繰り返す船。もう1隻は、移民者が冷凍睡眠し、7年かけて太陽系を離脱、時空の折りたたみに成功すれば90光年を飛び越えて地球型惑星に到着、飛び越えられなければ、みな起きて、世代交代を行うことになるこの2隻目で唯一、パイロットとして生きて、起きた人間としているのがラム・オーディンなのである。彼は、消耗体と呼ばれる高度な人工知能を備えたアンドロイドや船内のコンピュータに試されながら、決断者として存在していた。
 リグの父親が死に、その後起きた事件をきっかけにリグは済んでいる村を離れることになる。そうしてリグの成長、出世?譚がはじまるのであった。
 で、タイムトリップものです。間違いなく。それ以上書くとネタバレになるけど、タイムトリップものであることは、著者の後書きにも書いてあるし、明記しておきたい。
 それに「異能」者が加わる。それにしても、それにしても、異才、異能だ。
 あ、この作品はシリーズで、第1作だからこれだけ読んでも読めるけど、「続きの翻訳まだあ」です。
(2015.6.13)

2312 太陽系動乱

2312 太陽系動乱

キム・スタンリー・ロビンスン
2312
2012

 2014年11月3日に読了。で今は、2015年6月。日々は過ぎる。分かりやすいねえ、2012年に出版された2312年の物語。あと300年後の世界。どんな世界でも、日々は疑似反復し、その中にも人生のすばらしさがある、ってもんよ。
 主人公はスワン・アール・ホンさん。アレックスって祖母がいて、水星の獅子って呼ばれ、水星の移動都市の人々をまとめ、土星系、木星系の人々とともに、地球との関係改善を模索していた中心人物でもあった。星系の人々が各居住衛星や惑星を移動するには、小惑星を改造した生活空間兼移動コロニーのようなものを使う。物語は、スワンとタイタンの外交官ワーラム、惑星間警察のジュネットを中心に金星社会、地球社会、そして、量子コンピュータの人工知能との関わり、スワンの求めていた人と人との関わりのあり方をめぐって進む。
 いろんな「小さな社会」が登場するが、何よりおもしろかったのは、惑星間を移動する際に使う小惑星に入ると、移動中は、たとえ外交官であっても役割がない。だから、そのコロニーに入ると、自分のできる短期の仕事をして、滞在費をまかなう。皿洗いだったり、調理だったり。それがあたりまえになっている。寿命は長く長くなっているから、「時間をうまく使う」こと、反復する日々をうまく生きること、を、人は身につける。楽しく、日々を反復し、そして、必要な時に、必要な集中力、交渉力、才能を発揮する。
 かつてアインシュタインが言った。物理学者は、日々、肉体労働をしながら思考をめぐらせればよい(意訳)、と。私もそうありたい。そういう社会でありたい。

 後書きにも書かれているけれど、著者の火星三部作の最後、「ブルー・マーズ」の翻訳、まだあ?

(2015.6.13)

大航宙時代

大航宙時代
QUARTER SHARE
ネイサン・ローウェル
2007
 ネイサン・ローウェルの第一長編で、作家デビュー作。アメリカ大陸を長距離トラックで輸送しているSF好きなドライバーがオーディオブックとして楽しむ。そこで人気が出て、紙の本になったそうだ。日本だと、落語になっちゃうのかな。
 長距離トラックのドライバーが好みそうな、大人のためのジュブナイル。古き良き自由経済のアメリカらしい作品である。
 2351年、ネリス星で物語は幕を開ける。惑星で仕事を持っていた母が事故で亡くなり、主人公のイシュメール・ホレイショ・ワン(18)は、90日以内に就職するか、惑星を退去しなければならなくなった。就職は無理。だってネリス星はネリス社しかなくて、未熟練労働者は不要。しかし、遺産では惑星を退去するお金には足りない。ネリス社に借金をして人生をはじめるか、軍に入隊するか、商船の船員になるか。選択肢はそれだけ。故に、船員になる道を選んだ。船員会館の受付の女性の紹介で、イシュメールは貨物船の最底辺の船員として乗り込む契約を結ぶことができた。
 彼の最初の仕事は司厨補助員。母親にみっちり仕込まれた「おいしいコーヒーをていねいに入れる技」で司厨長の信頼を得て、イシュメールは、星間商船のキャリアを積み始めるのだ。企業惑星を飛び出して、自由を!
 いろいろ書きたいことがあるような、ないような。
 コーヒーをていねいにおいしく淹れるには、まずコーヒーマシンをていねいに掃除することだ。汚れなし、澱なし。水もきれい。豆は挽き立て。そうして、おいしいコーヒーを人に出していると、人生うまくいくよ。
(2014.5.11、2015.6.3)

ブラインドサイト

ブラインドサイト
BLINDSIGHT
ピーター・ワッツ
2006
 基本的に吸血鬼ものは苦手だから、手を出さないでいたのが本書。宇宙もの、ハードSFだっていうから買って読むことに。「自意識って知性に必要?」ってお話しでした。読んだのが2014年4月で、今はちょうど1年後だけど、内容をすっかり失念している。また読まなければ、書けない。とほほ。自意識、知性の前に、記憶力がなくなってはね。
(2015.6.2)