パーンの竜騎士3部作(再読)

竜の戦士(1968)
竜の探索(1971)
白い竜(1978)

アン・マキャフリイ

 約20年前に感想を書いている本編3部作である。その際も再読だったのだが、あらためて本シリーズを読み直したくなった。理由は「テメレア戦記」を読んだからだ。作者のナオミ・ノヴィクも言及している通り、「テメレア戦記」に登場する竜は「パーンの竜騎士」の竜によく似ている。テメレアの竜は竜があたりまえに存在する世界において人が人の役に立つように品種改良したものだが、言語を持ち、人の言語を介し、まだ航空機のない時代に空を飛べない人を乗せて飛ぶ戦闘機でもあり、火を噴いたり、酸を吹いたり、巨大な空中戦艦のような種であったり、身軽な小型種など多様な種がいる。
一方、「パーン」の竜は、そもそもパーンが別の惑星であり、人類は遠い昔に入植し、その現地にいた竜に似た生きもの(火蜥蜴)を人が目的を持って品種改良した生命体である。その目的とは、変動する軌道を持つ別の惑星から不定期に降ってくる糸胞と呼ばれる悪性の侵略物を焼き払うためである。瞬間移動の能力と火を噴く能力を使って人を乗せ、糸胞が地上に落ちるのを防ぐのである。人の言葉を直接しゃべる能力はないが、テレパシーのように特定の人間や竜同士で意志を交わすことができる。
 このどちらの竜も、卵が割れて孵化するタイミングで近くに居て、なおかつ交感できる人間とつながることで、唯一無二のつながりを持つことになる。その関係性は異種間の共生のようなものであり、パートナーシップであり、優劣のない互恵関係でもある。そしてどちらの物語の魅力も、この人間と竜の関係性の深さが中心となる。
 もちろん、人間にも竜にも人間同士、竜同士の関わりがあり、人間と人間、人間と竜、竜と人間の関係性の複雑さが生まれる。この複雑さが物語に最大限に活かされている。読む方もちょっと大変である。人間の名前、竜の名前、それに地名や出来事の名前など把握するのが大変だからだ。特に私のように固有名詞を覚えられない人間にはやっかいだ。還暦近くなると忘却力がさらに増してしまう。おもしろいのにもどかしい。
 それでも、竜に浸りたい。そう思わせてくれたのが「テメレア」であり、あらためて日本で翻訳されている「竜騎士」シリーズをすべて読み直したいと思ったのである。翻訳されている「竜騎士」シリーズは手元にある。「テメレア」も続巻の7巻を入手してある。これからしばらく竜三昧ができそうだ。うれしい。

 さて、パーンの竜騎士であるが、本編3部作は遠い未来、居住可能な惑星パーンに入植した人類が、当初知られていなかった危機である他惑星からの糸胞による生命の破壊と大地の汚染への対応のうちに文明世界との接触を失い、技術や文明を失い、その中で生き延びるために新たな文明、社会を再構築する物語である。人々を守る竜騎士、土地を統べる領主、領地同士の関係性とは独立した立場を持つ職種集団で構成された中世的社会である。しかも前の糸胞の襲来から400年の時が経ち、人々の記憶から危機は薄れ、竜騎士も衰退する中で竜騎士の特権に対する不満が高まる状況において、糸胞が襲来するという物語であった。その解決を図りながら、徐々に世界の実相、失われた世界の秘密が明らかにされ、登場人物は生まれ、成長し、年を取っていく。成長譚としての物語、ファンタジーとしての驚くべき世界の魅力、SFとしての上手な謎解き、どの視点からも読める時を超える作品である。

 今回読み直して、2作、3作目で登場する「火蜥蜴」が実によい働きをしていることに気づかされるとともに、かわいいものだとほのぼのした。肉食の動物だからペットとして飼うのは現代日本では少々難しいが、猫ぐらいの知性と自由を持ち、犬ぐらいの従順さと働きを見せるのである。竜とつながるのはその食事の準備だけでも大変だが、火蜥蜴ならね。

 三部作の感想の詳しくは以前書いた通り。

竜の戦士
https://inawara.sakura.ne.jp/halm/2007/08/26/dragonflight/
竜の探索
https://inawara.sakura.ne.jp/halm/2007/09/20/dragonquest/
白い竜
https://inawara.sakura.ne.jp/halm/2007/09/20/the-house-dragon/

テメレア戦記Ⅵ 大海蛇の舌

TONGUES OF SERPENTS

ナオミ・ノヴィク
2010

 黒き気高きドラゴン・テメレアとその乗り手であるローレンスの旅は、ついに北半球を離れ、オーストラリア大陸へ。シドニー、そこは英国が開拓をはじめてそう長くないすさんだ開拓の町である。開拓者とは名ばかりで英国から送られてきた囚人たち。ある意味で島流し的な海兵たち、そこを取り仕切る植民地総督、あまりのひどい扱いに反旗を翻し、事実上統治しているニューサウスウェールズ軍団…。
 軍籍を剥奪されたローレンスと事実上厄介者扱いされたテメレアは、ドラゴンのいない植民地にドラゴンを導入する目的と称して3つのドラゴンの卵を渡され、それを守り孵すという仕事を与えられる。送迎の警備役のドラゴンとなじみ深いドラゴン輸送船に乗ってやってきたのは、そんなシドニー。
 そしてここでもいろいろあってドラゴンの卵のひとつを奪われてしまい、シドニーから大陸を縦断するはめに。広大な乾燥した大陸を、生まれたばかりのふたりの変わったドラゴンとともに旅するテメレアとローレンス。自然の中の新たな脅威、オーストラリアの先住民たち、そして意外な人物たち。ユーラシア大陸でも砂漠を経験し、アフリカ大陸でも果てのない旅を経験しているテメレアたちであるが、人が少なく、集落もほとんどないオーストラリアの地での経験はこれまでにはなかったものだった。

 もちろんナポレオン戦争はまだ続いているし、大航海時代において新天地オーストラリアはヨーロッパ人にも中国人にも、そして独立して間のないアメリカ人にとっても「開拓」すべき土地である。しかしもちろんそこには先住民がいて、さまざまな暮らし方や文化を持つ民族があるのである。
 軍籍はないが、軍にとっては欠かせないドラゴンの乗り手であるローレンスは、不遇の扱いを受けながら、「いま自分にできること」「いま自分がやるべきこと」「いま自分がやりたいこと」を考え、テメレアとともに行動するのであった。
 主戦場から離れたことで、テメレア戦記はまた違った「戦記」となっていく。前作に続き、後半の大きなターニングポイントとなる巻であった。

 それにしても、ローレンスもテメレアも休ませてくれないね。わくわくするけどちょっとかわいそうな気持ちにもなる。

テメレア戦記Ⅴ 鷲の勝利

VICTORY OF EAGLES

ナオミ・ノヴィク
2008

 19世紀初頭、蒸気機関は誕生したもののまだ帆船の時代。ナポレオンがヨーロッパを席巻しようとしていた時代のおはなし。この物語の世界では、ドラゴンが当たり前に存在し、思考し、話し、人とともに生きている。そんな戦争の時代のひとりの竜とその乗り手の物語
 第1巻でフランス軍から奪った竜の卵から孵ったのは中国皇帝ががフランスのナポレオンに贈呈した特別なドラゴンであった。英国海軍士官のローレンスはその竜に選ばれ、テメレアと名付けて空軍のパイロットとして転籍し、海軍と空軍の違いに戸惑いながらも、テメレアとの絆を深めた。第2巻では、その中国に海路で向かうこととなり、中国の竜事情に加え、中国、フランス、英国の大国間の騒動にも巻き込まれる。そして、第3巻では帰路を陸路でトルコ帝国をまずめざすことになる。ユーラシア大陸を西へ西へ。苦難の旅の物語。さらに第4巻では英国に戻ったものの仲間のドラゴンたちを助けるためにアフリカ大陸に渡ることになり、そこで奴隷制について深く怒りを覚えるテメレアであった。
 アフリカ大陸から英国に帰国したテメレアとローレンスの物語は、苦難の幕開けとなる。
 前作のとある事情からローレンスとテメレアは離ればなれとなる。そしてここからは、ローレンスの視点の物語から、ローレンスの視点、テメレアの視点と、人とドラゴンのそれぞれの視点から語られることになる。
 前作までの長い旅を通じて、ローレンスとテメレアの深い絆はより強固になった。それは、ローレンスの思考や行動を大きく変えるものとなる。もともとローレンスは有力な英国貴族の家に生まれ、本来ならば貴族としての道を選ぶべきであったが、生粋の真面目な性格と「国家に尽くしたい」という強い思い、さらには広い世界を見たいという冒険家的な一面から海軍士官となっていた。真面目で優秀かつ有能な青年士官はその出自もあり出世も早く有力艦の艦長となり、厳格かつ公正な上官として部下にも慕われる存在であった。一方で、貴族議員の父とは奴隷制廃止など政治的姿勢は共通するものの、貴族としてのあり方故に衝突していた。似たもの同士でもある。そんなローレンスが、ドラゴンのテメレアのパートナーとなり、世間的には低く見られる空軍の士官に転籍した。空軍とはドラゴンの軍であり、ドラゴンに選ばれた者がキャプテンパイロットであり、そのほかにはドラゴンに乗ってキャプテンを補佐する者、ドラゴンと人の世話をする者たちで構成される軍である。故に、ドラゴンの側に常に居ることとなり世間一般とは離れた存在になる。キャプテン候補は幼少期から空軍で将来のパイロット候補として訓練を受ける。そこに、海軍から突如キャプテンとなって転籍したのがローレンスである。そりゃあ風当たりも強くなろう。
 一方テメレアは生まれついての語学の天才であり、策略家であり、読書家であり、自由を最大の価値と知る、若く正義感あふれる王の風格を持つドラゴンである。他のドラゴンとの関係性、人間社会のありようをまっすぐなまなざしで見続ける。奴隷制を知り、中国でのドラゴンの扱いを知り、野生のドラゴンを知り、国家と法と「基本的人権」を知る。そんなテメレアとのつながりは、ローレンスを少しずつある意味で「解放」していくことになる。それはテメレアも望んだことであったが、それ故に、ローレンスは戦時下の英国軍人、貴族という社会から徐々に乖離してしまう。
 その結果が、第五巻の冒頭である。ローレンスとテメレアは離ればなれ。テメレアはひとり苦悩と寂しさの中にある。一方のローレンスもテメレアのことを思いながらも、せいせいと国家が自分に与えた状況を甘んじて受け入れようとしていた。
 折しも、そのような状況下、フランスのナポレオン軍が英国本土上陸急襲作戦を開始した。ローレンスの身を案じ、英国への忠誠の意義を失いつつある中でも、自分がいまいる場所である英国を守るため戦いをはじめるキャプテンなきテメレア。キャプテンの任を解かれ、テメレアの未来を案じながら英国にある意味で捨てられたのに英国への忠誠故に奮闘するローレンス。それぞれの絶望的な英国防衛戦争が幕を開けるのだった。

 いよいよ「テメレア」戦記である。テメレアの視点の物語描写によって物語は壮大になりアクション感も増し、「戦記」感も増す。ローレンスが悪いわけではないのだが、やはりこのシリーズはテメレアの物語なのだ。それは人間にもうひとつの視点を与える。人間はすぐに「他者」をこしらえる。そして「他者」には自分とは違う思考、行動、心があることを忘れてしまう。しかし、どんなに姿形が違っても、出自が、言葉が違っても、あるいは同じであっても、尊重されるべき存在なのだ。その尊重や尊厳を否定する者や枠組みこそが問題なのだ。テメレアははっきりとそれに気がつきはじめる。そして読者もテメレアの視点に考えさせられるのだ。

テメレア戦記Ⅳ 象牙の帝国


EMPIRE OF IVORY

ナオミ・ノヴィク
2007

 漆黒のドラゴン・テメレアと、その乗り手であるローレンスの物語も4巻目に入った。第3巻では中国からトルコ、プロイセンとユーラシア大陸を西へ西へと旅した一行であった。幾多の出会いと冒険と闘いとそして死と別れ。中国に行く間、ナポレオン戦争といわれるヨーロッパ中を巻き込んだ長い大戦からは少しだけ距離を置いていたテメレアとローレンスであったが、ヨーロッパに近づくにつれ、再びナポレオンの濃い影を見る。そしてそこには思わぬ強敵の姿もあった。苦しみの中でようやくローレンスにとっての故郷である英国に帰還したものの、時をおかずにアフリカ大陸をめざすことになる。
 イギリスをはじめヨーロッパにとってのアフリカとは奴隷貿易の地であった。すでに第2巻で中国に向かう途上、テメレアは奴隷貿易で奴隷船に乗せられるアフリカ人たちの姿を見て、自分達英国におけるドラゴンの位置づけや人間が人間を支配する姿に疑問をもっていた。今度はそのアフリカである治療薬を探すために率先してアフリカに入ることになる。それはローレンスにとっては辛く厳しい旅になり、テメレアにとっては闘うことの意味や竜の基本的権利、人間社会や国家との関係性などについて深く考える機会ともなる。

 父親は国会議員として奴隷制廃止に尽力するも貴族として英国の格式を重んじる存在。その父に反発するように海軍士官を経て軍の中ではもっとも下に見られる空軍士官となった息子のローレンス。しかし、そのローレンスも父親譲りの格式を重んじ、法や作法に厳格であることは変わらない。ゆるい規範の空軍の実務重視の姿勢に慣れつつも、ときおりみせる堅苦しさは隠しようがない。一方、テメレアは天才である。生まれて数年だが、知的にも身体能力的にも、人間よりも他の竜よりも飛び抜けて優れている存在になっていた。
 ただローレンスというパートナーのことになると、見境がなくなってしまう。それは竜の属性でもあるから。ゆえに、たとえ納得がいかなくてもローレンスのために働くこともある。しかし、本質のところではやはり譲れないものもある。
 戦争という殺すことを賞賛される愚かな時代に、生きた究極兵器として扱われる竜たち。そこで生命の尊厳について思考をめぐらすテメレア。
 華やかなアクションと息もつかせぬ展開の物語の影でテメレアの成長とともに思考は深くなっていく。
 それと同時に、21世紀の作品として、奴隷制の時代を描く作者ナオミ・ノヴィクの視点も忘れてはいけない。
 人間は何をしてきたのか、そしてこれから何をするのか。エンターテイメントであっても物語には常に時代と人間のあり方が書かれているものだ。

 もちろん、テメレアかわいい! でも、一向に構わないのだが、このシリーズの魅力はそういう重層的な深みにあることも間違いない。

 さて、アフリカの後はどこにいくのだろうか。次が(ちょっとどきどきしながら)楽しみである。

さよならダイノサウルス

ロバート・J・ソウヤー
1994

 90年代から00年代にまとめて翻訳された人気作家ロバート・J・ソウヤーの初期作品である。「星雲賞」もとっている佳作。タイトルは日本の後付けで、まあしかたないが、タイトルで手を出さないこともある。読むまでに30年ほどかかってしまった。
 時間旅行ものである。時は2013年、約6500万年前の中生代白亜紀が終わりに差しかかかるタイミングに向けてはじめての超過去調査が行なわれようとしていた。搭乗するのはふたりの古生物学者。主人公のブランドン・サッカレー44歳、離婚歴あり。もうひとりはクリックス。サッカレーにとっては古くからの元親友であり、学問上のライバルであり、そして、やはり学友だったサッカレーの元妻と付き合っているとサッカレーは思っている。実に不幸な組み合わせである。
 さてさて、タイムマシンの理論が発見されたのは2005年、2007年に発見者のチン=メイ・ファン教授はノーベル賞が授与され、そして2013年にはタイムマシンが完成したのである。驚くべきことだ。
 さてさてさて、約6500万年前の問題とはなにか。それは中生代から新生代に入る際に起きた恐竜などの大量絶滅問題である。現在では巨大隕石衝突とそれにつづく気候変動が主な原因と考えられているが、火山活動説やそのほかの説もまだ生き残っているようだ。
 ということで、古生物学者にとっては、絶滅直前の進化の頂点にあった恐竜や生態系をこの目で確かめ、可能ならば恐竜を持ち帰ることが使命として与えられていた。
 そして無事過去に「行った」ふたりは、そこで意外な事実を目の当たりにする。いまさらではあるがネタバレになるので細かくは書かないが、ひとつだけ書いておくと重力が小さいのだ。恐竜がなぜ巨大化したのか、それは重力が小さかったからなのだ。いやいや待て待て、重力は質量によって決まるのではないか? どーゆーことよ。いやいやそーゆーことよ。ゼリー状の生物?隊列を作る恐竜? いやいやいやいや、まてまてまてまて。
 しかもタイムトラベルものだから当然タイムパラドックスというものがつきまとう。
 恐竜絶滅直前の恐竜の姿、地球の秘密、さらには過去と現在をむすぶタイムパラドックス。サッカレーとクリックスのからむ三角関係もあって、とにかく話を詰め込みましたよ、ソウヤーさん。でも軽い気持ちでふふふんと読めるザ・エンタメ作品だ。