第六ポンプ

第六ポンプ
PUMP SIX & OTHER STORIES
パオロ・バチガルピ
2008
 パオロ・バチガルビ短編集「第六ポンプ」。「ねじまき少女」のパオロ・バチガルピのおりなす短編集である。所収の「カロリーマン」は2005年発表、「イエローカードマン」は2006年発表の作品。「ねじまき少女」と同じ世界を扱った作品群で、石油エネルギーを失い、遺伝子組み換えと遺伝子資源特許にがんじがらめとなった世界の姿が描かれる。
 ほとんどの作品が、欲望の果てに壊れてしまった少し先の世界で生きる人々の姿を描いるが、70年代、80年代にあったようなエコロジー派のような作品ではなく、冷静に条件のいくつかを外挿した結果、表出した世界を描いている。それがこの作者の魅力なのだろう。
 どの作品もおもしろく読んだが、なかでも表題作の「第六ポンプ」は圧巻である。主人公は、下水処理システムを保全する中間管理職的技術者。トラブル続きの下水処理・浄水化システムを動かし続けなければ、都市の人々の健康が守れないことを痛いほど分かっている数少ない人間。ある日、深刻なトラブルが発生する。彼は、それをなんとかしようと動き始め、そして、世界の現実の姿が次第に浮かび上がってくる。
 長編作品の導入として成立しそうな作品である。
 ばりばりの新作だから細かなプロットや落ちは書かない。
 早川書房が、新ハヤカワ・SF・シリーズとして昔の銀背を復活させた2冊目である。1600円+税「本シリーズの小口の茶色は手塗りです。機械塗りとはひと味違う趣をご堪能ください」とまで書かなければならないところが泣けてくる。日本の海外翻訳SFは死んだのか? 終わったのか?  みんな、読もう!
 さて、この回から、読んだ後、twitterでつぶやくことにしている。
 読後すぐのメモ
「ところで、私は今どこに立っているのだろう。まだ壊れていないのだろうか。ならば、なんとかしよう。もう壊れているのだろうか。ならば、なんとかしよう」
 これに対して、まじめな友人がコメントを返してくれた。
「あなたはそこに立っています。大地に根を下ろし、大樹のように」こそばゆいね。
2012.4.8

プランク・ダイヴ

プランク・ダイヴ
THE PLANK DIVE
グレッグ・イーガン
2011
 イーガンの短編集である。宇宙とは何か、意識とは何か、知性とは何か、ヴァーチャルとリアルの境目は? 科学の、そして人類の知の集積の周辺で語られていること。それを物語にのせていく。クラークが言ったように、「よく発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」から、物語のパターンによく当てはまる。
 2011年のうちに読んでいたのに、メモを取るのを忘れていた。
 意識して書かなかったのか。
 とてもおもしろい作品群なのに。
 あと数日で、2012年3月11日になる。1年。地球が太陽の回りをまわる周期。
 1年前、地球の片隅で、地殻の一部が震えた。
 1年前、そこに生きる生物が40年前に設置したアトムのおもちゃが制御できずに爆発した。
 高エネルギーの光を捉えることができたならば、アトムのおもちゃから光が沸き立ち、広がり、広がり、消えない姿を見ることができるであろう。

愛に時間を

愛に時間を
TIME ENOUGH FOR LOVE
ロバート・A・ハインライン
1973
「メトセラの子ら」の主人公ラザルス・ロングのその後である。4000年後の未来でも、ラザルス・ロングは生きて、そして、伝説の人となっていた。あらゆることを体験し、何度となく人生を繰り返してきたラザルス・ロングには、「生きる動機」が失われていた。彼を生かし続けるため、逆千夜一夜物語がはじまる。
「自由」と「義務」と「権利」について、独自の視点を持ち、いかにして人生を楽しむか、真剣に追求してきたハインラインならではの「歴史」が書かれていく。
 そして、ラザルス・ロングの要求は、「まだ体験していないことを探せ」。その要求に応えた子孫達の答えは。宇宙旅行、人工知能、クローン、タイムトラベルなどを経て、出てきた答えは…。ううん、これは書けない。
 それにしても、落ちが、落ちが…。大落ちがああああ。ハインラインらしいというか、しょうがないというか。もう。
 久しぶりに読み返したんだよね。今年はとても忙しくて…、ゆっくりとSFを読む気にならなかった。たしか秋に読んでいたんだ。原発事故が起きてから、SFを楽しむより現実の動きの非現実感にゆさぶられていたから。そんなときこそ、こういう大層なSFを読むといい。ほっとする。
(2011年12月24日)

ストーカー

ストーカー
ROADSIDE PICNIC
A&B・ストルガツキー
1980
 1972年から間欠的に発表されてきたロシアSFである。タルコフスキーが映画化したことでも知られる作品であるが、タルコフスキーの映画と原作である本書「ストーカー」はモチーフ以外はほとんど違う作品である。当初、作者のストルガツキー兄弟が映画製作に関与していたが、タルコフスキーの視点との違いで離れてしまった。私は、最初映画を見て、その後本作を手に取ったのだが、どちらもとても好きな作品である。
 さて、ここからは本作「ストーカー」の話をしよう。英語版のタイトルにあるとおり「道ばたのピクニック」である。誰の? さあ?
 地球外からの来訪者と思われる出来事が地球上の5カ所で発生した。その地はゾーンと呼ばれるようになり、国際地球外文化研究所の管理下に置かれた。ゾーンでは、物理法則を無視したような不思議な現象が起き、また、来訪者の落とし物と思われるいくつもの残留物があった。現象を解明し、残留物の使い道を発見することで、新たな科学技術への道が開かれると期待は高まったが、一方でゾーンは非常に危険なエリアでもあった。思いも寄らぬ死や、原因不明の怪我や病気、さらには、遺伝子への影響で本人や子どもにも影響を与えることがあった。ゾーンに入ることは厳しく管理されていたが、それでも、密猟者(ストーカー)は一攫千金を狙って、軍や警察の目をかいくぐり、ゾーンに入るのであった。死と背中合わせでも、それは「生きる」喜びでもあった。
 ゾーン。気がつかないうちに死が訪れる場所。入ることができない、人類には制御できないエリア…。
 もちろん、本作はチェルノブイリ原子力発電所の事故の前である。また、ソヴィエト崩壊のはるか前の作品である。
 それでも、今年、2011年にあらためて読むと、制御できない科学技術の結果に苦しむ我々の姿が重なってしまう。SFは現実を予見することができる。
 名作である。
(2011年12月24日)

グリム・スペース

グリム・スペース
ROADSIDE PICNIC
アン・アギアレイ
2008
 21世紀だなあ。しみじみそう思う。21世紀らしいスペースオペラです。王道かもしれない。主人公は、J遺伝子を持ち、異空間グリムスペースに入る超光速航法をナビゲートする能力を持った女性ジャンパー、シランサ・ジャックス。ジャンパーは企業複合体ファーワン社によって独占されており、シランサはその中でも超一流のジャンパーであった。ジャンパーには能力の限界が訪れる。シランサは、長い間能力を発揮し続けていたが、ある事故をきっかけに、パートナーのパイロットを失い、そして、ファーワン社によって軟禁されていた。「私が殺したのだろうか」「本当の原因はなんだったのだろうか」その疑問が彼女を突き動かす。ジャンパーを求めてきた男によって軟禁から救助されたシランサは、惑星や星間宇宙を舞台に、悩みながらも真相を求めて生き抜くのであった。
 強力な武器があるわけではない。
 敵は、社会そのものと言ってもいい、産軍複合体である。
 打って出るのは、おんぼろだったり、ぽんこつだったりする宇宙船。
 恋人だったパイロットへの思い。新たな恋愛の予感。そして、生きるために戦う。
 21世紀のヒーローは、たくましいのだ。
(2011年12月24日)