光の潮流

光の潮流
TIDES OF LIGHT
グレゴリイ・ベンフォード
1989
 ああ、これを書きたかったのか。「大いなる天上の河」の続編。惑星スノーグレイドを、過去の人類が生み出した恒星船アルゴに乗って脱出したキリーン率いるビショップ族。半分機械と同化して、機械を使いこなすのが得意なビショップ族たちだが、所詮「使う」であって、理解しているわけではない。恒星船アルゴは、基礎的な言語、文化、知識があることを前提に、できるだけ自動化してできた恒星船だが、惑星生まれ、惑星育ちのビショップ達は、中で火を焚く、メンテナンスを理解できない…。まあ大変なことに。率いるキリーンも大変なことに。遊牧民が恒星船という内部空間的には定住民、農耕民に変わった訳である。それでも、恒星船は設定された目的地へ進み、キリーンがニュービショップと名付けた惑星系にたどり着いた。そこで、メカの軌道基地を発見。それを奪取。しかし、その後アルゴはコントロールを失い、ビショップ族は惑星へ降り立つ。キリーンは、別行動をしており、事実上、その惑星でメカ、人類と異なる第三勢力として、メカ、人類を圧倒しているサイボーグ有機知性体に捕獲される。巨大な蜘蛛型の彼らポッド種属は、その惑星を出自とせず、とある目的でその惑星を使っていたのだ。ポッド種属は、宇宙創生期に宇宙にできた「宇宙ひも」を道具として使うほどの驚くべき科学技術を持っていた。その技術故に、惑星系でのメカとの戦いにも優勢を保つことができているのだ。クゥアートとよばれるポッド種属のひとりとキリーンが交感し、やがてポッド種属はキリーンらが、磁気知性と接触のある存在であり、ポッド種属が有機知性体の側として求めてきた秘密の鍵となる存在であることを知る。
 いよいよ物語は、ハードSFの本領を発揮する。やっぱり、宇宙にでなきゃ。宇宙ひもをコントロールして、道具として使う、なんて。うおお、と思うか、思わないか、が鍵だね。
 そのほか、宗教と科学、機械、有機、ハイブリッドの知性を通じて、知性とは、宇宙における知性の意味とは、他種族とのコミュニケーションとは、を語る。「大いなる天上の河」と「光の潮流」の2冊でセットだね。ああ、こりゃこりゃ。
(2011.4)

大いなる天上の河

大いなる天上の河
GREAT SKY RIVER
グレゴリイ・ベンフォード
1987
「夜の大海の中で」「星々の海をこえて」に続く作品。前作から遠く、遠い未来。機械知性と有機知性の銀河系をめぐる静かな、凄烈な戦いは、圧倒的に機械知性が勝利を飾っていた。有機知性は、機械知性にとっては面倒な害虫程度に過ぎなくなっていた。地球に源を発する人類は、有機知性の中では頑張っていた。一時は、シャンデリアと呼ばれる宇宙空間での大規模な人工物を建築し、機械知性と相対し、一次的な勝利を何度も得ていた。しかし、その後、人類は撤退をよぎなくされる。機械知性が見逃すと想定されるいくつかの惑星に降り、機械知性の目を避けながら、そして、機械知性と戦いながら、惑星の上で生きていた。彼ら人類は、人類であるが大きく変わっていた。人類が生み出したインターフェース、機械知性が作った工作物をまとい、遺伝子的にも改変を加えられた強力な生命力を持つ存在となっていた。可視光だけでなく、様々な波長の電磁波を見、化学物質を嗅ぎ、磁力線を感じることができ、独自のコミュニケーション能力を持つものたち。もはや、新しい工作物を生み出すことはできないが、持ち運ぶ「ご先祖」たちの知識によって「使う」ことができる存在。少しずつ知識は失われるが、生きていくことに必死なものたち。
彼らは、自らが属するグループに名を持っていた。本書「大いなる天上の河」の主人公となるキリーンが属すのはビショップ族。惑星の名は、スノーグレイド。かつては、緑と水に包まれていたが、機械知性が惑星を改変しはじめ、乾燥し、寒冷化していた。キング族やルーク族もいる。なぜ、その名がついているか、彼らは知らない。ただ、部族が集まって生きることこそが、喜びである。
 キリーンは、偉大なるリーダーであったアブラハムの息子。アブラハムは機械知性(メカ)によるビショップ族の城塞に対する攻撃で死に、キリーンは、息子のトビーと、他のビショップ族とともに、長い長い戦いと生き延びるための逃避行を続けている。トビーにとっては、物心ついてからずっと逃走と戦いしか知らない。
 メカは、執拗に人類を追い詰める。殺す、そして、時には人類の記憶や思考パターンを抽出する。メカにとっても、スノーグレイドは、豊かな星ではない。わずかな資源をめぐっての生存闘争はメカにもある。理由はない。知性と知性の、相容れない戦いが続くだけである。キリーンは、いつしかビショップ族を率いる役割を得、そして、トビーとビショップ族を生き延びさせるために自らを成長させていく。
 そして、メカの中に、マンティスという特異な存在がいることを知る。マンティスこそが、キリーンの仇敵となった。メカの中でも独自の動きをするマンティスは、何を考え、何を望み、惑星スノーグレイドの人類をどうしようとしているのか? キリーンに接触してきた磁気生命は、何で、何を目的にしているのか?
 ベンフォードは、何を書きたかったのかな? 人類の変容? 宇宙規模の戦い。知性のありよう? 生命のありよう。 うーん。ハードSFエンターテイメント?
 主人公がひたすら移動しているという点では、ロードムービー的なところもある。惑星の中だけだが、とにかく動き回っている。追われながら、追いながら。そして成長し、代わり、世界をつまびらかにする。エンターテイメントの鏡ではある。
 壮大ではあるし、80年代SFとしてはとてもおもしろいのだ。が、シリーズを通して読まないと、この本当のおもしろさが分からない。長い長いつきあいをしなければならない。
(2011.4)

星々の海をこえて

星々の海をこえて
ACROSS THE SEA OF SUNS
グレゴリイ・ベンフォード
1984
 機械知性が宇宙を支配しており、有機知性体がほとんどいない、それは、有機生命体が時間・空間に制約を受けるのに対し、機械知性体は、制約が少ない故の必然なのかも知れない。「夜の大海の中で」では1999年から2019年にかけて、ナイジェル・ウォームズリーが直面した機械知性との邂逅を描いた。同時に、人類社会の退廃も描いている。
 本書は、2056年から2061年の、やはりナイジェル・ウォームズリーの物語である。
 狂った機械知性の情報を得て、恒星間ラムスクープ船ランサー号を建造し、人類は、有機知性体の存在を求めて宇宙に出た。そこで、滅び、あるいは後退した有機知性体の存在に接することとなるが、同時に、機械知性体の存在を深く感じる旅となった。
 一方、地球上では、地球外の有機生命体が海に入り込み、海を危険な場所と変えていた。前世紀からの人類の後退は、海という共通の場を奪われることでますますその速度を高めていた。
 危機と退廃は、遠く旅立ったランサー号にも影響する。その中での、「古老」となってしまったナイジェル・ウォームズリーは、延命措置を受けながらも、宇宙の真実を求めて、ひたすらつきすすむ。人間とは、有機知性体とは、生殖とは、生命とは、そして、機械知性体とは…。
 正直、イギリス的な暗さがある。よくよく考えてみると、地球外知性体とのコンタクト物語なのである。ちょっとだけネタバレにもなるが、地球でも、恒星船がたどり着いたいくつかの星でも、有機知性体同士のコミュニケーションが成立するかどうか、というテーマが頭をもたげてくる。もっとうきうきわくわくしてもよさそうだが、有機知性体が追い詰められる宇宙という状況が、全体を暗くしてしまう。
 翻訳なのか、原文なのか分からないが、文体に癖があるので、その点は好き嫌いがはっきりしそう。
 さて、同シリーズの「大いなる天上の河」「荒れ狂う深淵」「輝く永遠への航海」「光の潮流」を、このまま一気に通して読んでみよう。
 そうそう、大切なことを忘れていた。本書のラストは結構暗いのだが、実は続きがちょっとだけある。続編?「大いなる天上の河」の下巻最後に「星々の海をこえて増補」がついているのだ。1987年のペーパーバック版が出版される際に、第10部に第8章が書き足されているのである。気になる?
(2011.2.27)

木星プロジェクト

木星プロジェクト
JUPITER PROJECT
グレゴリイ・ベンフォード
1980
 木星の惑星ガニメデのテラフォーミングがはじまった。そして、ガニメデと同じ軌道上には「ブリキ缶」が浮いていた。木星天文生物軌道研究所(JABOL)が正式名称の数百人が暮らし、研究する宇宙の孤島である。木星にいると推定される生命を探すこと、それがこの研究所の目的。長期にわたる研究活動のために、家族連れが多い。主人公のマット・ボウレスも子どもの頃地球から家族とともにやってきて、まもなく18歳となる、「ブリキ缶」しか知らない男の子。
 地球は、人口増加が止らず、飢餓と配給の世界へ。仕事が少なく、危機的な状況になっていた。そんな中で、食べ物には(それほど)困らず、全員に仕事があり、人類の夢を乗せた辺境の「ブリキ缶」。しかし、実際には、単調な宇宙空間の日々が続くだけである。
 人は、慣れるのだ。どんな環境でも。
 そして、人は育つのだ。どんな環境でも。
 環境が人を作る。人が環境を作る。
 ところで、ガニメデに生命がいるかなあ。
 火星にもいそうだよね。
 意外と生命って、氾宇宙的かも。
 早く、木星プロジェクトでも立ち上がらないかしらん。
(2011.2.14)

天の筏

天の筏
RAFT
スティーヴン・バクスター
1991
 わーい、SFだ、SFだ。これぞSFだ。おもしろいぞう。背表紙の釣書を見ると「重力定数が10億倍の宇宙に迷いこんだ宇宙船乗組員の末裔たちは、呼吸可能な大気に満たされた<星雲>で生き延びていた」とある。「重力定数が10億倍」なんて、もう、いけず、である。でも、難しいことが分からなくても大丈夫。次第に、この世界に慣れるから。小さな小さなこの宇宙の、この星雲に。そして、主人公のリースとともに、この滅び行く星雲の、滅び行く人類のコロニーの中で、夢と希望を求めて冒険し、成長し、そして旅立つのだ。
 光を求めて動く木を光をうまく遮ることでコントロールして呼吸可能な宇宙を飛ぶなんて、まるでおとぎ話ではないか。しかも、ハードSF。しっかりした宇宙ができあがり、人が生まれ、育ち、そして死んでいくのであった。
 ところで、最初に主人公が厳しい生活状況から密航し、都市に入る設定って、どこかで最近読んだような気がする。よくあるパターンではあるのだが、同じようなSFだった。最近といっても5年、10年あっという間だしなあ。それを調べ直す余裕がなくて、なあ。
 本書「天の筏」は今回、古本として購入したのだが、もしかして読んでいたのかも知れない。
 作者のバクスターが書いている通り、ニーヴンの「インテグラル・ツリー」とも設定が似ている。「インテグラル・ツリー」も遠い昔に読んでいるのだが…。覚えがない。少なくとも言えることは「天の筏」は手元になく、「インテグラル・ツリー」は手元にある。
 記憶とはおぼつかないものだ。
 おかげで、何度でも楽しめるのだが。
 さて、飢餓が迫る鉱山星のリース君、頭がよくて好奇心も旺盛。学問は体系だって受けていないけれど、科学的思考は備わっていて、原因と結果を追求する。そうして彼がたどり着いた疑問はひとつ「なぜ、この星雲は死にかけているのか」「生きる道はないのか?」その答えを知りたくて、密航し、世界を統べる天の筏へ行くのだった。
 こういう作品を若い頃に読みたいね。年を取ってくるとどうにも夢、とか、希望とかではなく、終わり、とか、悪くなる、といったことを考えがちになる。超高齢社会が近くなると、社会全体が終わりかけるような気持ちになる。それはよろしくない。どんな世界でも、若い人には夢や希望がある。世界はまだ開けていない。だから、夢や希望が必要だ。年を重ねても、夢や希望を失ってはいけない。
(2011.02.10)