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1998年6月バリ日記

6月20日から7月11日まで、インドネシアに旅行してきました。
主にバリ島に滞在し、一度、隣のロンボッ島も訪れています。
そこで、このバリ島旅行の前半と後半に分けて掲載します。

ようこそバリ島へ

この頃の通貨レートは、市中で1円=約100Rp(ルピー)でした。半年前に旅行した頃より、レートは3分の1、すなわち日本円はインドネシアルピーに対して3倍の価値を持つようになっています。一方で、インドネシアの物価は平均すると約2倍というところです。外国人や金持ちを相手にしているところでは、ドルと連動して、物価上昇以上の値上げですし、市中の市場や食堂などでは、値上がりしたり、していなかったり、まちまちです。

6月20日(土) 東京、晴れ。ジャカルタ、雨。バリ、曇り
移動日。インドネシア・バリ島まで、自宅からはじまり12時間をはるかに超える時間が、バリ島に行くために使われる日である。
日本の外ご飯は、こんなに高くておいしくないんですよということを実感するために、毎回あえて成田空港内のスナックコートを利用することにしている。軽食だけでひとり1500円。ふたりともうどんを食べたのだが、塩がきついだけでちっともおいしくない。分かっていて食べていても、ふたりで顔を見合わせて笑ってしまった。
成田空港では、田舎のパニックおじさんが大活躍していた。出国審査を「遅れる、遅れる」と、素通りしようとして係員に止められ、その後、長い列の一番前に割り込んで、パスポートと出国カードだけでチケットなしに通り抜け、一度は右に走り、5分ほどして、血相を変えて逆に走ってきた。そこで、ようやく「人に聞く」ということを思い出したようで、空港職員に「乗り口はどっちだ」「どの便ですか?」との問いに、「韓国に行く方向はどっちだ」「チケットを拝見。これなら、あちらの方にお進みください」ということで、そちらへ走っていった。荷物はほとんど持っておらず、きっと同行者たちとはぐれたのであろう。空港職員の表情をみても、さほど慌てる様子ではなかったので、はぐれたことでパニックになってしまったようだ。無事、行けたのだろうか。よい旅を。
さて、全日空便に乗り込むと、私はすぐに眠ってしまった。夢うつつにインドネシア語が聞こえおり、飛行機は滑走路をゆっくり走っていたので、私はもうジャカルタに到着したのかと思った。そんなことはなく、まだ離陸前だった。水底にあきれ顔で見られる。
そういえば、かつてフィリピンに仕事で行った時も、飛行機に乗るなり眠ってしまい、1時間ほどして目を覚ましら、やはり滑走路でゆっくりと走っていたことがあり、今回のようにマニラに到着したのだと早合点したことがある。しかし、そこは成田空港で、何か人的なトラブルがあったために1時間以上滑走路付近で待機となっていたのだった。この時も、同乗者たちにあきれられたのを覚えている。
さて、バリ島に到着して空港のチケットタクシーで、予約を入れておいたホテルへ。乗るなりドライバーが大麻はいらないかと問いかける。タイを除く東南アジアで下手に話に乗ると、そのまま警察行きということにもなりかねないので注意。シンガポール、マレーシア、インドネシアでは重罪ですぞ。
ホテルに到着し、荷ほどきしてから外で食事をした。ちょっと高そうなレストランに入ったら、テレビでクロアチア対日本戦を行なっていた。すでに後半30分近くで0対0。いいぞ、と思っていたら、1点取られてそのままジ・エンド。回りにほとんど日本人がいなかったのでひとりで頭を抱えた。しかし、まあ、よくがんばっているよ。

食:9時、バナナ。成田空港のフードコートで、きつねうどん(私)、肉うどん(水底)、握り1人前。約3000円。
食:13時、全日空機内食。茶そば&ひやむぎ、オレンジ、オレンジジュース、パン、バター、ポテトサラダ、パストラミ、鶏の照焼き、レタス、サーモンのマリネ、エビとアスパラのカレーご飯添え(水底)、鶏の炒めもの中国風スパイシーソースご飯添え(私)、ビール(私)、茶。
食:18時、機内食スナック、ドーナツ、コーヒー。
食:20時、機内食、サンドイッチ、野菜サラダ、シナモンチョコプディング、水、コーヒー。
食:21時(バリ時間。日本の−1時間)、クタのレストラン&バーにて。ナシゴレン、ミックスジュース(以上私)、ナシチャンプルー(揚げテンペクルプックアヤムゴレン、サテガドガドソースの野菜、ご飯)、すいかジュース(以上水底)32000Rp。

ナシゴレン…目玉焼き、クルプック(エビセン)、人参とキュウリのピクルス、野菜添え。ニンニクがたっぷり効いていてなかなかのお味。


6月21日(日) クタ、曇りのち晴れ
7時起床。明るくなると一斉に車が走りだし、鳥が鳴きはじめる。蒸し暑い。
ホテルの朝食を食べ、外出して次のホテルを探す。というのも、このホテルラーマヤナは日本から予約してきたところであり、日本で予約できる中では格安のふたりで6000円朝食込みだったのだが、これは高い。いや、ホテルとしては広く、エアコンも電話もテレビもプールもついているのだから決して高くはないのだが、我々はルピーを基準に旅をしようと思っているのでもっと下のクラスで十分なのだ。そこで、2件ほどあたって、ふたりで50000ルピー、朝食付きの環境がいいロスメンに決め、移ることにした。
インドネシアに限らず、発展途上国と言われ外資によって経済発展したところはいずれも貧富の格差が、ドル生活者対現地通貨生活者となってあらわれる。ドル生活者は、ドルを稼ぎ、自国通貨をドルに換算して暮らす。だから、ドルの暮らしでもかまわないし、自国通貨は実に使い手がある。一方、現地通貨生活者にとって、ドルの商品やサービスは望むべくもなく、またそれがなくても暮らすことができる。しかし、一度通貨の価値が下がると、生活が苦しくなるが、その理由は分からないままである。
外国人旅行者は、当然、ドル生活者とみなされる。旅行者にとって、現地通貨は安い。そして、現地のサービス、商品も安い。ここで、価値の二重の搾取が行なわれている。
すべての旅行者は、この二重価値の搾取者であることに変わりはない。私たちを含めて。
それでありながら、旅をする私たち。私は、ひとりの人の言葉にすがって旅をしている。「金を持っている日本人から、少しでも多くの金を、地主や権力者ではなく、普通の人に落とせるように仕事をしているんだ」と、とある市民団体で草の根貿易をしている人が言った。であれば、大資本のリゾートではなく、町の食堂を、道の屋台を、市場のおばちゃんに金を払おうと思う。
そう言いつつ、ここ、リゾートの町クタで、我々はマタハリデパートに入り、ハードロックカフェで酒を飲むのであった。でも、夜は屋台だ!

ここバリ島でも瓦は当たり前のように使われている建築材である。もちろん日本でもかわらに対する愛着は変わっていないのだが、それは実にすごいことではなかろうか。誰が、いつ、どのようにして開発し、普及させてきたのだろうか。中国人だろうという推測はすぐに成り立つが、実際のところどうだったのだろうか。
さすがに、完全互換性はないものの、使用方法、組み方など、当初の規格はそのまま残されていると考える。

食:7時半、ホテルにてミーゴレン、パイナップルジュース、コピ。水底はミーゴレンに、オレンジジュースと、ティー。ジュースはご丁寧に砂糖が入っていた。
食:13時、フルーツラッシー、フルーツサラダ(パパイヤ、バナナ、スイカ、パイナップル)、人参と大根の酢の物添えご飯、サーロインステーキ(水底)、鶏のバーベキュー(私)それぞれ、フライドポテトと長豆、大根炒め入り。68600Rp
食:14時半、マイタイ(私)、フルーツパンチ、レモンフィズ(水底、ノンアルコール)49900Rp
食:19時、蛙の野菜炒め、豚の甘酢あん、ごはん、ビール(私)、アイスティー(水底)。19750Rp


6月22日(月) バリ島クタからロンボッ島マタラムへ 総じて晴れ
明け方激しい雨で目が覚める。どしゃ降りの夜明け雨であった。その後すぐに天気は回復し、朝は曇っていたもののずいぶんと明るかった。食事は、ロスメンについていて、いわゆるアメリカンブレックファースト。食事を終えて部屋に戻るとすぐに昨日予約していた旅行代理店の迎えが来た。9時半の予定が9時過ぎには来ている。時間にはルーズなはずだが、どうしたことだ。あわてて荷づくろいをして、小型のバンに乗った。それは、思いがけない長い1日の始まりだった。
小型のバンは、別の客を拾いに別のホテルへ行き、3人のドイツ人をピックアップ、さらに、別のホテルや代理店を回り、オージーなど数人を拾ってギュムギュムになったバンは、ようやく代理店のオフィスへ。そこでしばらく待たされ、大きなバスに乗り換える。最初はほどほどの人数だったのだが、クタをはなれ、サヌールで数人、さらに、もう数人、そして、きわめつけにバスはウブッの入り口までやってきて、人員を入れ替え、ギチギチに人を詰め込んだ。そのとき、すでに11時半を過ぎていた。
12時半頃、パダンバイ港に着き、出発は1時半だから、飯を食うなりして待てという。飯を食い、フェリーに乗ってフェリーが出航したのが14時前。
ロンボッのレンバル港に到着したのが、19時前であった。それからマタラムまで、暗い夜道をバスは走り、おろされたのは、どこだろう。広域マタラム市のどこかにあるホテルの前だった。値段と部屋をみたら、それほど悪くなかったので、そこに決め、バスを降りる。すでに8時を回っていた。結局丸1日移動。
ホテルの併設レストランで食事を食べたが、ビールを頼むと、「メニューにはないが、ロンボッワインがある」というので頼んでみる。瓶にプラスチックと輪ゴムで封をした無色透明の液体は、匂いをかぐと、おっと、米焼酎ではないか。しかも、エチルアルコールがぶっこんであるような強烈さである。「これは飲み過ぎると大変だ」と思い、ほとんど残す。やられた。しかし、勉強になりました。

ところで、いたるところで私たちが日本人であることが分かると、ワールドカップの話題を出してくる。そして、お世辞かもしれないが、アルゼンチンに対してよくがんばった、強いではないか、と、言ってくれる。うれしいねえ、アジア人としては。
だから、1勝ぐらいはしたいねえ。

クタ〜マタラム 片道二人で59000Rp
ホテル 1泊60000Rp

食:7時半、トースト、ココヤシマーガリン、イチゴジャム、ゆで卵、コピ。
食:11時、ミカン、ニンニク味つき煎り落花生。
食:12時半、ナシチャン(キャベツと人参とビーフン茹で、鶏の素揚げ、鶏を焼いて裂いたもの、テンペゴレン、タフゴレン、唐辛子揚げ、タマネギ揚げ)、トマトジュース(私)、ナシゴレン、アイスティー(水底) 合計で9500Rp
食:20時半、ナシチャン(カリフラワー、人参、キャベツ、長豆のサンバル炒め、目玉焼き、アヤムゴレン、トマト、ご飯)、レモンジュース、(以上ふたりとも)、パイナップルジュース(水底)、ロンボッワイン(私)17000Rp。


6月23日(火) オルィンドホテル チャッラヌガラ ロンボッ 晴れ
ロンボッ島はイスラムの島。雰囲気がイスラム的だ。どこが、と言われても困るが、人の歩き方、視線、身のこなし方などが、違う。トルコやパキスタンやマレーシアのムスリムと共通するのである。もちろん、パキスタンなどに比べれば実にソフトな感じで女性も顔を隠している人はまだ見かけないのだが、それでもイスラムなのである。
スゥェタ市場、アンペナン市場を訪ねる。
スゥェタ市場は、実に巨大で喧騒に満ち、山のもの、畑のものが溢れていた。海のものは生魚がほとんどなく、塩蔵品と干物ばかり。スゥェタは広域マタラムのもっとも山寄りであり、ここより先は小さな村が点在しているだけだと言う。島の反対側にはスンバワ島に向かうための港があり、そこまでは大きな道路が通っている。しかし、通商と交通の拠点は、スゥェタであり、市場の隣のバスターミナルは大きな荷物を抱えた人々が出入りを繰り返している。
ここでの交通は、近距離タクシーの役割を馬車が担い、乗り合いのベモが町と町を結んでいる。ベモの方が安く、早いが、馬車も負けてはいない。
いずれ馬車は淘汰されるのだろうが、今はまだ十分に人々の足である。私たちも利用させてもらった。
一方、アンベナン市場は、港町の市場。やや小さいが、衣類、日用品、雑貨、道具類、自動車整備、そして、生魚が多く並べられている。私たちが訪ねたのは、すでに昼も過ぎていたために、ほとんどの店は閉まっていた。しかし、中には、サバ、イカ、エイ、イワシ、カツオ、エビなどが並べられており、鮮度もよかった。
海岸の方へ歩くと、英語のレストランや床屋などが集まっていて、いかにも港町という風情である。道には、猫と山羊が歩いていたが、犬は見かけなかった。
このアンベナン市場にあるカフェのナシチャンプルーは絶品のおいしさ。特に、カニとキャベツとタマネギの甘酢サラダと、サツマイモと魚のすり身の天ぷら(さつま揚げ、つけ揚げ)は、それだけでも食べたくなるような旨さだった。実は、冷やし物が食べたかった水底の意図とは違うものが来てしまったのだったが、思わぬ拾い物になった。

博物館に行った。ちゃんとガイドがいて、英語や日本語で説明してくれる。日本語の練習をしているという青年は、「私はまだ日本語がしどろもどろです」と言った。しどろもどろなど、今の日本人でも使わないぞ。
古くからの農機具や漁具、台所用品などがあったが、いずれも日本の古い道具と同様に洗練されていて、無駄がない。漁具などはまったく日本のものと同じ形態のものがあった。また、中国の古い銅貨などもあり、日本でも古くに使われていたものと同じものがあり、中国世界の強さを知らされる。
イスラム(アラビック)と、ヒンドゥー(サンスクリット)が共存し、カトリック、土着宗教、仏教が許容される世界は懐の広い豊かな世界である。
まあ、17世紀以前のことは、誰にも分からないわけだけど。

夕食のピサンゴレン(バナナ揚げ)は、店員が蜂蜜を持ってこなかったので、トマトケチャップを付けて食べたが、バナナが料理用で甘くなく、酸味があり、ケチャップによく合った。ご飯のおかずとしてもおいしいだろう。

食:7時半、ホテルのパンケーキ(バナナ)、甘いコーヒー(しまった!)、水底は紅茶。
食:11時、博物館近くのパダン料理屋で、ナシチャン(テンペゴレン、アヤムカレー煮、ハッパ煮、唐辛子揚げ、カレー汁)、パイナップルジュース。11000Rp。
食:12時、アンペナン市場のカフェ、コピ(私)、アイスティー(水底)、ナシチャンプルー(キャベツ、タマネギ、カニの甘酢サラダ、さつま揚げ、唐辛子、テンペと長豆の炒めもの、鶏のトラシ和え、テンペゴレン、トマト入りフレッシュサンバル)。ナシチャンは1人前。3200Rp。
食:15時半、コーラ、ファンタ、大冷水。5500Rp。
食:18時、スープ麺(麺、ニンニク、キャベツ、人参、長豆、タマネギ)、レモンジュース(私)、山羊のサテ、ご飯、アイスティー(水底)、ピサンゴレン(バナナ揚げ)17500Rp。


6月24日(水)ロンボッ島、スンギギ 晴れ時々曇り
それほど暑くない。今日は、マタラムからスンギギに向かう。ベモという乗り合いバスを乗り継ぐのだが、いろんな人の厚意によって無事スンギギに到着し、ホテルを探してチェックインする。ホテルに併設されているレストランはビーチの真向かいであり、売り子の来襲はあるものの、静かに過ごすことができる。
ひと通り歩いてみたが、売り子のほうが旅行者よりも多いため、売り子もとにかく声をかけてくる。しかし、それほどしつこくはないので、あしらいも楽だ。
渋谷にワルン1というレストランがあるのだが、そこで働いている青年にあった。12月にはまた来日するそうである。日本人の女性と結婚したとかで、半年ほど東京で生活したのだが、高くて大変だという。次の機会はもっと大変になっているだろうから、悩ましいという。1、2年は日本にいるつもりだというが、国際結婚はいろいろ難しいこともあろう。

昼は、スンギギの観光用レストランをうろついていたら、ふとワルンがあったのでそこに入る。炊きたてのご飯が実にうまい。ナシチャン2500Rpで黙々と食べた。
その後、ホテルに戻り、ビーチ沿いの席で海を眺めつつだらだらする。
時折物売りがやってきては、去る。
ふたたび、通りへ出てスーパーや土産物屋をひやかし、小物などを買い求めつつ、戻る。夕食はホテルのレストランにて。魚やイカの揚げたのを食べた。猫がやってきたので、魚のアラなどを与える。ここの猫は、顔が小さくて、ちと長い。シャムのような、いや、もっと精悍な顔つきである。猫の置物がずいぶん売られているが、たしかに顔が小さくて細い。
置物と言えば、ロンボッ島はあまりヒンディーではないので、蛙のものが少ない。少ない中で見つけたものは、どれもバリ島のパチモンであるが、蛙にブチがついている。どれもブチなので、ロンボッ島の蛙はブチが多いのだろう。
それから、バリ島ではあたりまえのチャナン(神様への朝夕のお供え)がほとんど見当たらない。かわりにモスクからお祈りが流れてくる。

食:7時半、バナナパンケーキ、紅茶(ホテル)
食:11時、ナシチャン(焼きそば、鶏煮、テンペと野菜の混ぜ物、長豆と人参、大根の煮物)、コーラ、ファンタ。7400Rp
食:15時、甘いアイスティー、ヌードルスープという名の野菜たっぷりインスタントラーメン。17000Rp。
食:18時、ご飯、揚げ魚の甘酢あんかけ、イカのフライ、青野菜炒め、チーズ入りピサンゴレン(バナナの素揚げ)、アイスクリーム、ビール、コーヒー、ティー。73500Rp。

夕食と昼食の金額の差が10倍。日本でいえば、500円の弁当の夜に5000円のアラカルトを食べたというところか。
ロンボッ島のロンボッというのは、唐辛子=ロンボッのことである。唐辛子島。たしかに市場では唐辛子がたくさん売られていたが。


6月25日(木) 晴れ ウブッ バリ島
今日は、ロンボッからバリへと戻る日。
昨夜は、遅くまで通りを挟んだレストランがライブをやっていて、うるさくてしかたがなかった。それでもとっとと寝ついたのだが、終了間際の午前1時頃、夢見で叫び、そのまま1時間ほど眠れなかった。「なんばしよっとや」と叫び、水底まで起こしてしまった。わはは。
起きて、浜を小さな岬まで歩き、インド洋を堪能する。水底は、「名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実ひとつ」をくちずさみながら、「ひとつじゃねえなあ」と呟く。
さて、ロンボッの水田は、比較的最近区画整備をしたようなところが多く見受けられた。バリ島よりも水まわりがよくないのだろうことと、土地所有者による経済的生産が行なわれているためではなかろうか。それに対し、バリ島の水田はきわめて自給的性格が強く、また、古くからの形を保っており、1反に満たない田が多い。
バリ島に到着して、ウブッで泊まった宿は、目の前が田んぼであった。4枚のうち3枚は水を張ったまま放っておかれ、1枚は田植えの準備だけがされていた。

食:8時、ホットサンド(ジャッフル)のタマネギ、トマト、チーズが私、目玉焼き入りが水底。パイナップルジュース。17000Rp。
食:13時、ナシブンクス(バナナの皮で包んだお弁当、ご飯、ココナッツ炒め、鶏いり)1000Rp。カップラーメン(POPME)3000Rp×2。
食:20時、ナシチャンプルー(テンペと鶏肉ゴレン、ナス炒め、モヤシ炒め合え、鶏肉をココナッツやシナモンで和えて衣をつけて揚げたもの、クルプック)、ビール(私)、ベジタリアンナシチャンプルー(上記に鶏肉を抜き、揚げ物が芋系に変わっていた、クルプックも抜き)、パイナップルジュース(水底)。23000Rp。


6月26日(金) 晴れ ウブッ、バリ
ウブッの夜は寒い。本当に寒くて、半袖半ズボンではちょっと厳しい感じがする。夜は満天の星だったが、星座がよく分からない。赤道直下の南半球寄りなので、そのつもりになって見なければならないのだが、北極星も南十字星も見えないので、なにがなんだか。
朝、部屋の前のお百姓が田の水草や草を手でからめとっては、田の土に埋めていた。代かき前の草取りのようだ。草を生やしてから埋めて腐らせ、それから代かきをして寝かせて田植えをするのだろうか。ここバリ島では、いつでも田植えができるのだから、そのように時間をかけた田植え前除草ができるのだろう。
昨日、バスの中で見たのだが、ロンボッで稲刈り、脱穀、もみ干し、縄ないをしていた。稲刈りは、鎌で手刈りである。脱穀は、稲の束を振り上げては打ちおろす一番単純な方法を行なっていた。バリで前回、打ちおろし式だが、台を設けて腰をかがめずに、かつまわりにビニールを張ってもみが飛び散らないようにしていたのだが、ここでは単純に地面に打ちつけていた。もみ干しは、今日1日雨が降らないと確信したらしく、あちらこちらでコンクリートの上に足で丸や四角く広げていた。縄ないは、屋根のある場所で娘さんたちがしゃがみこんで仕事をしていた。
今日は大きな通りを中心に、1日中歩き回った。前回、昨年の秋にウブッを訪ねたが、そのとき、毎日通ったカフェの女の子が私たちを覚えていてくれた。そこで昼食を食べる。外国人ツーリスト慣れしたところであり、料理も一般受けしそう。しかし、本日食べたテンペカレーは、滅多に注文されることがないらしく、「これ、値段いくらだっけ」と店の人がメニューをしげしげ眺めていた。
テンペカレーは、斬新なアイディアのようだが、実は、テンペと野菜のカレー煮のような料理がワルンなどで供されるので、あってもおかしくはない。豆のカレーや納豆のカレーに比べたら、とても食べやすい、あっさりしたカレーだった。
水底が、バリの女性の正装クバヤを購入する。お仕立てものだ。それを買った店は、日本語のできる店主がいて、私たちにジュースをふるまい、いろいろと話をした。その中で、今日は闘鶏をやっているという。聞けばかなり近くなので、足を伸ばしてみる。やっている、やっている。寺院というか集会場の横で、バザー目的の賭場が開かれていた。入場料1000Rpを払うと、入れてくれた。男たちばかりが、ルーレットのような数合わせと、闘鶏に金をばらまいていて、横では飯屋や飲み屋、サテ屋、飾り物屋が開いていた。
闘鶏は、雄鶏の利き足のちょうど蹴り上げるあたりに短剣をくくりつけ、2羽をけしかけて戦わせ、どちらかが死ぬか、力を失うまで競わせるものである。どのようにして賭けを成立させているのかは分からないが、男たちは高額の紙幣を振り回し、賭けるべき鶏をよくよく吟味し、大声ではやし立てる。
鶏も戦いまではどちらも戦意旺盛で、自分の方が地位は上だとときの声を上げる。
この闘鶏のいさぎよいというか、ある人には残酷に見えるところは、負けたら終わりなのである。負けた鶏は、負けるとすぐに生き死ににかかわらず、足を切られ、毛をむしられてしまう。血を一滴も流さずに、すべての毛をむしられ、あとは内臓をとって焼くばかりの状態にされ、持ち帰られる。おそらく食べられるのであろう。
敗者には、死。
そして、毛がむしられる横では、鶏のサテが売られていた。
夜は、バロンダンスをウブッ王宮にて見る。正面ではなく、舞台より向かって右のかぶりつきに座った。ガムランが真横におかれ、足もとで笛と弦楽器が演じられていた。ところが、ちっともうるさくないし、回りの音との調和も崩れていない。20人ほどで音楽を奏でるガムラン隊は全体でひとつの楽器のようになり、舞台そのものが音楽に包まれている。バロンダンスを見ていてひとつ気になったことがある。それは、悪者?役の衣装だ。明らかにアラブ系のかぶりものをしていて、なおかつ背の布にかいていた絵は中国系のおばけ、幽霊であった。複雑な宗教の歴史だけでなく、古くからの貿易地としての歴史がこういうところにもあらわれているのであろうか。

食:7時、フレンチトースト、フルーツサラダ、ティー。
食:11時半、テンペカレー(テンペ、ジャガイモ、人参、長豆、セロリ、ニンニク、唐辛子)、バナナラッシー(私)、ミーゴレン(ピーマン、キャベツ、人参、長豆、ニンニク、目玉焼き、鶏の挽き肉)パイナップルラッシー(水底)
食:14時〜15時、アイスクリーム、ミックスジュース、サテ。
食:18時、ナシチャンプルー(葉っぱとココナッツの甘酢あえ、サテ、鶏肉とテンペの炒め煮、目玉焼き)(私)、フライドチキンのトマトソースと揚げサツマイモとタマネギ、キャベツ、パイナップル、トマトのサラダ、ご飯(水底)、ミックスジュース2つ。15000Rp。
食:21時、ビール(私)、すいかジュース(水底)、14000Rp。


6月27日(土) 晴 ウブッ
朝ごはんを食べたあと、市場に行き、朝ごはんを食べる。あれ? ロスメンでは目玉焼きのジャッフルとフルーツ。市場では、以前食べたバビグリンナシチャンプル屋さんである。豚肉の専門店で、観光客とみるやご飯のもりをよくしてくれた。値段も観光客料金だが、それはお愛嬌というもの。その後、プリ・ルキサン美術館に行き、今世紀前半の絵に書かれているバリの農耕生活のありようを知る。牛を使った田の耕し方や、穂先だけを刈る稲刈りの方法などを知ることができた。
スーパーに行ったり、中華系手打ち鶏スープラーメンを食べに行ったり、路地を散歩したりとかなり歩き回る。ひと休みして、さらに夕日が美しい存在そのものが人を癒してくれそうなカフェで夕日を眺め、別のレストランで夕食をとり、影絵を見て帰る。忙しい1日であった。夜、眠気を逃してしまったので起きてぼんやりしていたら、蛙や虫達の声に混ざって、遠くのほうでカラン、コロンとゆっくりした間隔で音が響きはじめた。1時間以上、ゆっくりと音が続く。眠気を誘うような、追い払うような不思議な音である。朝になって人に聞くと、近くの寺院の宗教儀礼だという。昼も夜も儀礼は行なわれるのだ。
さて、影絵だが、ここでもテーマは善と悪の絶え間ない戦いである。そして、幕間には、トリックスター、すなわち狂言回しであり、世界秩序を横断し、破壊し、再構成する者が登場する。時にはバリ語、インドネシア語、時には英語を使い、観客を笑わせながら再び物語に引き込んでいく。英語を解する子どもがいたため、特に英語のノリがよかったようだ。ワールドカップ、観光客との対話、あるいは、演者が風邪を引いていて、時折せき込むことなども笑いの中に取り入れ、最後は言葉が分からなくても子どもを笑わせるまでになった。
夕食に水底が頼んだ料理のツナが古かったらしく、ふたりともあたる。一晩で治ったからよしとしよう。

食:7時半、紅茶、目玉焼きのジャッフル、パイナップルとバナナとパパイヤのサラダ。
食:10時、ご飯、豚の丸焼きと、血のソーセージ、軟骨の唐揚げに葉っぱとココナッツの和えもの。てん茶。6500Rp。
食:12時、みかんジュース2人とも。4400Rp。
食:13時、スペシャルアヤムスープヌードル。麺、小松菜、肉玉、鶏の甘煮が入ったボウルと、スープ、ワンタン、ネギの入ったボウル、サンバルと大根人参なますが入った小皿が出てきた。これに、私が甘いトマトジュース、水底はティー。16000Rp。
食:18時、コピ(私)、すいかジュース(水底)4500Rp。
食:19時、ナシチャン(鶏唐揚げ、人参、長豆、絹さや、テンペ、タフ、エビ、ピーマンの炒めあんかけ、キュウリとトマト、エビたっぷりクルプック)、生ビール(私)、シーフードプロシェット(バターライス、イカ、ツナ、ネギオリーブのバーベキュー)、人参と大根のソテー、レタス、トマト)レモンジュース(水底)。25410Rp。


6月20日(土)6月28日(日) 曇り、ウブッ
午後ぱらりと雨が降った。曇っているのでそれほど暑くない。だいたい、ウブッに来てからというもの夜が寒くていけない。今朝などは寒かったのでウインドブレーカーを着込んでいたぐらいである。そこで、ついに長ズボンを買ってしまった。
今日は、猿森を歩く。いろんなバリの絵画で猿は青く描かれているが、たしかにここの猿はどことなく青い。しかも、日本猿系の顔をしておりながら、尻は赤くなく、尻尾は長い。また、頭にとさかのような毛が生え立っていて、森で悪さをする精霊と言ってもおかしくはない。
この猿森にある死者の寺には、地球亀に乗ってさまざまな神が居座っていたが、寺院の周囲にも彫刻があって、中には牙の生えた蛙や芋虫のおばけもあった。
さて、猿森に行く途中の水田では、ちょうど代かきの最中で、牛が2頭つながれ、昔ながらの牛耕をしていた。その形態は、まったく日本の古い姿と同じである。
数日中には田植えがはじまるのだろうよ。
昼はタイ料理を食べに行く。これが、笑える。インドネシアで販売されているタイ料理の本を元に作りましたというようなインドネシアンタイニーズなのだ。まず、辛くない。唐辛子は粉で使ってあって、ホールがない。タイのスパイスがない。トムヤムをのぞいてパクチー(コリアンダー)が入っていない。ニンニクも効いていない。うーむ。
夜は、ボナ村のケチャを見に行く予定でチケットも購入していたが、人が少ないせいか、なにか行事があったせいか、中止になり、チケット代を返してくれた。しかたがないので、ウブッ王宮でレゴンダンスを見に行くことにした。

食:7時半、紅茶、バナナパンケーキ(緑色でココナッツ、グラシロップかけ)、フルーツ。
食:12時、タイ料理屋の揚げ春巻、トムヤムクン、カオッパ(チャーハン)、タイ ラッシー(私)、パッタイ(焼きビーフン)、マンゴージュース(水底)。37700Rp。
食:14時、ジンジャーティー(私)、テボトル(水底)1800Rp。
食:17時、ナシチャンプルー(テンペゴレン、タフゴレン・ガドガドソース、野菜炒め、鶏とトマトの甘酢炒め、ピーナッツ炒め、クルプック)プレーンヨーグルト(私)、テンペの玉揚げとライス、アイスティー(水底)。12000Rp
食:18時、アプリコットブランデーアイス(私)、ココナッツアイス(水底)31000Rp。


6月29日(月) ウブッ 朝曇り、一時雨、その後晴れ
やはり朝夕は寒いくらいである。日中、日があたると実に暑く、日陰では涼しい。
バリ・バードパークに行き、コモドドラゴンなどを見る。ウブッを離れるとすぐ水田は田植え後1カ月ぐらいの様相である。
バードパークからデンパサールに行くが、交通量が多く、アスファルトが焼け、とにかく暑い。ごみごみして、ウブッとは雲泥の差である。一番大きな市場を訪ねると、そこはマタラムの面積ではスゥエタ市場程度であるものの、いかにも都市の市場という感じで、昼頃で、もう店の多くが閉まっていたものの熱気が違う。生きた鶏や羊の脳みそなど、食のエネルギーはすごい。
さらに、主にペットとなる鳥や猿や犬やうさぎなどを売っているバードマーケットを訪ねる。そこの飯屋でナシチャンを頼むと、具はすべて鶏という鶏好きにはたまならいメニューが登場。卵も鶏肉も実にうまかった。
しかし、デンパサールは暑い。予定を切り上げてウブッへ。田んぼがあり、車が少なく、ちょっと標高の高いところにあるからだろう、涼しい。空気もきれいだ。やはり、ここはいい。
夜は、バロン&クリスダンスを見に行く。まだ若い劇団らしく、少女の踊りはつたない。しかし、仮面の踊りはなかなか勇壮で、しかも分かりやすく、おもしろかった。
劇後、水底はちょっとお腹がすいたと言ってソトアヤム(チキンスープ)を頼む。すると、ナシもついてきて、ナシソトアヤムとなった。ソトアヤムには、春雨やらゆで卵やら、具がたっぷり入っていたので、ラーメンライス定食という感じだ。味も日本のチキンラーメンに具をたっぷり入れ、手を加えたというところか。

食:7時半、卵とトマトのトーストサンド、フルーツ。
食:13時、ナシチャンプルー(鶏の唐揚げ、鶏のカレー煮、レバーのからから揚げ、ゆで玉子、長豆と葉っぱの煮物、サテ、唐辛子)、アイスティー(各二人分)9000Rp。
食:18時、パダン料理屋にて、豆腐揚げとジャガイモフライ、葉っぱ、唐辛子、カレー汁、ご飯、紅茶(私)、牛肉のカレー煮、ゆで玉子のカレー煮、白ナスゆで、葉っぱ、唐辛子、カレー汁、アイスティー(水底)9000Rp。
食:20時半、ミックスジュース(私)、パイナップルジュース、ナシソトアヤム(水底)10000Rp。


6月30日(火) ウブッ 晴れ
前日までいたハノマン通りのJATIから近くのDEWANGAに移る。JATIは安くて清潔で、朝ごはんがとてもおいしくていいところだった。目の前には田んぼが広がっていて、毎日変化が見られた。しかし、1箇所だけというのも能がないので、今回は、あえて移ることにする。DEWANGAは、JATIよりもはるかに高いが、独立したバンガローがあって、明るい。ちょっとぜいたくをさせてもらおう。と言っても、1泊80000Rpであり、JATIが30000Rpだけのことであるが。ちなみに、ここには、最高級の部屋があって、1泊200000Rpである。2階建て1棟で、実に素晴らしい風呂やベッドルーム、カウンターなどがついている。ドル表示のホテルに比べればそれでもはるかに安いのだが、あとは考え方ひとつ。
長期滞在にはJATIのようなところがよいと思う。
さて、滞在場所を移動した上で、念願のバビグリン(子豚の丸焼き)屋で飯を食った。
子豚の皮がパリパリになり、中まで火が通るようゆっくりと1頭を回しながらあぶり焼きにする手間ひまのかかる料理である。この皮と肉が実にうまい。豚肉とは思えない。唐辛子の効いた野菜や付け合わせと一緒にご飯をもりもり食べる。この店は、地元の人にも御用達でひっきりなしに、そこで食べる人やブンクス(お弁当)にしてもらう人がやってくる。もちろん、1日1頭のみ。売り切れたら終わりなので、人々も遅れじとやってくるのだ。
夜は、バロンダンス&ファイヤーダンスを見る。日本人が多いのはなぜだろう。ファイヤーダンスは、前回よりも迫力があり、足元に椰子炭が飛んできて熱かったりする。水底大興奮。

食:8時、バナナジャッフル、フルーツ。
食:12時、バビグリン(豚皮、豚肉、豚の血ソーセージ、野菜炒め、唐辛子)、ご飯、エスジュルジュース(ミカンジュースにシロップを入れ、水で薄めたもの)12000Rp。
食:13時半、パイナップルジュース(水底)、バナナラッシー(私)
食:18時、コドフライ(蛙)、ご飯、マンゴージュース(私)、ナシチャン(テンペゴレン、タフゴレン、ミーゴレン、アヤムゴレン、クルプック、ちょっと野菜、サテ)、マンゴージュース(水底)23000Rp。


朝ごはん ご飯を炊く
ある日の朝ごはん。JATIにて 市場にて、ご飯を炊きあげているの図

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