もし星が神ならば
IF THE STARS ARE GODS
グレゴリイ・ベンフォード/ゴードン・エクランド
1977
本書は、1992年の火星生命探査で幕を開け、2017年に月に到着した太陽生命を探査する異星人との接触を経て、2052年に異星からのデータ通信を受け、2060年に木星、2061年にタイタンをたどる、ブラッドリイ・レナルズの巡礼の物語である。
それぞれの場所で、人間と人間ではないなにかに出会える旅である。魅力あふれる/魅力のない人間。意志のある/意志があるかどうかわからない「なにか」。出会いながら、レナルズは、ただ自らの動機を追い求める。
本書には、火星の微生物、遺伝子改変された超人と人類の確執、箱に入れられて育てられた超人の失敗作、太陽こそが生命であり神であることを確信する異星人、木星の生命とおぼしき存在、タイタンにある生命を予感させる結晶体など魅力あふれる存在が登場し、レナルズの巡礼を彩る。巡礼というのは、もちろん比喩であり、本書がレナルズを巡礼者として明記しているわけではない。私には、巡礼としか読めなかっただけだ。
今、本書を見ながら計算したのだが、レナルズは1992年に27歳であり、ということは、1965年生まれで、私と同い年ではないか。1992年に天文学者として火星に行き、最初の有人火星生命探査チームの唯一の生き残りになる。そして、2061年、すなわち、レナルズは96歳で現世から姿を消す。
彼が生涯を通じて求めたのは、遠くに行くことと、見知らぬ生命に出会い、なぜ自分が他の生命を求め続けるのか、自問自答すること。SFを書く人/読む人が求める動機そのものである。彼は、実にすばらしい生涯を送った同世代人であった。
過ぎ去りし未来で、私たちは火星を知らない。しかし、ずいぶん遅れたが、ようやく今年、火星に水があり、生命があってもおかしくないことを知った。2061年までまだ57年もある。何が起きるかわからないではないか。
「もし星が神ならば」…それは詩的な表現である。
もし星が神であるとしても…私たちは、神を追い求めているわけではない。星に願い、星を求めているだけである。星はまだ遠い。まずは、手近の惑星から歩きたい。
はやく、月へふたたび。火星へ。そして、もっと遠くへ。
ネビュラ賞受賞。
(2004.3.31)