巨人頭脳
gigant hirn
ハインリヒ・ハウザー
1962
「ドイツSFの本邦初紹介」だそうだ。書かれたのは1958年で、著者の没年が1960年、出版が1962年、邦訳出版が1965年。翻訳者のあとがきによると、西ドイツではSFの用語があまり使われずユートピア小説、技術小説、未来小説などと呼ばれていたという。著者のハインリヒ・ハウザーにとっては処女SF作品で、死ぬまでの最後の作品となってしまった。そして、何を隠そう、この翻訳者こそ松谷健二氏である。そう、「ペリー・ローダン」シリーズを1971年から翻訳し続け、1998年に亡くなり続けるまで、ペリー・ローダンとともにあった松谷健二氏である。本書が、その釣書通り、「ドイツSFの本邦初紹介」であるならば、本書こそ、松谷氏が訳した最初のSFということにもなる。
それだけでも感慨深い作品だ。
さて、中身は、1975年のアメリカが舞台。もう30年前も過去の未来である。
冷戦の中、軍事的優位を保つため、人間の25000人分もの能力を持つ巨大な人工頭脳を完成させた。軍事使用だけでなく、航空管制や交通管制、通信、機械製造などさまざまな分野を制御下に置く「頭脳」。主人公の生物学者が「頭脳」の自我意識と接触し、知能や進化、人間や神について議論する。やがて、「頭脳」は、人間を下位のものとみなし、自らが生きのびるための戦いをはじめる。それは、人間への敵対であった。
「頭脳」を疑わない科学者、軍人たちのなかで、主人公の生物学者はひるみながらも「頭脳」を破壊するための方策を考える。
冷戦時、第三次世界大戦が現実のものとして語られていたころの気配が濃厚にただよっている。そして、専制政治に対する忌避感もまた、当時の空気を移している。
それを除けば、人間をはるかにしのぐ処理能力を持った人工知能、機械の自我意識ものとして基本的な課題と恐れが描かれている。ホーガンの「未来の二つの顔」や映画「ターミネーター」の設定などにも通じる、SFのひとつの古典テーマである。
真空管でできた機械の神。日本人ならば、手塚治虫の「火の鳥 未来編」などを思い起こすかも知れない。
書かれた年が1958年であることを忘れれば、古めかしいバロックSFと呼んでもよい。
でも、話の都合上やむを得ないとはいえ、蟻と白蟻を交配して新たな種を生み出すのは、当時の科学知識から考えてもちょっと無理な設定だと思うけれどな。
(2004.7.8)