永劫

永劫
EON
グレッグ・ベア
1985
 1980年台後半のアメリカを中心とする西側陣営のソ連を中心とする東側陣営に対する技術的優位は決定的なものとなり、1993年にいわゆる「小破滅」が起こる。東西両側が導入した宇宙防衛システムは十分に機能せず、数都市が核攻撃にさらされ、400万人が死亡。両陣営ともただちに講和し、第三次世界大戦はのがれた。
 2000年、地球に小惑星が急接近する。その小惑星は中が空洞の宇宙船であり、都市であり、それは、別の時空から来た未来の人類であった。しかし、そこには人類の姿はなく、アメリカを中心とした調査隊は未来の「図書館」を発見。そこには、この時空の地球とほぼ同じ歴史が語られ、その不幸な未来までも記されていた。全面核戦争による大破局と核の冬、そして人類と地球の再生までの長い苦難の歴史。それを知ったアメリカ人数名は、徹底した秘密保持をはかる。まさしく、その未来史通りに現実が動いていたからだ。
 2004年のクリスマス後に、若き女性の天才物理学者パトリシア・ルイーザ・ヴァスケスは、調査隊の一員として小惑星ストーンにおもむく。「n次空間理論における非重力歪曲測地線:超常空間の視覚化と確率集合へのアプローチ」を博士論文として記した彼女は、小惑星ストーンのなぞを解くキーパーソンとして求められたのだ。小惑星ストーンの中には無限とも思える空間が広がっていたのである。
 迫り来る地球での全面核戦争の恐怖、ストーン内部でのアメリカとソ連の緊張と、侵攻をめざすソ連軍、異常な空間とストーンそのものの秘密。そして、異時空の未来人や異星人たち。想像もつかないような光景を、筆者はていねいに書き連ねていく。その光景は、書いてある文章すら理解できないぐらいに壮大稀有である。
 さて、本書が翻訳され、出版されたのは昭和62年7月、1987年。私は広島市内の大学を卒業し、大企業の広島支社に勤務を命じられ、卒業と同時に離れたはずの広島に舞い戻ったばかりだった。会社と新たに借りたアパートとの距離は約1km。会社は市の中心部にあった。私は、毎日アパートを出て、橋を渡り、橋の中央にある平和公園の原爆ドームを横目で見ながら会社勤めをはじめていた。まだ、バブル経済の狂乱にあり、仕事は毎日忙しく、深夜にはとぼとぼと平和公園を抜け、原爆ドームの横を通って狭いアパートへと帰った。
 1945年8月の原爆投下以来、この街は常に核兵器の恐怖を現実のものとしていた。1カ月暮らしてみるといい。テレビでは、被爆者であることを証言する証人探しが今も続けられている。早朝、ふとした街のなんでもないところにしゃがんでお参りをしている人がいる。40年以上たったその頃でさえ、核はこの街に深い傷を残していた。広島に来て5年目。。私は何度となく、核戦争の夢を見た。その後広島を離れたあとも、その夢は忘れた頃に眠りの中の私を襲った。
 本書は、冒頭の「プロローグ 4つのはじまり」の2章において、2002年にソ連軍の士官で宇宙兵士訓練を受けていたミルスキーが小惑星ストーンを見上げながら、いつかストーンをソ連のものにする決意を固め「それまでは、この国がなくなることはないだろう」としている。作者は、この一文で、のちに全面核戦争により、アメリカもソ連も事実上なくなることを暗喩しているのであろう。
 本書は1985年に出版されており、本書が書かれた頃は、1980年から合衆国大統領になったロナルド・レーガンがSDI(戦略防衛構想、スターウォーズ計画)を打ち出し、ソ連を悪の帝国と呼び、緊張が高まった時期であった。世界は、本当に核戦争の恐怖におびえていたのだ。
 しかし、1986年、ソ連にゴルバチョフ書記長が登場し、同じ年、アメリカではスペースシャトルが爆発し、ソ連ではチェルノブイリで原発が事故を起こし、現実の世界でのソ連は1991年末には崩壊してしまった。
 2004年の今、ロシア軍のなどの兵器管理に不安が持たれ、ABC兵器(核兵器、バイオ兵器、化学兵器)は、小国とテロリストの手に渡りつつあるものの、人々は、大破滅を本気で心配はしていない。だから、今、読む本書と、当時読む本書では、ずいぶんと受ける印象が違うことだろう。
 気楽に読めるだけ、幸いである。
 本書には、全面核戦争、無限とも思える空間、パラレルワールドの存在、異星人、未来人、データ化された人々、補助脳など、さまざまなアイディアが湯水のように使われている。のちのベアの作品にも登場するようなアイディアもある。本書の科学的記述をすべて、その空想部分も含めて理解できるほどの頭が私にあればいいのだが、読んでいると少々こちらが混乱してしまうのはくやしい限り。
 そうそう、本書には、続編「久遠」がある。残念ながら、ちょうど、私の人生の混乱期に翻訳出版されたため、いまだに読んでいない。17年ぶりに本書を再読して、むしょうに「久遠」が読みたい。本書の流れを忘れないうちに、古本を探しに行かねばなるまい。
(2004.7.12)