万物理論
DISTRESS
グレッグ・イーガン
1995
上梓されたのは1995年だが、2004年に翻訳されたばかりのぴかぴかの新作を読んだ。グレッグ・イーガンの「万物理論」である。
時は2055年、主人公は番組作成ディレクター。片目にAI付きのカメラを仕込み、複数の人工知性体を使いこなしてデータの海を泳いでいるが、いまひとつ人とのつきあい方が苦手な男。
場所はステートレス。無政府主義者の人工島。バイオテクノロジーを使って作られ海に浮かぶ島。100万人が、生命特許も、特定の権力体制も認めずに暮らしている。バイテク企業の圧力から世界中の政府にボイコットされている島。入り口は、東ティモール空港を経由するしかない。
はじまるのは、国際理論物理学会。ここに3つの万物理論が提示されるという。
科学者たちが集まり、そして、理論物理学さえも忌避する反科学の様々な立場のカルト集団も集まってくる。
カルトと科学者の間で、主人公は次第に大きな出来事に巻き込まれていく…。
といった話である。
ハードSFのふれこみだが、たしかに、理論物理学の説明がたくさん出てくるので、ハードと言えばハードかも知れない。でも、あんまりハードではないかも。ストーリーの柱に関わってくるのが理論物理学なので、その点ではハードだけど…。何がハードかという議論もあろうが、最初からハードSFだと構える必要はなさそう。
1995年の話なので、最新の理論物理学から考えるとちょっと古いかなという感じもする。まあ、最新の理論物理学の何が分かっているのかといわれると、正直まったく分かっていないわけで、せいぜい1999年に上梓された「エレガントな宇宙」(ブライアン・グリーン)を何とか読んだり、「日経サイエンス」で最近の話題に目を通しては、ぼんやりと理解の周辺にいるぐらいだ。そんな奴が、ハードなのかどうか、話をする資格もないものだ。
社会情勢は、東ティモールが苦難の末独立するのが2040年になっており、実際には2002年に独立してしまったわけで、そのあたり、近未来物として、残念でしたという感じだ。1990年代前半は、東ティモールの独立運動に対し、世界中が注目していた時期でもあり、この点はやむを得ないところであろうが、翻訳が今年ということもあって、このあたりの国際情勢を知っていると、おや、と思ってしまう。まあ、重箱の隅です。
今から50年後の未来。バイテク企業の飯の種である生物特許は世界中に力を及ぼし、遺伝子組み換え作物、薬剤、素材、エネルギーなどがバイテクの力で作られている。しかし、富める者、持たざる者の差は変ることなく、飢える者もまた存在し続けるのであった。
ジェンダーへの向かい方は、その究極に行き着き、男性、女性、転男性、転女性、強化男性、強化女性、微化男性、微化女性という性のほかに、汎性という性からの脱却を成し遂げた人々たちも社会に類型されている。
そんな社会で主人公が悩むのは、他者との距離と、自己認識、他者認識のありよう。どうやって人と接したらいいのか分からないのだ。インタビューはできる。番組にまとめることもできる。でも、本当に、他者とどう向き合えばいいのかは、分からないまま。
現代的な悩みである。
バイテク企業が生命特許をもって世界中に力を及ぼしているというのは、今の延長線上で十分考えられることで、だから、生命特許をなくせば、バイオテクノロジーを野放しにしていいということではないと思う。バイオテクノロジーのあり方について、いや、科学技術の使い方について、社会的な合意が必要ではなかろうか。
おっと、SF評論から政治的主張に変りはじめた。このあたりでやめておこう。
(2004.11.17)