宇宙船ビーグル号の冒険
THE VOYAGE OF THE SPACE BEAGLE
A・E・ヴァン・ヴォークト
1950
宇宙船ビーグル号は銀河から銀河に旅をする探査船。1000人以上が乗り組み、その多くが科学者で、あとは警備のための軍人である。数学、物理、化学、天文、地質、考古、心理、生物、植物、冶金、社会など、さまざまな分野の科学者が、広大な宇宙を旅しながら、そこに出会ったものを収集、分析していく。はずであった。ビーグル号には、若きエリオット・グローヴナーが唯一の総合科学部長として乗り込んでいた。総合科学は若き学問で、部長といっても部下の研究者がいるわけではない。総合科学について、他の科学者は何も知らない。いったい何をする学問か! 若造が! ってなもんである。
ところが、異星の惑星、宇宙空間などで出会う様々な事件と生命体からの攻撃に対し、最終的に適切な対処を編み出すのは、いつもグローヴナー君の頭からであった。 すべてのできごとを様々な科学的角度から分析し、予測、判断し、行動を導き出すことができる、それが総合科学=ネクシャリズムであり、その知識と技能をもった科学者が総合科学者=ネクシャリストである。
ど、どーん。
すいません。ちゃかしています。
理由があります。
実は私、「総合科学部」出身である。
某国立大学は、大学紛争後に教養学部を改組して、総合科学部総合科学科という学部をこしらえた。私は、第10期入学生であり、その前後を見ていると、毎年のように入試の方法やカリキュラムのしくみが変っている。
学部生よりも教官、講座の数の方が多い学部であった。
ここは、ネクシャリズムではなく、「科学と技芸の統合」という英語の学部名がついていたので、本書とはあまり関係がないのだが、高校までに本書を読んだことのある人間がこの学部にはそこそこいるのである。まあ、そうだろうとも。
私の時には、入試も変っていて、二次試験では、理科系入試(数学と科学4つのうち1つ)、文科系入試(英語、小論文 等)があり、二次試験で理科系を選ぶと、共通一次試験の文科系科目が傾斜配点で1.5倍され、二次試験で文科系を選ぶと、共通一次試験の理科系科目が1.5倍された。つまり、どっちもできるのが欲しいということである。
その2年後には、一般の学部入試同様、二次の理科系選択者は一次の理科系科目が傾斜配点されたので、我々の学年と2年後の学年ではずいぶん傾向の違う学生が入ってきたようである。
さらに、入試は入試であり、入学後は、理科系の選考でも文科系の選考でも自由であった。しかも、義務として、他分野の専門をある程度とらなければならないことになっていた。
そもそも、ひとつのことに集中するのがまったくできない私には、天国のようなところで、あっちで心理学を、こっちで情報理論を、はたまた人類学や法学などをつまみ食いしているうちに、なんとなく卒業の運びとなったのである。
実は、本書をはじめてきちんと読んだのは、大学を卒業してからである。
ちょっと、気恥ずかしかったのだもの。
読んでみると、ええー! である。
たしかに、科学はその膨大な知識のため細分化し、専門性が求められるようになっている。一方で、さまざまな要素をそろえ、多角的に分析、判断することも求められているが、それを学問として育てる体系はなかなか育っていない。いわゆるコーディネート能力というやつであるが、どうもビジネス分野に偏っているようである。
本来、学問の分野にこそ、統合調整能力が求められるべきではなかろうか。
私の出た総合科学部総合科学科は、当時それをやるには力不足であった。今はどうか知らないが、社会の必要からできた学部だということは、今も信じている。
その意味で、本書に出てくる若き学問である総合科学は、ちょっとやりすぎだよなあ。
(2005.1.12)