時の仮面

時の仮面
THE MASKS OF TIME
ロバート・シルヴァーバーグ
1968
ねたばれします。ご注意を!
 20世紀末、ミレニアムを目前にした地球では、世界が終わることを信じる終末教徒の乱痴気騒ぎが世界各地で繰り広げられ、暴動が頻発していた。
 ヴォーナン19がローマの空中に現われ、地に降りたったのは、1998年12月25日。彼は神の子なのか? 新たな予言者か?
 彼は、2999年から観光に来たと自称する。本当に、ただの観光客なのか?
 世界中の注目を集めながら、ヴォーナン19は、行く先々で混乱とトラブルを巻き起こしながら、よってくる女を漁り、時には男も漁り、権力者や実力者を悩まし、そして、アメリカに来ることとなった。
 しかし、各国の政府は、終末教徒の暴動に辟易しており、人類が1000年先の未来も存在していることを示す自称「未来人」を「本物」にすることで、終末教徒の勢力を削ごうと、彼の希望する観光を受け入れることにした。
 アメリカ政府の依頼を受けて、アメリカを案内することになったのは6人の科学者たち。そこに、主人公のレオ・ガーフィールドもいた。彼は物理学者で時間逆行の理論に取り組んでいる。彼に加え、心理学、人類学などの学者たちが、ヴォーナン19を案内し、彼の不思議な言動の数々に、自我の崩壊に近い衝撃を受ける。だが、やめるわけにもいかない。
 レオにとっては、ヴォーナン19が本物ならば、彼の時間理論がいつかは本物になることを意味していたし、もうひとつ隠された大きな目的があったからだ。
 レオのかつての教え子で友人の元天才物理学者ジャックの依頼である。ジャックは、かつてレオの下で核分裂のような激しい反応を起こさなくても原子からエネルギーをとりだすことになる基礎理論を生みだしつつあった。レオは、それがエネルギー革命をもたらし、社会に多大な影響を及ぼす理論になることを知っていたが、ジャックが気づかない限り、その研究の社会的倫理的問題を伝えないと決心していた。
ジャックはそのことに気がついたのか、研究を完全に放棄し、美しき妻のシャーリィとともに田舎でひっそりと暮らしていた。
 ヴォーナン19が時折もらす未来の情報には、2000年代のいつか、そう遠くない時期に「一掃の時代」があり、彼の時代にはアメリカすら存在していないという。そして、限りないエネルギー源があり、金融や経済すらなく、必要なものは望めば得られる社会になっているとも言っている。「一掃の時代」とは、ジャックの研究の結果なのか? 悩めるジャックを救うため、レオは、その未来の真実を知ろうと決心する。
 しかし、未来人ヴォーナン19は、彼にとって遠い過去の出来事にまったく関心がない。
 レオをはじめ、世界中を混乱に陥れながら、ヴォーナン19は次第に、自らの20世紀末に与える影響に気づき、その影響力を行使しようとしはじめた。
 というようなストーリーである。
 書かれたのが、1968年。今から37年前。まだ、アメリカの建国二百年祭(1976年)さえ開かれていない。そんな時代に、30年後の「現代」を描き、そして、1030年後をかいま見せる。それを再読しているのが今、2005年である。以前に読んだのは1980年代。ややこしい。
 子どもの頃、1999年は、「ノストラダムスの大予言」だった。「恐怖の大王」である。
 学生の頃、2000年前後にはどんな世界の祭りが行われるのか楽しみだった。あと、15年ほど先の未来だったのだ。
 もう、それさえも20年前の過去である。
 それゆえに、本書は忘れ去られていくのかも知れない。
 しかし、ロバート・シルヴァーバーグはもっと今日的に評価されてもいい作家ではなかろうか?
 本物かどうかわからない、未来人により起こる狂想曲は、「火星人ゴーホーム」を思わせるところもある。純粋なエンターテイメント小説でありながら、人間社会や科学、宗教、権力、技術が持つ、「今」と「未来」のいかがわしさを床の一枚下からぺろりとかいま見せる。SFらしいSFなのだ。シルヴァーバーグは、過去や未来をたくみにあやつることで、人々に、現実を見せつける。それはすでに過去となった現実だが、現実となった現実と読み比べることで、気がつくこともあるのだ。
 もし、古本店などで眠っている本書をみかけたら、その長いタイムスリップからよみがえらせて欲しい。
 さて、以上で感想文はおわりだが、個人的な目的で、以下、本書に出てきた1999年をメモしておく。
 1999年、40億人の人口。
 車は電気自動車で、主要幹線はオートパイロットとなっている。
 都市でないところでは、住宅の地下に小型の原子炉が配置され、電力を供給している。
 自動調理器は、パンチするだけでブラック・コーヒーやトースト、本物のオレンジジュースを出してくる。すんだ食器は、皿洗器に入れるだけでよい。
 数年前にはやった自動酒場では、自動調理器のように飲み物をパンチし、クレジット・カードをスロットに差し込み決済する。
 コンピュータ端末は、すりガラスのスクリーン。緑色の光点が入力した文字を写しだしていく。完成した原稿はスロットからタイプされ、綴じられて出てくる。
 ブルーポイント種の牡蠣を最後に食べたのは、1976年の二百年祭が最後。その後に絶滅し、今では小粒なオリンピア種。
 繰り返すが、1968年から見た未来のひとつの姿である。
(2005.2.15)