燃えつきた橋
BRIDGE OF ASHES
ロジャー・ゼラズニイ
1976
日米の1970年代後半は、「公害」の時代であった。急速に進む工業化と自然破壊はスモッグ、公害病など工業の環境破壊が目に見える形で展開していた。すでに1962年にはレイチェル・カーソンが「沈黙の春」で化学物質の無制限な放出による危機を訴えている。日本でも、1971年にゴジラはヘドラとの戦いを通して公害のひどさを訴え、1974年に有吉佐和子が「複合汚染」の新聞連載を開始した。
21世紀初頭の今日は「環境」の時代である。「公害」の言葉は影をひそめ、「持続可能性」が言われる時代になった。しかし、今も化学物質の大量放出は行われ、工業をふくめたすべての人間活動で自然環境の破壊は進んでいる。
1970年代、「公害」が目に見えた時代に、SF作家のゼラズニイが人類と地球への希望を込めて描いたのが本書「燃えつきた橋」である。
地球人類は、異星人の影響を受けながら進化してきた。異星人は、遠大な計画をもって地球を高度な工業化によって亜硫酸ガスに汚染された星に変えようとしていたのだ。彼らは、数が少なく、自ら地球環境を変える力を持たないが、彼らは亜硫酸ガスに満ちた大気のある星を欲していた。そのためには、知的生命体を育て、彼らが工業化して自らの大気を汚し、自らも滅んでくれればよい。時に、人類の進化に手を加えながら、彼らの計画は着々と進行し、20世紀を経て21世紀には成功の道筋が見えたかのようであった。
一方、「敵」がいることに気がついていた人間もいた。ゼラズニイお得意の「不死」の男と女である。彼は、人類創生期から、「敵」に気がつき、「敵」と戦い続けてきた。彼の存在理由はただひとつ、人類と地球を「敵」から開放すること。そのためには、人類は20世紀のような存在から進化しなければならない。
今回のSFのガジェットとして取り上げられたのは、1968年の「ネイチャー」誌に掲載され、生物学に大きな衝撃を与えた木村資生氏の進化の「中立説」である。自然淘汰ではなく、変異そのものは分子レベルで無目的に起こり、それが定着するかどうかはきわめて偶然的なものであるとの考え方で、決定論を完全に否定するものであった。
そして、この中立説の申し子であるテレパシー能力を持つ者が登場する。ふたりのテレパシー能力者の間に生まれた子どもは、その潜在能力の高さから生まれたときから周囲の集団の意識にさらされてしまい、自我を確立できないままに肉体のみが成長を続けていた。時折、他者の断片的知覚と思考、自我を拾うだけで、まったくの植物人間状態と言ってもよい状態であった。
彼の自我を確立させ、目覚めさせようと試みるテレパシー能力を持った療法士。その治療の効果なのか、ある日、彼はひとりの男の自我を自分のものとしてしまう。
それは、自然保護テロリスト集団「チルドレン・オブ・アース」の狙撃者の精神だった。
ダムを破壊し、原子力発電所を破壊する彼らと共感してしまう少年。しかし、その共感が切れると、彼はまた、植物人間に戻ってしまう。
幾人かの人間たちと合一してしまう彼に、ついに、療法士は彼を月に送ることにした。
月ほどに距離が離れていれば、簡単な合一は起こらないであろう。
しかし、彼は、その予想を超えた合一を起こし、ついには自我を確立するにいたったのだ。彼の存在と、「不死」の男の存在が、地球の希望となる。
ゼラズニイは、自然保護テロリストの言葉を借りて、語る。
「田園を支持することは、即、都会を拒否することじゃない。いっさいを投げ捨てて、時計の針を逆もどりさせることはできない相談なのさ。おれたちがダムを爆破したり、公害発生源の息の根を止めたりしているときでも、世のなかのあらゆる科学技術を放棄せよと主張しているわけじゃない。ただその性質に関してもうちょっと賢明であれと言っているだけ、できればそれに代わるべきものを研究史、開発せよとうながしているだけなんだ」(225ページ)
人類が変化し、進化し、発展するのは、息をすることと同じこと。それは、生命としての本能なのだ。しかし、その背景にある自然、田園を支持することは、変化、進化、発展と反することではないはずだ。それを尊重し、慈しみながら変化できることが、人類の希望であり、力ではないか。そう、ゼラズニイは語りかける。
中立説にあるとおり、未来は、人類の変化、進化は決定論的なものではない。今のこの公害に滅びを予感し、絶望する必要はない。
アルキメデス、ルソー、ダ・ヴィンチなど、古くからの思索者の声を借りながら、「敵」である異星人と、人類自らのくびきを逃れようと、最後の戦いが今、はじまる。
それにしても、ゼラズニイの著作には癖がある。
西洋の宗教的思想が背景にあるため、どうしても読みづらいのだ。
本書「燃えつきた橋」を購入し、読んでから20年余、ようやく、本書がSF作品であることに気がついた。
さっぱりストーリーとして理解できなかったのだ。高校生の頃の私には。それは、高校生という若さと、80年代初頭という、あまりに本書「燃えつきた橋」が書かれた70年代後半に近い時代のせいだったのかも知れない。
(2005.4.24)