遊星よりの昆虫軍X

遊星よりの昆虫軍X
BUGS
ジョン・スラデック
1989
 SF界のひとつのジャンルとしてスラップスティックやギャグ、パロディなどの「笑い」がある。ふつうの「お笑い」と異なるのは、SFというジャンルのコンテクストを理解した上でずらすとか、SFというサブカルチャーの「おたく」的要素をうまくくすぐることで、読者を笑わせるとか、SFならではの設定を用意して、SFのコンテクストをそのまま活かしてどたばたにするなど、読者(読み手、対象)と手法の選択が重要になる。
 日本でもSFコメディやSFパロディ、あるいは、SFギャグなどが作品としてあり、なかでも大原まり子、岬兄悟夫妻が編集している「SFバカ本」は、SFの笑いを軸に、SF界、SF外界の作家に新しい世界を切り開かせ、読者にSFの幅広さを提示しており、決して主流にはなり得ないながらもSFの裾野を広げるために欠かせない重要な取り組みを続けている。出版社がこれに取り組まないのは、読者層がきわめて限られるためであるが、SFの重層性から言えば、笑いに取り組むことは欠かせないはずである。
 さて、本書はタイトルを見れば分かるとおり、「笑い」カテゴリーのSFである。
 リアルタイムに日米で繰り広げられていた80年代後半のAI、プログラマー協奏曲の変奏曲というところか。帯には「AIロボット開発計画が大暴走! 奔馬性ギャグも大爆発! SF最後の奇才の怪作」とある。ちなみに翻訳出版されたのは1992年の秋で、バブルをはさんだ経済狂乱のまっただなかでもある。
 話は、イギリスの売れない作家がアメリカで一旗あげようといさんで来たものの、迎えたのはゴキブリだらけの安アパート。売ってくれるはずのエージェントは消えるし、連れてきた妻は怒って帰るし、テクニカルライターとして面接に行った会社ではプログラマーとして採用されてしまうし、あげくに人工知能ロボットの開発チームに入れられるし、軍は動けばソ連のスパイや日本のスパイはうごめくし…。ということで、帯通りのどたばたである。
 ここからが難しい。
 おもしろくなくはない。いや、まあ、おもしろい。でも、なんとなく奥歯になにかが詰まっている。それは、翻訳不可能性である。
 どうも作者は英語で遊んでいるようなのだ。文章、単語、アメリカ文化、アメリカSF、アメリカSF映画など、さまざまなことで英語を使って遊んでいるところを、訳者は何とか雰囲気だけでも伝えようと努力している。その努力は買う。えらい。よくこんな本を1冊訳した。
 しかし、伝わらないのである。しょうがない。いくらアメリカSFとハリウッド映画に毒されているとは言っても、英語と日本語、その文化的背景までは伝わらないのだ。しかも、80年代テイスト満載であり、80年代のあの空気を理解していなければ分からないはずだ。「笑い」の作品は難しいのである。
 じゃあ、原書を探して読むか? と聞かれると、うーん、どうだろう。
 もし、90年代初頭に、英語が読めて、原書が手元にあり、時間があったらきっと読んでいて、笑っただろう。でも、もしだらけである。残念。
 もし、原書が手に入ったら、比較しながら読んでみたい。翻訳って難しいんだなということを知るには最高の1冊かもしれない。
 もし、この作品が古本屋さんにあったら、やっぱり買って読んで欲しい。そして、訳者の苦労に涙してほしい。それから、もうひとつ、スパムってダイレクトメールでも、電子メールでも、文の組み立てや誘い方(だまし方)って同じだなあ、ということにクスリとしてみたい方は、ぜひ読んで欲しい。
(2005.8.25)