栄光への飛翔
TRADING IN DANGER
エリザベス・ムーン
2003
私はこういうSFが好きです。はっきり言って漫画です。青年の成長譚です。危険がいっぱいです。次から次に主人公に危機的状況が襲います。自分の能力のなさを自覚しながら、自らが招いた危機を後悔しながら、その危機に対処し、さらなる成長を遂げます。
主人公は、士官学校を無理矢理退学させられた優秀な士官候補生の女性カイ(カイラーラ)・ヴァッタ。同時に彼女は、大きな星間運輸会社ヴァッタ航宙のオーナー一族の娘でもある。カイは、廃船となる輸送船の船長として廃船先の星までベテランクルーとともに片道の輸送航行に出る。しかし、そこで見つけたビジネスのチャンス、そして、マシントラブル、戦争の危機、反乱…。ちょっとお人好しで、それでいてクールな新米船長のお話である。
登場人物はみなくせがあり、若い女性船長への対応ということで、その人柄が出てくる。士官学校の教官、ヴォッタ一族、船のクルー、各星のステーションの役人、各星にある領事館大使、他の船の船長たち、傭兵会社のスタッフ、アンシブルを取り仕切る星間通信局の社員などなど並べるだけで「なにか」ありそうではないか。
物語の王道である。
あとがきでは、「紅の勇者オナー・ハリントン」シリーズ(デイヴィッド・ウェーバー)、「銀河の荒鷲シーフォート」シリーズ(デイヴィッド・ファインタック)の読者におすすめとあるが残念ながら私はこの2シリーズに手を付けていない。もうひとつ、「マイルズ・ヴォルゴシガン」シリーズ(マスター・ビジョルド)との共通点を挙げられていたが、これについては同感である。このシリーズは、身体的なハンデを持つ貴族の青年が士官を目指し、士官学校に入る。陰謀と危機につぐ危機を回避しているうちにいつの間にか、別の大きな傭兵組織のリーダーにもなってしまい、軍(王)、傭兵、貴族(自分の一族)の間でいくつもの顔を持ちながら八面六臂の活躍をしている。その物語のパターン、あるいは、読後の爽快感は同じものを感じる。
しかし、そこは作者が女性であり、女性からの視点も魅力のひとつである。たとえば、傭兵会社の社長で元将軍の男の元へ、星間通信局の特別顧問の女性がやってくるシーンで、ぽっちゃりとした背の低い、ピンクのスーツを着た女性が元戦士であることに非常に驚き、彼女が「一般的な女性戦士のイメージを壊して申しわけございません、ベッカー将軍。でも、あたくしの故郷では、みな背が低いんです。それに、よほど貧しくないかぎり、みなふくよかです(後略)」と切り返すシーンがある。さりげなく、だが「固定観念の性差」をきれいに否定するシーンである。
もっとも、このように会話で人間関係や力関係を表現してテンポよく物語を展開するのがこの作者のうまさなのだろう。
この物語には、特筆する武器があるわけではない。出てくる戦闘シーンといえば、ピストル・ボウにナイフ、小型銃器ぐらいなもの。宇宙戦闘も、破壊工作の爆発の後ぐらいであるが、そうは感じさせない。
SFとしても、出てくるのは、星間通信手段のSF的伝統であるアンシブルと超光速航宙エンジン、脳内に直接コンピュータ・通信手段などを入れるインプラントに、人体の治療を行う治療ボックス、失った記憶を再生する記憶挿入モジュールぐらいで、新しい道具や価値はない。物語のためのSFガジェットである。
これで物語を読ませ切るのだから、いかに優れたストーリーテーラーだということが分かるだろう。
ところでひとつ疑問を残しておきたい。アンシブルとは、「物理的には光速を超えられない」という制約の中で、「情報は光速などの物理属性に従わない」ことにして生まれた、光速でも通信に時間のかかるような2点間の即時通信システムのことであり、女性作家ル・グィンが1950年代に「発明」したものだが、本作品では、超光速航宙エンジン、いわゆるワープがあり、アンシブルは、それよりも早い通信ネットワークという位置づけになっている。このあたり、アンシブルの定義としてはどうなのだろうか。この視点で、他のアンシブル作品も確認してみたいと思う。
(2005.9.25)