ロボットと帝国
ROBOTS AND EMPIRE
アイザック・アシモフ
1985
「鋼鉄都市」「はだかの太陽」「夜明けのロボット」のロボットSFミステリ3部作に続き書かれた最後のロボットもの長編である。
アシモフのもうひとつの宇宙史ファウンデーション・シリーズ三部作が、1982年に「ファウンデーションの彼方へ」で続編の登場となる。その後半に、失われた「ロボット」についての記述があり、「地球」についての記述がある。
この「ファウンデーションの彼方へ」が人気を博した直後、アシモフは1983年に「夜明けのロボット」をしたためた。この作品は、まさしくSFミステリであり、地球人イライジャ・ベイリと、人間そっくりのロボット、ダニール・オリヴォーによる「殺人事件」の犯人と動機探しの作品である。
ここでふたつの大きな未来への可能性が語られる。それは、心理歴史学の可能性であり、ロボット三原則の見直しであった。そのために、心を読むロボット・ジスカルドが登場する。この「心を読む」ロボットがはじめて登場したのならば、ファウンデーション・シリーズとロボット・シリーズを合流させるためにアシモフが考えついた都合のいい話になるのだが、さすがアシモフである。すでに、初期のロボットもの作品で、スーザン・キャルビン博士が心を読むロボットに出会っていた。これならば文句は言えまい。
さて、この「夜明けのロボット」に引き続いて書かれたのが、本作、その名も「ロボットと帝国」である。「帝国」とはもちろんファウンデーション・シリーズで崩壊した「帝国」のことであるが、舞台の時は「夜明けのロボット」から2世紀も経っていない前・帝国紀、場所は長命種スペーサーの惑星オーロラ、ソラリアという、ロボット三部作でおなじみの星に、短命種の星・地球、そして、ベイリワールドである。
ベイリワールド。イライジャ・ベイリは160年前に死んだが、彼の望み通り、地球人は再び宇宙に目を向け、植民地を広げ、彼らは自らを長命のスペーサー(宇宙人)に対してセツラー(植民者)と呼び、そのもっとも古いひとつはベイリワールドであった。わずかな期間にセツラーは勢力を伸ばし、スペーサーとセツラーの緊張は高まっていた。
そんな時代の惑星オーロラには、ベイリが2度に渡って危機を助けたグレディアが、イライジャ・ベイリのパートナーであり友であるダニール・オリヴォーと、ジスカルドとともに暮らしていた。
本書「ロボットと帝国」では、いくつかの殺人が起こるものの、ミステリではないので、その動機や犯人を捜す必要はない。では、本書は何なのだろうか。
「ファウンデーションの彼方へ」で、アシモフは遠い未来の人類のあり方について悩み、解釈するが、本書「ロボットと帝国」では、その「心理歴史学」と「ロボット三原則」のあり方について悩み、解釈する。
ダニール・オリヴォーとジスカルドの会話は、堂々めぐりを続けながら、「人類」「人間」「ロボット」について悩み、悩みながらも「三原則」に従って行動を続ける。
そして、イライジャ・ベイリによって異色のスペーサーとなったグレディアは、その異色さ、ユニークさ故に、伝説となり、歴史となる。彼女の旅の過程で未来の「帝国」の道が開かれる。2万年後のファウンデーションで探索の対象となった「地球はどこにあるのか」「なぜロボットはいないのか」「なぜ長命種はいないのか」「どうやって地球の短命種は帝国を築くまでになったのか」が語られる。
本書は、アシモフのロボットものの集大成であり、アシモフが生みだしたロボット三原則のひとり歩きに対して、アシモフがつきつけたひとつの答えでもある。
ダニール・オリヴォーとジスカルドの対話は、まるで、哲学者とその弟子か、高僧同士の対話である。
いや、もしかすると「神」の対話だったのかも知れない。
アシモフは、神を否定しながらも人類を導くものの存在を無意識に作り出したのではなかろうか。それが、ダニール・オリヴォーという人の姿に似せて作られた形をしたものではなかろうか。
人が神を作り、神が人を導く。そんな風にさえも思えてしまう。
そして、ダニールとジスカルドの結論と結末は、人類に対するサクリファイス(聖なる犠牲)ではないかとさえ思えてしまう。
正直に言おう。しかし、それ故に、古き良き時代の読者である私としては、最初本書を読んだ際に、とまどい、不満を感じた。なにも、ロボットものでまで、人類の未来を語らなくてもいいではないか、と。しかし、その後あらためて「鋼鉄都市」(1953)を読み返したときに、アシモフの心の中には常に一貫性があったことを感じた。
それは、人の、知性の可能性である。
彼は、人の、知性のつくる奔放で活気ある世界を信じるとともに、秩序ある穏やかな世界も同時に希求し、その反映としてロボットを生みだしたのだ。
ロボットと帝国。
アシモフの「希求」するSFと世界は「ファウンデーションと地球」でクライマックスへと向かう。
(2006.3.28)