ライズ民間警察機構
LIES, INC.
フィリップ・K・ディック
1983
現実は脳の中にあり、真実はただそこにある。
もし、私だけが体験する現実であり他者とその現実を共有できないならば、私の脳に何か問題があるのだろう。多数の他者と現実を共有したとき、そのすき間に真実の片鱗を見ることができ、そして同じ世界を生きているという実感を得ることができる。
しかし、それがたったふたりしか共有するものがない現実だったらどうなのだろう。
そこに真実はあるのか、そして、同じ世界で生きていけるのか。
フィリップ・K・ディックは、現実がいくつもあることを知っていた作家である。
共有できない現実におびえ、共有できる現実も、真実ではないかも知れないことにおびえ、真実すら多岐に渡って遷移していくものではないかとおびえていた。
その世界の不安定さと、現実の不安定さ、同じ世界に生きるということの不安定さを、作品に書き続けた。
ここにふたつのテキストがある。ひとつは、ネズミが登場し、主人公に多大な示唆を与える。もうひとつには、ネズミが登場しない。
私の同居人がこのふたつのテキストを手に取ったら、前者は読むべき1冊となり、後者は読むかどうか分からない1冊となる。なぜならば、前者にはネズミが登場しているかで、同居人はネズミが大好きだからだ。あの丸3つでも権利を主張するネズミではない。生きた、動くネズミである。
ネズミが出てくるテキストは、本書「ライズ民間警察機構」のことであり、ネズミが出てこないテキストとは、同じディックの作品「テレポートされざる者」である。
ここにふたつのテキストがある。どちらも同じ舞台、同じ登場人物、そして、多くの同じ文章で構成されている。
話はこうだ。
2014年、世界は統一ドイツを中心にした国連によって牛耳られている。人口は70億で、人であふれている。過去、いくつかの惑星や他の太陽系が探検され、移住も行われたが、過酷な環境で「もうひとつの地球」とはなっていなかった。
フォーマルハウトの第九惑星「鯨の口」は、人類がそのまま生存できる希有な惑星として発見された。それとほぼ同時期に、ドイツのTHL社がテルポー技術を発明する。送信、受信の設備を設置すれば瞬時に人や物を移動できるテレポーテーション技術である。しかし、その技術は、宇宙の膨張方向によって一定の方向にのみ作用した。すなわち、地球から鯨の口への道であり、その逆はなかった。THL社は、惑星への移民と開発を含むすべての権利を持ち、これまでに4000万人を受け入れていた。
地球では、もうひとつライズ民間警察機構という私企業が、国連統治の地球で情報操作を専門にした警察力を行使し、国連に対置する大企業となっていた。
そして、いま、恒星間宇宙船を有する唯一の民間企業はTHLによって倒産の危機にあり、企業の所有者であるラクマエル・ベン・アップルボーム、THLに対抗するためだけに恒星間宇宙船で片道18年もかかる鯨の口への旅に出ようとしていた。彼は、鯨の口から届く美しい情報のすべてが嘘ではないかと疑っていたのだった。
そうして、ライズ民間警察機構の主なメンバー、ラクマエルらが鯨の口に行く。
そうして、現実が遷移していく。
軍事国家的収容所、異星人の統べる世界、美しい豊かなもうひとつの理想の地球、機械仕掛けの世界…。
真実はどこにあるのか。そして、人類と「鯨の口」に希望はあるのか…。
ふたつのテキストのうち、ひとつは、本書「ライズ民間警察機構」であり、もうひとつは、「テレポートされざる者」である。どちらも、ディックが執筆した作品だが、どちらも、作品として完成していたかどうか不明なところがある作品でもある。そして、どちらも、ディックの死後に発表された、同じテキストを元にする異本である。
そもそも、この変容する作品は、まず、「テレポートされざる者」の前半部分の形で雑誌に掲載された。それを単行本とする際に書き足し修正された原稿ができたものの結果的に雑誌掲載のまま出版されてしまう。そうして増補した作品は出版されないままに放置され、その後、出版社と完全版を書く約束になったままディックの死を迎えた。
「テレポートされざる者」(1966、サンリオSF文庫、鈴木聡訳、1985年8月)は、1966年頃までに書き足しと修正され、出版されることのなかった原稿をベースに1983年に出版された。その際、3カ所の原稿欠落があり、そのまま出版されている。
一方、本書「ライズ民間警察機構」(1983、創元SF文庫、森下弓子訳、1998年1月)は、ディックの死後発見された原稿で、「テレポートされざる者」を書き直していたものらしい。1979年頃までに執筆したものであるとされるが、1983年に欠落部分をジョン・スラデックが補筆して出版されたものである。
本書のあとがきに牧眞司氏が詳しく整理しているが、「テレポートされざる者」と「ライズ民間警察機構」では、同じ原稿が使われている部分と、書き足された部分があり、同じ原稿部分も構成を変えてあるために、物語も物語から受ける印象も大きく異なっている。
作品の中で、前提となるであろう現実が変わっているのだ。そのため、まったく別の世界、まったく別の結末を迎える。
本書「ライズ民間警察機構」の方が、より深い混乱をもたらすであろう。
まったくディックらしいではないか。
しかし、ここで疑問が残る。はたして、「ライズ民間警察機構」は、そもそもディックが構想した通りの完全版なのだろうか? そうであれば、ディックは原稿を編集サイドに引き渡していてもよかったはずである。
さらに、「テレポートされざる者」の欠落部分が後日発見され、「テレポートされざる者」はそれで一応の完結を見せるのだが、「ライズ民間警察機構」には、「テレポートされざる者」の3カ所4枚の欠落部分のうち、「ライズ」でも使用された2カ所の欠落がそのまま残っていた。それを、スラデックが補筆したのだが、欠落がそのままであったということは、ディックの書き直しは終わっていなかったことを意味するのではないだろうか。
ということは、「ライズ民間警察機構」はディックの考える完全版ではなかったかもしれない。「ライズ民間警察機構」のディックらしい現実の混乱は、ディックが意図した部分と意図しない部分があったのかも知れない。それすら、今となっては分からない。
ただ、異本として1966年までには完成していた「テレポートされざる者」と、1979年までにディック自身によって構成を変えられ、手を入れられた「ライズ民間警察機構」というテキストが我々の前に置かれているだけである。
(2006.7.19)