プロジェクト・ライフライン
BRIGHT NEW UNIVERSE
ジャック・ウィリアムスン
1967
プロジェクト・ライフライン、救命索計画…それは、宇宙探査計画の名称。月の裏側から宇宙に向けて電波を送り、返信を待ち、汎銀河文明との接触を試みようとする計画である。しかし、この計画は国際情勢の中で風前の灯火となっていた。20年以上続けられた計画は、いまだに宇宙からの何の返信もない。当初は、月軌道上に人工衛星基地があったが、事故によって月面に落下し、計画を推進したふたりの科学者が死亡。その後月面裏に基地が作られ運営されてきたが、アメリカも、人民共和国もこれ以上の援助をする気はないらしい。
そんななか、宇宙軍士官学校を卒業したアダムが、月面でのプロジェクト・ライフラインに志願した。彼には、彼のアメリカでの財産や地位、美しい婚約者を捨ててまで計画に関わる動機があった。彼の本当の父は、計画の創設者のひとりであり、事故で死んだ研究者だったからである。
汎銀河文明との素晴らしいコンタクトと、それによる地球人の発展を夢見て、希望に燃えたアダムが、今月基地に到着した。
というような流れではじまる本書「プロジェクト・ライフライン」は、その後、事故の真相の発見、アダムの月からの追放と陰謀につぐ陰謀、汎銀河文明との接触などを経ていくのだが、どうやら作者は、政治や人間性を語りたかったようである。
アダムを代表するのが、楽観主義で、汎銀河文明によって人類は科学的に進歩し、豊かな銀河文明の一員としてその恩恵を被るであろうという立場。一方は、悲観主義で、コンタクトによって人類は破滅するか、コンタクトの結果で人類社会は大きく変質してしまうことを恐れるという立場。さらに、この悲観主義の先鋒には白人優先主義が加わり、コンタクト楽観主義派を激しく責め立てる。
その悲観主義者=保守主義者の代表として、アダムの母が属する裕福な白人一族が置かれ、そこに上院議員、主教、将軍という政治・経済、宗教、軍事を代表する者を置くことによってアダムの「心の美しさ」との対比を図っている、ようである。
ところが、アダム。さすがアダムという名だけあってちょっと美人と見ると声をかけまくっている。自分ではいい感じなのだろうが、すっかり空回りしているのに本人は気づいていない。そういう態度で、正義を語るのだから、うんざり、ってとこだろうが。ここ、もしかしたら、笑うところだったのかも知れない。
古い教条主義的、社会正義派SFなのだろうか? 書かれた時期はベトナム戦争の頃だし、作者のジャック・ウィリアムスンは1908年生まれで、この頃すでに59歳である。そのあたりは多めに見た方がいいかも知れない。
現在においても、「人種」はさまざまな差別の元となっている。目に見える形でも、目に見えない形でも。40年前のこの作品に「人種」差別に対しての激しい表現があるのは、その時期を無視しては語れないだろう。
ところで、本書「プロジェクト・ライフライン」で一番笑えたのは、「電動発電機」という訳語である。?? 電気を使って発電する?? おそらくは、Electric-motorの訳なのだろうが、筆がすべったのだろう。
(2006.08.25)