大いなる復活のとき
RECLAMATION
サラ・ゼッテル
1996
遠い遠い未来の物語である。
すくなくとも百万年以上未来の話である。
宇宙船の船長エリク・ボーンは、ヴィタイ属の大使から緊急の呼び出しを受けた。ヴィタイ属は、コンピュータシステム技術や遺伝子操作技術などの高度な科学技術によって他の人類種属などに欠かせない存在であると同時に、自らの社会を秘密にし、他種属との接触を極力避ける一大勢力種属であった。そして、ヴィタイの大使の奸計で、エリク・ボーンは、自らがかつて逃げ出した世界である「無名秘力の施界」(MG49サブ1)の不触の女に会うこととなる。自分以外出るはずのない世界から来たこの女は、なぜ連れてこられたのか? 彼女の意志なのか? それとも陰謀なのか?
エリク・ボーンと不触の女アーラの存在は、ヴィタイ属、ヒト科再統一同盟、非ヒト科であるシセル異属、そして、世界から隠されていた施界の人々をも巻き込んでいく。
ヴィタイ属が求める失われた故郷は、施界のことなのか? 施界の人々と施界にはどのような力があるというのか? 宇宙の権力争いも相まって、争乱に巻き込まれていく人たち、異星人たちの姿を描く。
ちょっと変わったロボットやAI、世界に適応するよう、あるいは、いくつかの目的で遺伝子操作されたヒトの末裔、独自の言葉と宗教と世界観を持つ社会(惑星)と、宇宙に進出した社会の規範の違い、ネットワークとハッキング、超能力、ファンタジーと見まがうばかりの独自の用語体系の数々。そして、処女作特有の「でこぼこ感」がいい感じにまざりあい、さらに邦訳時の言葉の置き換えによる意味の変化の問題も重なって、おもしろさを実感するための苦労が欠かせない。できれば、数日間心を落ち着けて、余裕をもって読み進めるのがよい。毎日ちょっとずつ、電車の中で読んだり、数日あけて再開していると、何が何だか分からなくなってくるからだ。もちろん、記憶力のしっかりした人ならば問題ないだろうが。
とにかくとっつきにくい。どこに視点を置けばいいのか、それすら定まらないからである。本書「大いなる復活のとき」の帯の釣り文では、「ヴィタイ属の陰謀を阻止せよ」(下巻の初版帯)なんて書いてあり、最初からヴィタイ属=悪なんて読めなくもないし、実際、結構種属としてはあくどいのだが、本当に「悪」なのかは、読み手の判断によるだろう。
壮大な宇宙史的物語であることは間違いない。
なんといっても、みんな変化してしまっていて、感情移入がしにくいのである。
それでも、おもしろいと言えるのは、その設定の緻密さによるところが大きい。
なかでも、ヴィタイ属の社会や、施界の環境、社会、人々などは、きちんと構成してあり、それだけでも大したものである。主人公のトラウマや行動の背景もていねいにしようと心がけている。
壮大な宇宙史的物語を読みたいという方や、独自の用語がいくら登場しても記憶力の面では困らないという方にはおすすめの作品「大いなる復活のとき」である。
ローカス賞受賞作品
(2006.12.23)