ジョーンズの世界
THE WORLD JONES MADE
フィリップ・K・ディック
1956
2002年、世界はジョーンズの時空に飲み込まれた。1994年、戦争が終わり、世界は相対主義のもとに平穏に過ごすこととなった。戦時中、世界は大きくふたつの勢力に別れ、互いに核を使用していた。破壊と主義のぶつかり合い。その果てに、相対主義が生まれた。「真実」を声高に押しつけてはいけない。核戦争によるミュータントも含めて誰もがそれぞれに生きていくことを認めなければならない。しかし、その相対主義を守るために秘密警察が連邦世界政府の元に置かれ、絶対的真実を人に訴えるものを取り締まり、強制労働させていた。
1995年、若き秘密捜査官ダグ・カシックが、カーニバルで「個人の占いはお断り」と看板を出した男を発見する。その男こそ、ジョーンズである。
ジョーンズは、戦時中の1977年、アメリカ中西部で生まれた。1年先を常に経験し、同じ体験を2回繰り返さなければならない運命の元にある唯一の男である。彼は、未来をすでに起こったこととして語る。連邦政府が秘密にしていた「漂流者」という宇宙生命体についても警告したのがジョーンズである。
未来の真実を語るジョーンズであったが、秘密警察は彼を逮捕したままにおくことはできなかった。なぜならば、それは事実であり、事実を語ることを法律で禁じることはできなかったからである。
ジョーンズは、自ら定められた時の流れに沿って、教会をつくり、勢力を広げ、ついには、連邦世界政府を倒して自らが権力者となっていく。ジョーンズは常に1年先までを知っていたから、彼にとっては困難なことではなかったのだ。そう決まっていただけのこと。
ジョーンズの存在を「発見」した、ダグ・カシックは、その後も、ジョーンズの勢力に取り込まれていく妻のニーナとともにジョーンズの世界に翻弄されていく。
もうひとグループ、ジョーンズの世界に翻弄されそうになっていた存在がいた。7人の地球の生態系では暮らすことができず、政府の研究機関がつくった「避難所」と呼ばれる独自の大気、状況の中だけで生きることのできる「新人類」である。彼らはひとつの希望でもあった。
ディックの長編には、登場人物にとって当たり前だと思っていた世界/生活が実はまがいもので、本当の世界は違ったものという図式を持つものが多い。シミュラクラ、擬態、まがいもの、にせものに汚染されていき、本物だと、真実だと思っていることが、次第にゆらいでいく。そのなかで、登場人物の幾人かは、時に自分でもおもいもよらない勇気というか、人間らしさを発揮し、そのときできることを、ただ行う。なぜそれをやったのか、自覚のない登場人物も多いが、それによって物語は展開し、それまでのシミュラクラ、擬態、にせもの、まがいもの、あるいは世界は一変する。それは物語上の本当の世界かもしれないし、物語上のもうひとつのシミュラクラ、擬態、にせもの、まがいものかも知れないが、間違いなく、世界はそのありようを変える。
本書「ジョーンズの世界」は、1年先を体験し続けるジョーンズという存在によって、1年先の未来が「確定する」ことにより、「今」が揺らいでしまう。わからないはずの「今」と「次の瞬間」が、ジョーンズという存在によって当然起こるべき1年前のできごとになってしまうのだ。しかし、ジョーンズ以外の人々にとって、1年先は未来であり、今と次の瞬間は不安定なままである。だから、ジョーンズ以外の人々にとって、ジョーンズの存在を知ること、関わることは、安定した世界の崩壊となる。
なんとまあ。
もちろん、ジョーンズにとっても、1年先より「先」は分からない。だから、本当は、世界は大きく変わっていないのだが、人々はそれでも大きな影響を受けるのだ。
本作「ジョーンズの世界」は、1956年に発表されたもので、ディックの長編としては第2作という位置づけになっている。初期の作品は、物語に文章的破綻や論理的破綻が少なく、その分だけ理解しやすい。特に本書は、1年間の先を知ることができるジョーンズという座標があるだけに、とても分かりやすく、また、その周辺で繰り広げられる物語も比較的単純である。
それだけに、ディックの世界に対する怒りや不安とともに、人や人類に対する希望がはっきりと書かれていて、ディック入門書としてはおすすめの作品である。
そうそう、体制や人々の思想の流行なんて、10年も時間をおけば簡単に変わるのだ。
だから、もし、今、辛い時期であるとしても、じっと我慢することも大事だ。
もし、今、すてきな社会だと思っていたら、どこかに「まがいもの」が潜んでいるに違いない。そのことは自覚しておいた方がいい。
ま、そういうことで。
(2007.03.04)