去年を待ちながら
NOW WAIT FOR LAST YEAR
フィリップ・K・ディック
1966
戦争、ドラッグ、時間と空間の混乱という舞台設定。人工知能を積んだタクシーが主人公たちととんちんかんながら人間くさい会話を交わし、スクラップにされるべき不良品として選別された疑似生命体が、技術者によって救われ、カートとして動くだけの能力を与えられ、都市にはなたれ生きていく様…。混沌としたいかにもディックワールドらしい作品である。名作とは言えない。駄作ではない。作者名を伏せて書かれていても、それがディックの作品であることは間違いなくわかる、そういう作品である。
「去年を待ちながら」
簡単にストーリーをまとめておくと、西暦2055年、地球は星間戦争に巻き込まれていた。恒星間探査の結果、人間に良く似たリリスター星人と出会い、同盟関係になったところで、リリスター星人の宿敵で昆虫に似たリーグ星人との星間戦争に荷担することとなってしまったのだ。国連事務総長のジーノ・モリナーリは、巨大企業TF&D社の支援を受けてリリスター星人の法外な要求をはねのけながら、なんとか地球を守ろうとしていた。しかし、彼の体調は思わしくなく、TF&D社の社長の専属人工移植医のエリック・スイートセントは国連事務総長の治療のために派遣されることとなる。
一方、エリックの妻でアンティーク・デザイナーのキャシーは、エリックとの不和もあり、極秘のドラッグJJ180を体験してしまう。JJ180は、この戦争を終わらせるために開発された致死的な幻覚ドラッグだったのだ。そして、人によっては、パラレルワールドの別の時間軸を体験する力を一時的に与えることのできるドラッグでもあった。少しだけ歴史の違う過去や未来を体験するドラッグは、1回の服用で確実に中毒させ、連続服用しなければ死を、連続服用してもいずれは死をもたらす毒薬でもあった。
果たして、この戦争は終わるのか。地球人は生きのびることができるのか。キャシーの命は救われるのか。
ということで、世界は多重性を持ち、人はそもそも多重性に生きていくなかで、主人公の人工移植医は、その多重的な生き方に絶望しつつ、簡単で大切なことを学ぶのだった。
別に、啓蒙されるようなないようではない。
あいかわらず、主人公は状況に振り回されるだけで、状況そのものではない。
失敗もする。挫折もする。うかれもする。
それでも、読み終わったとき、何かに涙する。
ああ、ややこしい。
(2007.03.26)