コラプシウム
THE COLLAPSIUM
ウィル・マッカーシイ
2000
読み損ねていたが、読んでみたらとてもおもしろかった。どうして読み損ねていたかと言えば、表紙と裏表紙の釣り書きである。こちらがおじさんだから、どうにも最近のハヤカワ文庫SFの表紙についていけないことが多い。釣り書きを読んだら、表紙に描かれた髪の毛が赤く、光線銃のようなものを持った美少女が「捜査局長」で、科学者とともに難事件を解決するのかなあ…と思ってしまったのであった。なんだかなあ…、気がそそらないなあ。捜査物だと、「アークエンジェル・プロトコル」(ライダ・モアハウス 2001)のことを思い出して、ちょっと手が伸びなかったのだ。反省。
私好みの作品でした。
まず、ハードSFです。思いっきりハードで、はっきりいってそこに書かれている物理理論が、すでに科学的に提唱されている理論なのか、それとも作者が作り出した理論なのかさえわかりませんでした。それでも、しっかりと楽しく読み込ませるところがいい。
なんというか、分かったような気になるというか、壮大な気分に引き込んでくれるというか、そのあたりのさじ加減が実にいい。
次に、登場人物がいい。
ベースは、「マッカンドルー航宙記」(チャールズ・シェフィールド 1983)のマッカンドルーそっくりである。天才で、変人。宇宙的な危機を、その天才的なひらめきで解決するあたりや、自分が行動してしまうあたりが実にいい。
さらに、設定がいい。
太陽系は女王国となっており、人々は事実上の不死とどこでもドアの時代を迎えたばかりである。これらのほぼすべては、主人公ブルーノ・デ・トワジ配偶極士の発明を基礎としている。ブルーノは、発明によって太陽系随一の資産家となり、その功績を持って女王のふたり目の寵愛者となり、すべての人々に注目されたため、やがて研究を目的に太陽系辺境に小さな小さな惑星を所有し、自ら太陽と月をつくりひとり隠棲していた。
しかし、太陽系の危機に際し、女王からの要請によってその危機を解決していく。孤独を愛しながらも、時に人恋しくなり、研究に命をかけながらも、自らの心のありように悩む複雑かつ愛すべき人物こそが、ブルーノである。
離れたと言っても女王を心から愛し、人々を愛するブルーノが迎えた、太陽系最大の危機。波乱に満ちた冒険の数々。登場するサブキャラクターの個性豊かな属性。ひとりとして、真に悪者はおらず、悲惨なできごとも物語として心の中に整理することができる展開。
くだんの美少女捜査局長も、そのひとりに過ぎない。
新たな科学的知見と科学技術によって、世界が変わり始めたときを描いたとてもなじみよいハードSFであり、スペースオペラでもある。
本書「コラプシウム」の雰囲気としては、同時期に発表された「ノービットの冒険 ゆきて帰りし物語」(パット・マーフィー 1999)のような風情もある。こちらは「ホビットの冒険」(トルーキン)の設定をそのまま宇宙に移したものであるが、本書「コラプシウム」は、さらに同じトルーキンの「指輪物語」的な風情も入っている。白の科学者と黒の科学者の間の緊張感とか、最後には指輪まで出てくるし…。
ちなみに、本書「コラプシウム」のコラプシウムとは、「ニューブル質量ブラックホールから作られる菱面体結晶」でブルーノの発明。これを使ったコラプシターは即時通信装置みたいなもの。
そのほか、主要なテクノロジーとして、ウェルストーンがあり、こちらは「自然物、人工物、理論上の物質をエミュレートできる」、つまりは、プログラマブルな物質ということ。一枚のウェルストーン壁がドアになったりガラスになったり、鉄になったり、コンピュータになったりということ。
もうひとつが、ファックス。こちらは「貯蔵してある、または転送されたデータ・パターンをもとに、物理的実体を再生産する機器」ということで、コラプシターと組み合わせて、人間や物質のどこでもドア的転送ができるということになる。さらに、このファックスの過程で、病気や身体の不具合を再調整することが可能であり、それにより事実上の不死が達成された、ということ。
これらのテクノロジーが、太陽系に大きな変革をもたらし、新たな事件を起こすことになる。
とにかく、本書「コラプシウム」は、ハードSFとしても、スペースオペラとしても、それから、ひとつの物語としても、おもしろい。
(2008.01.24)