天の筏
RAFT
スティーヴン・バクスター
1991
わーい、SFだ、SFだ。これぞSFだ。おもしろいぞう。背表紙の釣書を見ると「重力定数が10億倍の宇宙に迷いこんだ宇宙船乗組員の末裔たちは、呼吸可能な大気に満たされた<星雲>で生き延びていた」とある。「重力定数が10億倍」なんて、もう、いけず、である。でも、難しいことが分からなくても大丈夫。次第に、この世界に慣れるから。小さな小さなこの宇宙の、この星雲に。そして、主人公のリースとともに、この滅び行く星雲の、滅び行く人類のコロニーの中で、夢と希望を求めて冒険し、成長し、そして旅立つのだ。
光を求めて動く木を光をうまく遮ることでコントロールして呼吸可能な宇宙を飛ぶなんて、まるでおとぎ話ではないか。しかも、ハードSF。しっかりした宇宙ができあがり、人が生まれ、育ち、そして死んでいくのであった。
ところで、最初に主人公が厳しい生活状況から密航し、都市に入る設定って、どこかで最近読んだような気がする。よくあるパターンではあるのだが、同じようなSFだった。最近といっても5年、10年あっという間だしなあ。それを調べ直す余裕がなくて、なあ。
本書「天の筏」は今回、古本として購入したのだが、もしかして読んでいたのかも知れない。
作者のバクスターが書いている通り、ニーヴンの「インテグラル・ツリー」とも設定が似ている。「インテグラル・ツリー」も遠い昔に読んでいるのだが…。覚えがない。少なくとも言えることは「天の筏」は手元になく、「インテグラル・ツリー」は手元にある。
記憶とはおぼつかないものだ。
おかげで、何度でも楽しめるのだが。
さて、飢餓が迫る鉱山星のリース君、頭がよくて好奇心も旺盛。学問は体系だって受けていないけれど、科学的思考は備わっていて、原因と結果を追求する。そうして彼がたどり着いた疑問はひとつ「なぜ、この星雲は死にかけているのか」「生きる道はないのか?」その答えを知りたくて、密航し、世界を統べる天の筏へ行くのだった。
こういう作品を若い頃に読みたいね。年を取ってくるとどうにも夢、とか、希望とかではなく、終わり、とか、悪くなる、といったことを考えがちになる。超高齢社会が近くなると、社会全体が終わりかけるような気持ちになる。それはよろしくない。どんな世界でも、若い人には夢や希望がある。世界はまだ開けていない。だから、夢や希望が必要だ。年を重ねても、夢や希望を失ってはいけない。
(2011.02.10)