ねじまき少女
THE WINDUP GIRL
パオロ・バチガルピ
2009
地球温暖化の進行で、海面上昇が止まらなくなった世界。平野部は次々に水没していく。バイオ技術と経済的混乱、石油の枯渇は、世界を大きく変える。遺伝子組み換え技術は、新たな作物を生み出すとともに、遺伝子組み換えによる新たな病害虫を生み出し、敵対的存在の作物を毒物化し、栽培不能にしていく。遺伝子戦争である。敵は、ライバル企業であったり、言うことを聞かない国であったり、あるいは、テロリストであったりする。その被害に巻き込まれるのは、人々。病にかかり、飢え、死ぬ。世界は混乱し、多くの政府が多国籍企業の軍門に屈す。しかし、その多国籍企業ですら、エンジンであった石油を失い、動力をカロリーをジュールに変える、すなわち、人や動物の力によってエネルギーを生み出さざるを得なくなる。燃やすのは論外。これ以上、炭素を放出することは許されない。
そんな中でも、独立を保ち続ける、タイ。
もちろん、タイも安定しているわけではない。高い防潮堤を築き、水を排出し続けなければならない。カロリー企業と言われる多国籍企業の圧力は経済的に、暴力的に、バイオ的に次々とタイの「市場開放」を求める。縮小の時代に、拡張を望むものたちは常にいる。
登場人物のひとり、アンダースンもそのひとり。ヨーロッパでのビジネス拡張に失敗し、タイで失権回復を狙っている。マレーシアでの中国系マレーシア人大虐殺を逃れたホク・センを雇い、動力源を蓄積する「新型ゼンマイ」の製造工場を足がかりにしながら、タイのバイオ技術の背景を追っている。
タイ国内も、一枚岩ではない。タイは国王の元に一体であるとともに、政治だけは常に争いを続けてきた。この時代でも変わらない。経済成長と市場開放をめざす通産省と、疫病を防ぎ、温暖化を対応する環境省の間で激しい闘争が続いていた。環境省側には、元ムエタイのチャンピョンで、疫病に対し死を賭して戦った、不正を許さない英雄ジェイディーがいる。いつもジョークを絶やさないジェイディーの部下には、決して笑うことをしない美女の副官カニヤがついている。ジェイディーは、正義を貫くとして、通産省のお膝元で不正を暴き、政界、経済界、外国資本に多大な被害を与えた。 どんな世界になっても、人間の欲望は変わらない。そして、富むものは富み、貧しきものはますます飢える。暴力が生まれ、愛が生まれる。死はあらゆるとろこに存在する。
そのタイに日本からきたエミコが置き去りにされていた。有能な秘書であり、性的パートナーとしてつくられた新人類のエミコは、肌を美しくするために汗腺が少なく、タイのように暑いところでは生きていくのも苦労する。命令に対して服従する精神を植え付けられ、人間とは明らかに違って見えるように動きにぎくしゃくしたところを与えられた存在。「ねじまき少女」である。
激動のタイで、エミコとアンダースンが出会い、そして、何かが生まれる。
石油の枯渇、エネルギー危機、経済危機、食糧危機、気候変動、資源戦争、バイオ技術の暴走、なにもかもそろったディストピア社会。それでも人は生きるしかない。それが世界だから。
それが世界だから。
311以降の日本人が繰り返す自問自答。私達が生きている原発事故の後の世界。思わず笑うしかないような世界。その中で読む、ディストピア社会のSF。
人間って馬鹿だよなあ。自分たちの環境を自ら壊してしまう。今壊れていなくても、潜在的に壊し続ける。その結果、自分たちが壊れてしまうという想像力を持てない。まったく持てないわけではなく、考えないようにしているだけだ。
そこにこういうSFが登場する。
21世紀SFの新人類は、「スラン」よりも迫害される。しかし、「スラン」のように希望を持つ。どんなに虐げられても、生あるものとして生まれた以上、希望を持つ。
私達は、希望とともに生まれてきた。
泣きたくなければ、笑うのだ。そして、世界が壊れたと思っても、ひとつずつ石を積み上げるしかない。あーあ。SFより現実の方がディストピアになろうとは。SFのわくわく感が減るよね。さ、楽しく読んだら、現実に戻ろう。
(2011.07)