子供の消えた惑星

子供の消えた惑星
GRAYBEARD
ブライアン・オールディス
1964
半世紀前に書かれたSFである。1964年ということは、私が生まれる前であり、世界は冷戦期であった。米ソ対立と核開発、ベトナム戦争の激化。作品はその時期に書かれ、20年後を予見し、60年以上先を想像する。
本書の未来は、1980年代初頭までに、大気圏核実験が盛んに行われ、それが地球に大きな変動をもたらしてしまう。大量死滅とまではいかなかったが、ほ乳類、特に、人類、犬や猫、家畜などには大きな影響を与えた。人類は、子供がほぼまったくといっていいぐらい生まれなくなってしまったのだ。舞台は2030年前後のイギリス。主人公は50歳代となった最後の子供たちのひとり「灰色ひげ」ことアルジャーノン・ティンバレン氏。妻や少数の仲間とともに崩壊する社会の中で生きている。物語は、彼の回想と現在の生活が交互に示されながら、進んでいく。子供のいない、いや、青年もいない、荒涼とした風景の中で、ささやかな希望、生きる望み、生きていくための行為を続ける「灰色ひげ」。
私はちょうど50歳になったところで、古書店にて本書を見つけた。中高生の頃、田舎の本屋で手に取り、それほど魅力を感じなかったことを記憶している。舞台は核戦争も起きていない地球、登場人物は老人ばかり(いや、今となっては私も50歳なのだが、当時からすれば、主人公さえ老人だったのだ)。おもしろそうな要素はなにひとつない。
こういうのも縁なのだろう。
自分自身が50歳となり、日本は少子高齢化が急速に進み、周囲でも子どもの数は明らかに減っている。仕事でちょっと農山村に行けば、学校の統廃合、数十人規模の小中学校などがあちらこちらにある。都心だって、少子化での統廃合が起きている事態だ。
幸いなことに、21世紀の現在、社会は安定している。かろうじて、だが。
この安定性を保ちながら、ひとりひとりが生きる喜びを持って暮らしていけるのか。
そのためには、どんな社会やコミュニティをつくればいいのか。
身につまされるような作品となった。
しかし、20歳、30歳の時に本書を読んでいたら、まったく違った感想をいだくのだろう。
読むタイミングというのは重要だな。
(2015.9.4)