映画 サリュート7

Salyut-7
2016

 クリム・シペンコ監督のロシア映画。吹き替えで見た。なんというか、アメリカの「アポロ13」のロシア版という感じだろうか。この映画を見ると、ハリウッドの同様の映画が「アメリカ万歳!」をやっているなあと感じてしまう。つまり、ロシア万歳!なのだな。
 そういうのって日本の映画でもあると思う。プロパガンダ臭。でも、見ちゃうんだよね、こういう科学人間ドラマって。
 ストーリーは「アポロ13」同様に、実話に基づいている。ロシアの宇宙ステーション・サリュート7号は、1982年に打ち上げられ、何度も有人運用されていたが、1984年7月に無人となっていた。1985年2月、サリュート7号は突然電源喪失、制御不能に陥る。このままでは制御できないままに大気圏に落下する可能性もあることから、復旧のためにふたりの宇宙飛行士がソユーズT-13でサリュート7に向かう。手動ドッキングを成功させ、いくつもの困難を乗り越えて修理ミッションを行なう。
 この機能停止からの修理ミッションを描くのが、映画「サリュート7」である。
 今日の映像技術は、別にハリウッドだけのものではない。宇宙空間と宇宙から見た地球、1985年という40年近く前の風景や技術シーンが丹念に描かれている。それを見るだけでも心躍る映画である。
 1985年、それはロシア連邦らがまだソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)と呼ばれていた頃のことである。米ソ冷戦は続いており、宇宙開発競争は冷戦のひとつの形態でもあった。秘密主義、官僚主義、それはアメリカにもソビエトにも言えたのである。
 そのような条件下で、実現困難と思われた修理ミッションに挑むふたりの男。サリュート計画に初期から関わりシステムを知り尽くす男ビクトル。彼には若い妻がおり、初めての子の出産を間際に迎えていた。もうひとりは、ベテラン宇宙飛行士のウラジミール。サリュートへの長期滞在経験があり、操船技術にも長けてはいたが、心理的問題があるとして現役からはずされ退役者として妻や子と静かな生活を送っていた。
 彼らがこの困難なミッションに行くのはなぜか。それは要請を受けたから。そして、自分達ならできると信じているから。家族の不安をよそに状況も分からないスペースステーションを復旧させるべく、ふたりはソユーズに乗り込むのだった。
 時をほぼ同じくして、アメリカのスペースシャトル「チャレンジャー」が打ち上げられることになっていた。しかも、チャレンジャーのカーゴスペースは偶然にもサリュートを収容可能なぎりぎりの容積を持っていた。アメリカのソビエトの宇宙技術を盗られるわけにはいかない。ミッションが不調に終われば、ソビエトはサリュートをミサイルで破壊することも決めていたのである。ふたりは無事にミッションを達成し、地球に生還することができるのだろうか?

 そうか、チャレンジャーか。チャレンジャーが爆発事故を起こすのは1986年のことである。1985年は科学技術の勝利の年だったのだ。そういえばつくば万博が開かれたのも1985年のことだった。電電公社がNTTに変わった年。3Dのパビリオン、INSによる先進通信網、テレビ電話、キャプテン。それらはすべて来たるべき未来だった。
 1985年は希望の年だったのだ。
 その年に、サリュート7のことはどのくらい大きく報じられたのだろうか。
 日本を含む西側諸国はどうみていたのだろう。まったく記憶にない。
 それくらい冷戦だったのだ。

 いま、ロシアはウクライナに侵攻し、まるで20世紀が戻ってきたかのように深刻な世界戦争の危機にある。それは核戦争の危機だ。ふたつの核の危機だ。核兵器と原発破壊と。
 人類はいつまでこのようなことをくり返すのだろう。
 宇宙は広大で、人類はまだその入口にさえたどり着いていないというのに。

 映画「サリュート7」がどのくらい史実で、どのくらいフィクションなのか、ネットで軽く検索しても分からない。しかし、無人となっていたサリュート7が地上からの制御不能に陥り、それを復旧させるためにミッションが組まれ、不安定な手動ドッキングに成功し、修理ミッションを行なったのは事実である。そのひとつひとつに人間の知恵と勇気と他者への信頼が込められている。
 ちょっと調べれば最終的にどうなったかは分かるのだが、それは映画を見てからのお楽しみだ。
 最近ならば「ゼロ・グラビティ」を見て、楽しんだ人にはぜひお勧めしたい。