映画 原爆下のアメリカ

1952

Invasion U.S.A

字幕なしの全編。

 アルフレッド・E・グリーン監督、製作アメリカン・ピクチャーズ、配給コロンビア・ピクチャーズ。アメリカ公開1952年12月10日、日本での公開は1953年4月23日。

 微妙な時期のアメリカにおける国威発揚映画である。
 第二次世界大戦後、映画が公開された1952年より少し未来の好景気に沸くニューヨークのとあるバー。牧場主は政府の規制が厳しく税金が高いと文句を言い、トラクター製造会社の社長は米軍が戦車の修理をやれと言うが儲からないので断ったと自慢、上院議員は軍備縮小のモンロー主義者、テレビ記者は戦争の脅威をネタとして使い、若い女性客はファッションにしか興味がない。
 そこに、アラスカに未確認の共産主義勢力による戦闘機爆撃がはじまったとの報道が入る。やがてそれは核攻撃となり、アメリカは敵の攻撃にさらされていく。
 ついにはニューヨークにも原爆が投下される。
 もし、市民や事業者が務めを果たし、戦争の脅威、共産主義の脅威に耳を傾け、税を納め、軍事費を惜しまず、戦車を修理し、備えていたならば…。
 
 というお話し。
 ドラマ部分はともかく、戦闘部分や原爆映像は、主に第二次世界大戦時の記録映像をリミックスして使われている。詳しい人が見れば矛盾だらけだが、その映像に描かれている戦闘とその映像からは直接見ることのできない「死」は本物である。
 どうしてこういう映画がつくられ、日本でも公開されたのか。
 ちょっと歴史を振り返っておこう。

 2023年の今日に至るまでアメリカ合衆国はその建国・独立以降他国に本土を攻撃されたことはない。1940年にハワイ島を攻撃した大日本帝国軍(パールハーバー)がもっとも直接的な軍事攻撃である。アメリカ本土への直接攻撃でもっとも大きかったのは2001年9月11日の同時多発テロ事件であろう。
 また、本土攻撃の可能性にもっとも近かったのは、1962年のキューバ危機であろう。これは、核戦争、第三次世界大戦にもっとも近かった出来事でもあった。
 しかし、くり返すが、アメリカは本土攻撃を受けたことがない
 そして、1945年の第二次世界大戦終結、勝利後、一時的に経済成長は止まったがヨーロッパの復興需要などもあり好景気となる。 

 映画は主に1952年に製作されたものであろう。
 その7年前、第二次世界大戦は1945年8月15日、日本がポツダム宣言を受諾して連合国に降伏したことで終結した。しかしその頃には、第二次世界大戦後の世界の覇権をめぐってアメリカとソ連(ソヴィエト連邦)との間で「冷戦」がはじまっていた。アメリカおよび西側諸国はソ連を中心とした社会主義国家による共産化を恐れた。
 アメリカはすでに核兵器を開発し、1945年8月に日本で実戦使用していた。広島と長崎に対する原爆投下である。その被害の大きさと放射線の影響についてはアメリカにおいても報道が規制され、また、広島と長崎ではアメリカによる調査が長く続いていた。
 一方、ソ連も1949年9月には原爆実験を成功。ここより世界は核開発競争と核戦争への脅威にさらされることになった。アメリカも核開発を急ぎ、ネバダに核実験場を建設、1952年には水爆も完成された。
 冷戦というが、代理戦争ははじめられている。
 ソ連と同じく社会主義国となった中国の後ろ盾を受けて北朝鮮が韓国を攻撃、韓国及び連合国との間で朝鮮戦争が勃発した。1950年6月のことである。
 当時、日本は実質的にアメリカの占領化にあり、朝鮮戦争の後方基地の役割を担っていた。日本は再独立に向けて憲法をはじめ政治体制、社会体制の再構築をはじめていたが、アメリカ側は日本の軍事的無力化と長期的な占領も考慮していたと思われる。しかし、朝鮮戦争をはじめ、冷戦が進行することで、日本を再独立させ西側諸国に組み入れることが優先される。1950年にはGHQにより準軍事組織として警察予備隊が設置された。
 そうしてサンフランシスコ平和条約が1952年4月28日発効。形の上で再独立を果たした。
 アメリカにおいてマッカーシズム(共産党およびシンパの排除)がはじまったのは1948年頃からで、1954年頃までハリウッドでもその嵐は吹き荒れた。
 多くの監督や俳優、関係者が共産主義者として指弾され、追放された。
 その頃の映画である。
 監督のグリーンは1889年生まれ、1952年には63歳ぐらい。1916年には映画監督としてデビューしており本作は映画監督としては晩年の作品となる。20世紀前半を映画監督として生き、名作もB級映画も合わせて60本以上を世に出している。わりとコメディタッチが多いようで、大戦中には戦争物もあるが、これほどまでに直接的な戦争映画はなさそうである。どんな気持ちで、どんなオファーでこの映画を撮ったのだろう。

 ちなみに、最後はジョージ・ワシントンの言葉
 To be prepared for war is one of the most effectual means of preserving peace.
 で締められる。
 平和を守る最も有効な手段は戦争への備えである。

 アメリカらしい考え方だ。