エンダーのゲーム

エンダーのゲーム
ENDER’S GAME
オースン・スコット・カード
1977,1985
1977年に発表された短編「エンダーのゲーム」を長編化した作品である。主人公は短編も長編も同じであり、基本的なプロットは同じだが、短編で語られていることと長編で語られていることはずいぶん異なっている。短編は、「無伴奏ソナタ」(ハヤカワ)に掲載されている。好き好きはあるが、漫画家の吉野朔美氏は連作短編集「瞳子」(小学館)の中で、「エンダー」も、「アルジャーノン」も、短編より長編の方がよいと主人公に言わしめている。
 先に読むならば、長編をおすすめする。ということで、長編の評である。
 いつものことながら、結末に関わる評をするので、未読の方は、ここから先、読まれない方がよい。とはいえ本作が出た当時に較べれば、結末の驚きは少ないであろう。
 天才少年・少女を集めて軍人として育て上げ、司令官を養成するバトルスクール。
 敵は、バガー。昆虫型の異星人である。
 ハインラインの「宇宙の戦士」、ジョー・ホールドマンの「終わりなき戦争」とも似た世界。違うのは、あまりにも主人公が子どもであることだ。
 主人公のアンドリュー・エンダー(終わらせるもの)・ウィッギンは、6歳でバトルスクールに入る。彼は、産児制限の厳しいこの世界で許されざる「サード」3番目の子どもであり、それは、上2人の子どもと両親の天才性から生まれた例外である。幼少の頃から、思考や行動までモニターする装置をとりつけられ、エンダーこそが戦争を終わらせる司令官になりうると考えられた。
 訓練と模擬戦、昇進。ふたたび訓練と模擬戦。やがて10歳、11歳となり、エンダーのゲームがはじまる。エンダーは知らない。それが真の戦争であることを。知らないままに、彼はゲームを戦い、勝ち抜いていく。敵と戦う司令官になるために。そして、戦争が終わる。エンダーは、終わらせるものになった。
 彼の物語は終わり、そして、彼の物語がはじまる。本書には、続編があり、サイドストーリーがある。そして、それは今も著者により作られている。
ここでは、「エンダー」のみについて語ろう。
 さて、本書で驚くべきは、本筋のエンダーのストーリーもさることながら、インターネット社会について明確かつ正確に予測していることである。1985年当時、インターネットは黎明期であり、パソコン通信がようやく耳目を集めた頃であった。
 本書では、エンダーの兄姉が、さまざまなニュースグループにハンドル名で投稿し、そのバーチャルな地位を高め、有料かつ著名なニュースグループに招待され、寄稿し、社会に対する影響力を高め、資金も集め、人脈を広げ、情報源を得、国際政治に影響を与えるまでになっていく様子を描いている。
 そこまでの天才は2004年のインターネット界に登場していないが、インターネットで注目され、影響力を与え続けている個人、グループ、ニュースグループやメーリングリスト、メールマガジンは確実に増えている。
 韓国では、ネチズンが現実の政治を動かすまでになっており、アメリカは公式には認めていないがエシュロンという通信傍受ネットワークを稼働している。
 当時から見れば近づいたインターネット社会を鮮やかに描いているという点も、本書の特徴である。
 余談だが、即時通信システムに「アンシブル」と命名するあたり、人物を書くことにこだわるカードらしい選択である。傾向はまったく異なるが、アンシブルの生みの親・アーシュラ・K・ル・グィンもまた、子どもに注目し、人物を書くことに傾注する作家である。アンシブルつながりで、ル・グィンを読まれてはいかが?
 ついでにもうひとつ余談。ちょうどアーケードでのテレビゲームがはやっていた頃、テレビゲームのコンテストを各地で行って、地区予選、全国大会とすすみ、名人を選ぶというのが行われていた。そのころ、私は、これを裏で軍が主催し、最終戦が実は本当の戦争となっていて、戦わせるとか、優勝者には特別ゲームを別室でさせて、実はそれが本当の戦争だというストーリーを頭の中で考えては遊んでいた。きっとそのころ、そういうストーリーを考えた人は多かったことだろう。
ヒューゴー賞、ネビュラ賞受賞
(2004.06.03)