ゲイトウエイ
GATEWAY
フレデリック・ポール
1977
これぞSF! ああ、こうでなくっちゃ。
太陽系で発見された異星人の遺跡。彼らはヒーチー人と名付けられる。彼らが使っていた小惑星が発見されるも、ヒーチー人はおろか、その死体や文字、記録さえ残されてはいなかった。いくつかのまだ使える道具と、光速を超えてどこかに行き、そして戻ってくることができる放置されたたくさんの宇宙船が見つかる。それは、人類の新たな時代の幕開けともなった。
その技術的根拠や理論は分からないまでも、彼らの道具や落とし物は、人類に新たな技術をもたらした。
地球は、その資源をほぼ絞りつくし、アメリカ大陸の頁石からない油を搾り取っては、イーストとバクテリアに食わせ、250億人にもなった栄養不良の人類に食わせている。
人類は、地球と、金星の地中、そして、火星にようやく根付きはじめたばかりで、新しい星、新しい食料を求めているのだ。
ヒーチー人の小惑星宇宙基地は、ゲイトウエイと名付けられ、チャンスをつかんだ山師たちが、片道切符かも知れないヒーチー船に乗り込んでは、新たな発見を求めて旅に出る。
ヒーチー船は操作ができない。いやできるのだが、下手に触ると、目的地にたどり着いてもゲイトウエイに自動的に帰ってくることができなくなるのだ。
そして、目的地は選べない。惑星があるのか、超新星が待っているのか、その惑星にはヒーチー人がいるのか? 生命はあるのか? 危険なのか? 安全なのか? それは誰にも分からない。ただ、たどり着き、そこで人類に役立つ知識か道具を持ち帰ったものは、巨額の富を約束されている。生存帰還率は高くない。
それでも、富と名声をもとめてゲイトウエイに行きたがる者は多い。
だれが、地球で苦労を続けたいものか!
ゲイトウエイは、その存在の重要性ゆえに、世界が管理している。世界とは、宇宙に戦艦を出せるアメリカ合衆国、ソビエト連邦、ブラジル合衆国、金星連邦、新しい人民のアジアの各政府である。
本書の主人公は、ロビネット・ブロードヘッド。物語は、ブロードヘッドがゲイトウエイで調査員として成功して大金持ちになり、快楽をつくしながらも地球でコンピュータの精神医と対話して心の悩みを探る物語と、彼がはじめてゲイトウエイに行き、成功するまでの物語が交互に語られ、その間を、ゲイトウエイで流される広告が間を埋めていく。
宝くじに当たり、地球の鉱山から抜け出してゲイトウエイに行くことができた主人公。しかし、生きて帰る可能性の低さに、彼は、ヒーチー船に乗ることを恐れる。ゲイトウエイは働かない者をとどめることはない。いずれは死か、追放か、ヒーチー船への乗船を選ぶ他はない。おびえながらもヒーチー船に乗り込む主人公。1回目の旅、そして、2回目、そして…。
絶望ゆえの愛、恐怖ゆえのセックス。
本書の主人公は、決してヒーローではない。むしろ、アンチヒーローである。人間のくずみたいな書かれ方をしている。それでも愛することはあり、愛されることもある。
ディストピアのアンチヒーローの物語なのに、なぜこんなにわくわくし、ページを一気に読み進めるのだろう。
それは、本書が物語だからだ。
はるか昔からの口述の物語、おとぎばなし、伝説、言い伝え。私たちの世界観を反映し、人を導こうとする物語の力が、本書にも存在している。世界を再構成する力、物語の本質を、本書もまた持つのだ。
ああ、しかし、そういうことはどうだっていい。
私もまた、ゲイトウエイでヒーチー船を前にしてたちすくみ、友だちや見ず知らずの男たち、女たちがヒーチー船に乗り込み、あるものは帰らず、あるものは空振りで帰り、あるものは富を得て来るのを見つめながら、自分にあの船に乗り、飛び出す勇気があるかどうか、自分の時間と手持ちの金があるうちに足を踏み出せるかを自問自答し、できるだけ回答をおくらせようと強がり、無関心を装い、心を引き裂いている一人なのだから。
ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞受賞
(2005.2.15)