アイ・オブ・キャット
EYE OF CAT
ロジャー・ゼラズニイ
1982
ロジャー・ゼラズニイという作家は、宗教、神話とSFの融合をはかろうともくろみ、様々な宗教世界、神話世界を描いている。私は、少年期に彼の作品を読み、正直なところさっぱりわからなかった。
本書は、「積ん読」書のひとつで、1989年に買ったっきり、ほとんど開くことなく今にいたった作品である。
本書で扱われる神話は、アメリカ先住民、インディアンのナヴァホ族の世界。ナヴァホ族のひとりで、20世紀に生まれた主人公は、異星生物ハンターとなって宇宙をかけめぐり、まだ30代なのに、地球の時間は彼が生まれてから100年以上過ぎ、ナヴァホ族としての自分との乖離、現実の社会との乖離、そうあったかも知れない自分への乖離を感じながら、漠然と死を予感している。
本書は2部に分かれる。1部は、引退していた彼の元に国連政府高官から依頼が来る。異星人ストレイジ人との通商条約締結目前に、ストレイジ人の中でも宗教的に特殊な訓練を積み、変身能力をもったひとりが国連の事務総長を殺しに来るというのだ。それを防いで欲しいという依頼に彼は、自分の能力を超えたものを感じる。そして、彼がかつて狩り、今は異星生物博物館に入れられている変身能力を持つ「キャット」の存在を思い起こす。キャットは知性生物ではないかと主人公はずっと思っていたのだ。
キャットは、やはり知性生物で、50年に渡って地球人の思考を読み続けた結果、地球人に特有の「憎しみ」を知り、その憎しみの対象を、彼を狩った主人公に向ける。そして、主人公を手伝う代わりに、彼の命を所望する。主人公はそれを了解する。
2部では、主人公を追うキャットと、逃げる主人公、そして、テレパシストたちや、現代のアメリカ先住民を描く。
テーマは、世界の再構築、自分の再構築なのだろう。
が、いつもロジャー・ゼラズニイの作品を読んでいて思うのだが、物語として重層すぎて、物語に入っていけないのだ。これは、もちろん、読者である私の浅さが原因なのだが、浅い読み方では読者を受け付けないのである。
心して、読め。ということだ。
同じように宗教観、世界観をSFと融合させて、浅い我々にも物語の力を感じさせてくれたのがマイク・レズニックの「キリンヤガ」であるが、これに比べると本当に読みにくいと感じてしまう。独自の物語としてのおもしろさを感じないのだが、それだけ、ナヴァホ族の世界と本書は直結しているのかも知れない。 私には、本書を解読する力はない。
ロジャー・ゼラズニイを評する力がない。
本書と戦う力が欲しい。
(2005.3.18)