BLOOD OF TYRANTS
ナオミ・ノヴィク
2014

ナポレオン戦争の真っ最中、中国皇帝からフランス皇帝ナポレオンに贈られたドラゴンの卵。フランス海軍船を拿捕したイギリス海軍艦の艦長ローレンスは、孵化したドラゴン・テメレアと感合し、パートナーとしてそれまでの地位を放棄し、航空隊のキャプテンとなる。ローレンスとテメレアは、イギリス、アフリカ、中国、トルコ、プロシア、フランス、そして、オーストラリアを経て、インカ帝国まで、ときには命令を受け、ときには彼らの意志の下に長い旅を続けてきた。戦い、傷つき、諍い、ときには離ればなれになりながらも、テメレアとローレンスの結びつきは、様々な出来事を経て、経験を経て、より深いものになっていった。もちろん、若く誇り高い竜であるテメレアの考え方と、18世紀末から19世紀初頭の英国貴族出身である軍人ローレンスの考え方には大きな違いがある。お互いがお互いに影響を与えながら、「ドラゴンが当たり前にいる世界」に生きているのだ。
その旅も、のこり2冊となった。全9巻、いよいよ8巻目である。楽しみ。
おい。
君たちは海路で南米から中国に向かっていたのではなかったのか?
なんでローレンスは記憶を失って九州の海岸、松林に打ち上がっているのだ?
テメレア、君はどこにいるんだ。
たしかに、本シリーズ、いつも大変な目に合っているのはローレンスである。
昇進を嘱望された若き貴族の軍艦艦長が、テメレアと感合したばっかりに格下とみられた航空隊に中途転属するはめになり、実家との関係は悪くなり、婚約者に捨てられ、そこから碌なことはない。捕虜になったり、死刑囚になったり、誘拐されたり、流刑になったり、死にかけたり、死にかけたり、死にかけたり。あんなことやこんなことや。
それにしても、記憶喪失とは。
しかも、1巻がはじまる直前、そう、海軍艦の艦長として意気揚々としていた、あの時代、テメレアと出会う前の記憶までしか残っていないのだ。
ローレンスの扱い、ひどすぎやしませんか?
でも、だからこそ、8巻ではじめてテメレアに出会う読者も、もしかしたら楽しく読めるかも知れない。
しかし、やはり1巻からだよな。そして、9巻の前に、ローレンスとテメレアの過去の振り返りとともに「出会い直し」を味わうことができるのだ。ありがとう作者。ありがとうナオミ・ノヴィク。長編シリーズ物の醍醐味を分かっていらっしゃる。
それにしても、日本である。まだ実質的には開国前、江戸末期である。雨を降らし、雷を落とす、水と縁の深い竜のいる日本である。あの竜である。テメレアが中国皇帝に贈られた卵から孵化したドラゴンということもあって、どちらかといえば西洋のドラゴンであった。だから必然的に中国のドラゴンは西洋っぽいところがある。東洋的な竜(龍)はでないのかな、と思っていたら、派手に出てきました。しかも、形態は東洋の竜だけれど、その登場などはちょっとゴジラ感もある。日本の読者へのささやかなサービスなのかな。いいぞ、いいぞ。
8巻のストーリーは、ローレンスの記憶のことは置いておいて、その後、もとの船やドラゴンたちと合流し、当初の目的地である中国に辿り着くイギリス人ご一行。ナポレオンのロシア侵攻を受けて中国のドラゴン軍と一緒にロシアの加勢に向かうことに。そこで…。
ということで、現実の歴史と「テメレア」世界のドラゴンのいる世界の歴史はときには近く、ときにはまったく遠く、ときには時間軸がずれつつも18世紀末から19世紀初頭の時代感のなかで歴史改変ドラゴンファンタジーを味わえるのである。
そして、忘れてはいけない、この物語の背景にずっと流れている「知的存在の個の尊重」というテーマ。ドラゴンやドラゴンのパイロットを差別的に扱うイギリス。19世紀の色濃い身分格差、女性差別…。中国での人とドラゴンの対等な関係性と、同居する権威主義。アフリカの奴隷問題、民族紛争、インカ帝国におけるドラゴンと人の逆転的なクラン。戦争の敵に対する正義の名の下に行なわれる非道。テメレアとローレンスの目と体験を通して、21世紀の現代の、現実世界の「人間の闇」と、それを解決するための人の心の持ちよう、行動の持ちようを、作者ナオミ・ノヴィクは読者に伝えるのだ。
もっとも、テメレア戦記はファンタジーである。純粋に楽しめば良い。楽しんだ先に、現実の未来がつくられる。
余談だが、2024年は十二支の「龍(辰)」の年であった。私は「巳」であるが、「早生まれ」なので、同級生たちの多くは「辰年」である。そして、還暦でもある。
そういうご縁もあって、今年のうちにドラゴンものをなるべく読んでいたかったのだ。
テメレア戦記と、ドラゴンSFの金字塔アン・マキャフリイの「パーンの竜騎士」シリーズをまとめて読むことを課していた。
もう年末だ。達成したぜ。第9巻の邦訳出版を待ちながら、新しい年を迎えたい。