さよならダイノサウルス

ロバート・J・ソウヤー
1994

 90年代から00年代にまとめて翻訳された人気作家ロバート・J・ソウヤーの初期作品である。「星雲賞」もとっている佳作。タイトルは日本の後付けで、まあしかたないが、タイトルで手を出さないこともある。読むまでに30年ほどかかってしまった。
 時間旅行ものである。時は2013年、約6500万年前の中生代白亜紀が終わりに差しかかかるタイミングに向けてはじめての超過去調査が行なわれようとしていた。搭乗するのはふたりの古生物学者。主人公のブランドン・サッカレー44歳、離婚歴あり。もうひとりはクリックス。サッカレーにとっては古くからの元親友であり、学問上のライバルであり、そして、やはり学友だったサッカレーの元妻と付き合っているとサッカレーは思っている。実に不幸な組み合わせである。
 さてさて、タイムマシンの理論が発見されたのは2005年、2007年に発見者のチン=メイ・ファン教授はノーベル賞が授与され、そして2013年にはタイムマシンが完成したのである。驚くべきことだ。
 さてさてさて、約6500万年前の問題とはなにか。それは中生代から新生代に入る際に起きた恐竜などの大量絶滅問題である。現在では巨大隕石衝突とそれにつづく気候変動が主な原因と考えられているが、火山活動説やそのほかの説もまだ生き残っているようだ。
 ということで、古生物学者にとっては、絶滅直前の進化の頂点にあった恐竜や生態系をこの目で確かめ、可能ならば恐竜を持ち帰ることが使命として与えられていた。
 そして無事過去に「行った」ふたりは、そこで意外な事実を目の当たりにする。いまさらではあるがネタバレになるので細かくは書かないが、ひとつだけ書いておくと重力が小さいのだ。恐竜がなぜ巨大化したのか、それは重力が小さかったからなのだ。いやいや待て待て、重力は質量によって決まるのではないか? どーゆーことよ。いやいやそーゆーことよ。ゼリー状の生物?隊列を作る恐竜? いやいやいやいや、まてまてまてまて。
 しかもタイムトラベルものだから当然タイムパラドックスというものがつきまとう。
 恐竜絶滅直前の恐竜の姿、地球の秘密、さらには過去と現在をむすぶタイムパラドックス。サッカレーとクリックスのからむ三角関係もあって、とにかく話を詰め込みましたよ、ソウヤーさん。でも軽い気持ちでふふふんと読めるザ・エンタメ作品だ。

テメレア戦記Ⅲ 黒雲の彼方へ

ナオミ・ノヴィク
2006

 中国でいろんなことがあった黒く誇り高き竜のテメレアとその担い手であるキャプテン・ローレンス。いよいよ英国に向けて帰ることになるのだが、そこで急報が入る。トルコ皇帝から竜の卵を譲り受け英国に持ち帰るように、と。しかし、とある事情で海路をとることができなくなってしまう。竜の卵がいつ孵化するのか分からない以上、最短ルートで向かうしかない。つまり陸路。幾多の砂漠や山脈を抜けていくほかない。元・海軍士官で海のことならば何でも知り尽くしているローレンスも、陸、しかも砂漠や高山はさっぱりである。幸いテメレアは大きく、必要なスタッフを乗せて遠くまで飛ぶことは可能だが、食料や水の不安もあるし、地図の不安もある。そこで英国からの急使としてやはり陸路をやってきた孤高の男・サルカイに道案内を頼むことになった。どこか得体の知れないサルカイ。不慣れな砂漠や砂漠の町で起きる事件。たどりついたトルコでの暗澹たる出来事。さらには、トルコからヨーロッパに入り、ふたたびナポレオン戦争のまっただ中へ。はたしてローレンスとテメレアは無事竜の卵をもって英国にたどり着けるのか?
 喉の渇くような旅と闘いが続く。

 私的な話で恐縮だが若い頃パキスタンを縦断したことがある。特になにか思い入れがあったわけではなく、たまたま手に入れた航空券がパキスタンの南の商業都市カラチに立ち寄るオープンチケットで、それならばとカラチからペシャーワル、ギルギット、そして、フンザまで鉄道やバスを乗り継いで行ってみることにした。どこまでもどこまでもどこまでも遠くまで見渡せる果てしない乾燥した大地、はるかに脈々とそびえる7000メートル級の山々。厳しい太陽の光。貴重な水。いや若気の至りであるが、後悔はない。まあ多少危ないこともあったが、幸いにしてこうして思い出話にすることができる。
 そうそう、この舞台のトルコにも滞在したことがあって、イスタンブールにものべ10日以上居たし、アジアサイドのアンカラやシノッブ、ギョレメ(カッパドキア)などにも行ったものだ。その旅の記憶を思い起こしてくれた。

 竜は大食漢だし、お世話は大変だけど、パートナーとして馬よりもずっといいなあ。なんといっても飛べる。飛べて話し相手になる。最高。しかもテメレアは頭良いし。まだ若いから思考がまっすぐで猪突猛進なところはあるけれど、多言語を簡単に覚えて使いこなし、数学にも長けているなんて、すばらしい。
 一緒に砂漠の旅を楽しもう。(大変だけど)。

テメレア戦記Ⅱ 翡翠の玉座

THRONE OF JADE

ナオミ・ノヴィク
2006

 フランス軍のイギリス本土上陸作戦を防ぎ、立派な英国のドラゴン空軍の一員として周りから受け入れられた漆黒のドラゴン・テメレアと、元海軍将校のキャプテン・ローレンス。しかしテメレアは中国皇帝がナポレオン皇帝に下賜した卵から生まれた稀少な竜。英仏の海戦による正当な略奪とはいえ、中国側が黙っているはずはなく、第二巻ではいきなり中国側が皇帝の兄ヨンシン皇子を使節団としてイギリスに派遣してきた。いわく皇帝が皇帝に贈ったものだからテメレアを返せ、戦闘に使うなど論外、さらに高貴なる人間以外がテメレアに乗るなど許されないことでありロー4レンスの搭乗は認められない…。
 英国政府は14年前に中国皇帝を怒らせてしまい、その後の貿易と関係拡大があまりうまくいっていないことからなんとか穏便にすませようとする。つまり、テメレアを返す見返りを求めることで利をとろうということ。もちろん、ローレンスが納得できるものではなく、テメレアもローレンスと離れることなど考えられない。
 さまざまな思惑の中で、ローレンスとテメレア、若き英国外交官のハモンド、中国皇子ヨンシンをはじめとする中国使節団一行は、英国海軍の巨大なドラゴン輸送船アリージャンスでとりあえず中国に向かうことになる。艦長はローレンスの画策でかつての優秀な部下トム・ライリーが再登場。一癖も二癖もある登場人物たちのなかで苦労するローレンス、アフリカの喜望峰を回り、インド洋を抜けて中国へ。途中、フランス軍との海戦があったり、巨大な「アレ」に襲われたりしながら、いよいよ中国へ。はたしてローレンスとテメレアの運命は、ローレンスとテメレアの選択は?

 いきなりの中国。いきなりローレンスを苦しめる英中外交問題。自分の運命を勝手に決めようとする人間たちにむかつくテメレア。
 おいおいナポレオンとの戦争はどうなる?
 それにしても海の旅である。テメレアは船上生まれ、海が大好きな竜だが、成長してはじめての長旅である。第一巻ではローレンスとともに空軍(空を飛ぶ竜の軍)で訓練を受ける姿が話の柱になっていたが、第二巻では海の冒険をたっぷりと味わえる。テメレアはアフリカの奴隷貿易を目の当たりにし、人間の愚かさを知る。船上では英国の竜として育てられたテメレアが、中国の様々な文化にも触れる。英国人同士も、海軍と空軍の考え方や行動規範の違いによる衝突、外交官と軍人の行動規範の違い、中国使節団との緊張含みの複雑な関わり。そこに19世紀時点での英中の階級制度による問題。
 そして中国上陸。竜が数少ない英国と違い、竜が人間と共存する中国。その姿を見たことで得られるローレンスとテメレアの新たな視座。
 はたして彼らはどんな選択をするのか。できるのか。
 結末に選択が待ち構える冒険の旅。読者としてはわくわくどきどきするじゃないか。登場人物たちはとても大変だろうけれど。
 ということで、間違いなく第一巻よりも充実し、おもしろく、わくわくして、どきどきして、そして、しっかり考えさせられる。最高のエンターテイメント歴史改変ファンタジー。

ジューマの神々<バルスームふたたび>

THE GODS OF XUMA OR BARSOOM REVISITED

デイヴィッド・J・レイク
1978

 2024年になった。私もまもなく還暦を迎える。ということは、私よりも少し年齢の高い団塊の世代の諸先輩方の中には、いわゆる終活や早逝される方々も出てくる。すると突然古書店に50年代から70年代の書籍がとても美しい状態でごっそり出てくることがある。そんな本を見かけたらなるべく確保。中身は読んでから考えよう。そうやって手にした一冊が本書「ジューマの神々」である。
「火星のプリンセス」が発表されたのは1917年。それから本書「ジューマの神々」は約60年後に発表されたインスパイア作品である。副題の「バルスームふたたび」であるが、「火星のプリンセス」で主人公ジョン・カーターが冒険した「火星」は火星人の「赤色人」たちに「バルスーム」と呼ばれていたのである。だから「バルスームふたたび」は「火星のプリンセス」の火星っぽい惑星ということになる。
 さて、ストーリーであるが、少しだけネタバレも入るけれど、ご容赦いただきたい。
 時は22世紀。地球は20世紀後半の第三次世界大戦とその後の第四次世界大戦で居住不能になり、人々は月のドームで暮らしていた。その月でも、旧超大国間の緊張は続き、人類はある意味で滅亡の危機を迎えていたのだ。
 そこで旧超大国はそれぞれ居住可能な別の星系をめざして探査を行なってきた。冷凍睡眠などをつかい探査と第1次入植を兼ねた恒星移民船である。
 人類が居住可能な惑星には人類と同様の知的生命体がいることは想定されていた。その制圧のための武器も用意して…。
 エリダヌス星系で現地では「ジューマ」と呼び表す赤い惑星の天体観測員カンヨーは惑星周囲の旋回星群のなかに異質な星をみつけた。それは神々の船ではないかと考えられた。
 その船こそ、人類の乗る星間宇宙船リバーホース号であった。時は地球歴2143年3月26日。その惑星は、21世紀初頭に書かれた小説に登場する「虚構の惑星」にとてもよく似ていた。地球より小さく、月より大きく、人類が居住可能な大気があり、やや暑く、乾燥しているが水は存在し、惑星には人類の歴史よりもはるかに長い長い時をかけて構築されたと考えられる運河がはりめぐらされていた。しかし、その惑星の月に惑星の住民が訪れた形跡もなく、宇宙開発や高度な都市開発の形跡もない。文明社会ではあるが、高度な科学社会ではない。「適切な予防措置を講ずる限り、原住民と深刻なもめごとが起きるはずはあるまい」と接触前に船長は記録に残している。

 主人公のトム・カースンはいちはやく「原住民」の言語を習得し、初期の接触要員として地上に降りる。そこで目にしたのは蒸気機関も電力もない中世さながらの王国の姿であった。地球人そっくり、いや「バルスームの赤色人」そっくりな姿である。
 船長は入植船の方針に沿って原住民を制圧、支配下に置き、人類の入植をすすめるつもりである。トム・カースンは、「武力制圧は避ける」ことをめざしながらもやはりジューマの人々から「神」と呼ばれ、人々を未開の人々のように考える傾向にもある。それでも船長の好戦的、高圧的な態度には辟易している。
 そのジューマの人々であるが、基本的には無性として生まれ、やがて男性態になり、その後に女性態を経て、最終形態として無性態に戻る人類よりも長命な種族でもある。いまだ複数の国家として紛争もあるが総じて安定した社会を保っている。
 そこに人類という異質なものたちが入ってきたのだ。
 さあ、どうする。さあ、どうなる。

 物語は主にトム・カースンの視点で描かれるが、次第に明らかになるジューマの秘密、人類の行く末、愚かさ。

 悩ましい本だった。1970年代ということを考えるとところどころに出てくる男性優位な表現はとても今日的ではない。表紙だって、「火星のプリンセス」さながらの王女の精悍なヌードである。もちろん、これは作品中の登場人物を美しく書き上げたすばらしい絵ではあるのだが、やはり今日的ではない。まあ当時であっても、当時中学生の私はこの表紙の本を手に取って本屋のレジに行く勇気はなかっただろうが。一方、成長に応じて性転換していくなかでのマイノリティの存在や扱いなどは21世紀初頭の今日的な視点も込められている。
 SFに性やセックスが、「ベムと美女」ではなくきちんと取り入れられたのは1960年代後半のロバート・シルヴァーバーグあたりからではないかと思うが、エンターテイメント重視ではあるが社会と性についても思考実験をしているあたりは新しい。
 少数でありながら強力な武力を持った宇宙からの侵略者である人類と、侵略される側になる多数を占めるジューマの人々の緊張と緩和。書かれている内容は背景にベトナム戦争や米ソ冷戦、あるいは第二次世界大戦の記憶が色濃く反映されていて強力な武器を持つこと、侵略と対話などの寓意性も込められている。主たる舞台となる国では女王は公選挙で選ばれ、女性である期間は為政者として存在するが、老成して無性に戻るときにはつぎの女王を選ぶ選挙が行なわれる。仮に他の国を武力等で支配下に置いても、その国で選挙に選ばれなければ為政者としては正当であると認められない。そういう民主主義と紛争のあり方みたいな寓意もあったりする。とはいえ、「広島」「長崎」を都市を壊滅させる用語として使うなど、軽々しい表現も多い。
「火星のプリンセス」をインスパイアしているが、アンチテーゼとも読める。
 すくなくとも、21世紀において新たに出版されることはないだろうが、時代背景を含めて考えれば軽めのエンターテイメント作品の中に人類のもつ善と悪の拮抗をうまく取り入れた挑戦的な作品であるとは思う。
「火星のプリンセス」を読んだら、派生作品として本書を楽しみ、かつ、いろいろ考えるきっかけにしてはどうだろう。

テメレア戦記Ⅰ 気高き王家の翼

HIS MAJESTY’S DRAGON

ナオミ・ノヴィク
2006

 ドラゴンが出てくる本格SFといえばアン・マキャフリイの「竜の戦士」にはじまるパーンの竜騎士シリーズが真っ先に思い起こされる。それより前に読んだジャック・ヴァンスの「竜を駆る種族も忘れてはいけない。記録を読み返してみると2005年に読み返していた。そこに「私は、ほとんどファンタジーや「剣と魔法」ものを読まないが、竜(ドラゴン)にはついつい惹かれてしまう。洋の東西を問わず、竜というのは人を魅了してやまない存在なのだ」などと書いている。それから20年近く経った。その間に、竜が登場するこんな歴史改変SFというかファンタジーが生まれていたのだ。
 海外SFばかり読んでいるといってもずぼらなことに新しいSFの動向さえもしっかり把握していないので、ファンタジー領域でヴィレッジブックスから出ていた作品のことはまったく視界に入ってなかった。反省。
 このシリーズは2016年に第9巻が出版され完結したそうだが、日本では第6巻で翻訳が中断されていたようだ。SNSで訳者の那波かおりさんが、読者の続編を求める声を丹念に拾い、その結果7巻以降も別の出版社で刊行されることになったという。そりゃあ読まねば。歴史改変ものはあまり得意ではないが、竜が主人公(?)だし、重い腰を上げることにした。
 前情報を入れずに読み始めた。
 ふむふむ、19世紀初頭、ナポレオン戦争の時代。蒸気機関が普及する直前の時代。陸上は馬、海上は帆船が主流。銃や大砲は実用化されているが、剣が何よりも大切な時代。それなのに、なんと空軍が!空軍がある。
 もちろん、航空機などではない。空軍は竜の軍隊である。さまざまな種類の巨大な竜たちが戦略上重要な要素となる。
 そう、現実世界に竜が存在し、戦争の歴史に大きな役割を果たすのである。
 しかし、竜はただの乗り物でも、空を飛ぶ家畜でも、動物でもない。
 竜は竜であり、人と竜のつながりも他の何にも比べるもののない特殊なものである。
 竜が卵から孵るとき、近くにいた人間を「竜が」選ぶ。一度選んだ人間との絆は切れることがない。ただ、基本的に竜の方が長生きであるのだが。
 そして、竜には知性がある。言葉を話し、人とのコミュニケーションも可能だ。

 さて、イギリス戦艦リライアント号の若き海軍将校・艦長ローレンスは、拿捕したフランス戦艦アミティエ号に積まれていたドラゴンの卵を確保した。この卵から孵化した竜が選んだのはこともあろうにローレンスであった。大航海時代において貴族階級である海軍将校という将来を嘱望されていたローレンスだが、やむなく評判の悪い空軍パイロットの道を歩むことになった。突然人生設計ががらりと変わってしまったローレンスは、竜にテメレアと名付ける。実際の歴史でイギリス海軍でたびたび名付けられた艦船名でもあり、最初に命名されたのは史実ではフランス海軍から鹵獲した戦艦名らしいが、本書でもローレンスが数年前に就航を目撃した艦船の名前とされる。ローレンスとしては海軍に未練たっぷりの御様子。そのローレンスの失意は、やがてテメレアによって新たな喜びへと変わる。物語を好み、数学や物理学にまで興味を持つ好奇心旺盛な唯一無二の竜、テメレアとの絆はテメレアの成長とパイロットとしての自信のうちに深まっていく。ローレンスとテメレアは知恵と勇気と優しさで、ナポレオン戦争の時代を生き抜こうとするのだった。

 まあ、よくしゃべる竜ですこと。とはいえ、生まれたての子供みたいなもので、ちょっとしたことでローレンスに甘える。ローレンスもテメレアがかわいくてかわいくてしょうがない。ふたりともでれでれである。親子とも違う、恋人とも違う、異種間共生の親友といったところだろうか。竜と人間の対等以上の関係こそ、この物語のおもしろさの鍵だと思う。
 副題にある「気高き王家の翼」とはもちろんテメレアのことを指すのだが、その理由はぜひ読んで欲しい。
 大切なことを書き添え忘れた。さすが21世紀のファンタジー。出てくる竜は、西洋だけではない。中国、日本の竜もしっかり出てくる。しかも大きい。巨大な竜にはパイロットとともに多くの兵士が乗り込んでいるのだ。想像して欲しい、巨大な竜が空を飛び交い、地上や海上の戦争に影響を与える様を。
 物語は、1805年に起きたスペイン・フランス連合艦隊とネルソン提督率いるイリギス艦隊が衝突したトラファルガー海戦の直後ぐらいまで描かれている。もちろん、どの戦場にも竜はいるのだ。歴史改変ファンタジーは荒唐無稽になりがちだが、それをしっかり読ませるナオミ・ノヴィクの力量はすごい。これから最終巻までゆっくりたっぷり楽しみたい。