スターシップ-反乱-

スターシップ-反乱-
STARSHIP:MUTINY
マイク・レズニック
2005
 本書「スターシップ-反乱-」は、マイク・レズニックによるパースライト・ユニバースに属する作品であり、本書の舞台は銀河暦1966年、人類が主に共和制の政治体制にいた時代の最後の頃である。ちなみに、「サンティアゴ」は銀河暦3286年の民主制、「ソウルイーターを追え」は銀河暦3324年の民主制だそうである。本書「スターシップ-反乱-」には年表がついているのである。「キリンヤガ」はパースライト・ユニバースに属していないとのことだ。
 便利だ。
 本書の主人公はコール・ウィルソン中佐。老朽艦セオドア・ルーズベルトに左遷配属された共和宙域の航宙軍士官である。過去に3つの勇敢勲章とふたつの功労感状を持ちながら、何度も降格されているが、そのことを知る民間人は少ない。共和宙域のヒーローであり、敵方のテロニ連邦軍からは目の敵にされている。彼は、ついに全員が左遷組であり、最前線とはほど遠い宙域の警備のみを命じられている老朽艦に送られた。コール中佐曰く「官僚主義の結果」であり、軍の立場としては「命令不服従の結果」だという。
 コール中佐は、11年続いている戦争を終わらせることが自分の軍人としての役目だと固く信じており、その自由な発想で自ら課したミッションに取り組んでいく。本人も大変だが、回りも大変だ。しかし、すでに有名人としての知名度と信頼を活かし、コールがいるところに「最前線」を作り出し、勝利を導き出す。
 本書はタイトル「スターシップ-反乱-」や、宇宙戦争という古典的な設定では収まらない、マイク・レズニックらしいウィットと人間描写に富んだ作品である。「キリンヤガ」とはまた違った爽快感が得られることであろう。
(2009.5.10)

久遠

久遠
ETERNITY
グレッグ・ベア
1988
 グレッグ・ベア「永劫」の続編である。「永劫」を再読したのは2004年7月。それから約5年が過ぎた。そして、「久遠」を初読である。古本店で見つけたのだ。見つけてから1年ほど放置。人間とは忘却する生きものである。すっかり「永劫」の筋を忘れてしまった。自分で書いた「永劫」についてのメモを読み直し、なんとなく分かったような気がしたが、やはり忘れている。前作から40年後の地球。荒廃した地球には、彼らを救う別の時空の未来の地球から来た人達がいた。小惑星の内部には、超時空構造物「道」がつながっており、無限に近い空間や世界とつながっていた。そのつながりが切れ、荒廃した地球を救う側も資源不足に悩まされていた。まして、「世話をされる」側の地球人にとっては、いつも頭の上から礼儀正しく頭が良くてスポーツもできる優等生が学級委員長が面倒をみてくれるわけで、どうにも落ち着かない。そんななか、前作で別の時空に旅立った男が、ひょっこりと帰ってきた。宇宙の「終極精神」の遣いとして。出迎えるはめになったのは、若返りの技術を拒否し、晩年を迎えかけた主人公のひとりギャニー・ライアー。その妻、カレン・ファーリーは若返り技術を受け、地球行政官として活躍していた。ギャニーは、多くの救われない人々とともに死を迎えようとしていたのだ。しかし、そこに「終極精神」の遣いたるミルスキーがやってきてしまう。ひとりの人間と宇宙の死と再生を対比させながら…。
 一方で、前作の主人公のひとりだったパトリシア・ルイーザ・ヴァスケスは、やはり別の時空の過去の地球上で天才科学者として人々の科学力向上を手伝いつつ、年を取り、孫娘に彼女の秘密を伝授し、そして死んでいった。
 残された孫娘のリタは、別の時空の窓を開けることを希求するようになった。それが世界を変えることになるとしても…。
 ということで、途中まで何がなにやらと思いつつ読んでいたのである。
 私というざる頭の人間には、「永劫」も「久遠」も縁遠いのであろう。
 もう一度続けて読まない限り、何を書いていいやら分からない。
「永劫」をはじめて読んだ1987年頃は、とても忙しい新入社員だった。
「久遠」をはじめて読んだ2009年は、とても忙しい中年の一社会人である。会社勤めではないが、あれをしたり、これをしたり、あっちに行ったり、こっちに行ったり、なかなか一筋縄ではいかない。いろいろやりつつひとつの仕事を終え、新しいプロジェクトの準備をするさなか、頭に入らないなあ。しばらく休むか。
(2009.04.30)

ベガーズ・イン・スペース

ベガーズ・イン・スペース
BEGGARS IN SPAIN AND OTHER STORIES
ナンシー・クレス
2009
「プロバビリティ」シリーズ三部作が一気に翻訳されたナンシー・クレスの短編集である。「プロバビリティ」シリーズで登場した「共有世界」のアイディアが登場した「密告者」をはじめ、7作品が掲載されている。このうち、表題作「ベガーズ・イン・スペース」と「眠る犬」は、ナンシー・クレスを有名にした無眠人シリーズである。表題作は、その後長編化され、三部作となっているようだ。
 無眠人とは、眠ることのない人のこと。遺伝子操作で生まれた眠る必要のない子どもたち。知性に恵まれ、健康で、精神的にも安定し、極めて高い生産性を持つ。それゆえに、普通の人たちからのねたみを買い、やがて迫害されていく。ミュータント、超能力者迫害ものの変奏曲である。不老不死、超能力など、理由なき超人に変わって、遺伝子操作という「科学」が導入されてSFの中心に戻ってくることとなった。
「ダンシング・オン・エア」もまた、遺伝子組み換えによる能力改編をベースにした作品。クラシックバレエが、その舞台となる。
 個人的に好きなのは「戦争と芸術」。異星人との戦争を続ける人類。敵の基地を確保した人類の軍は、芸術に詳しい専門家を敵の基地に送り込む。異星人が人類の居住エリアを襲って収集した物品の中から貴重な芸術品を回収するためである。芸術作品だけでなく、バスタブや子どもの靴など様々なものが収集され、異星人にしか分からない方法で配列されていた。人間の専門家は、そこから何かを読み取ろうとする。なぜ、異星人はこれらを集め、このように並べたのか…。
 とても短い作品から、中編といえる作品までいずれも読みやすく、満足できる。「プロバビリティ・ムーン」の最初のとっつきにくさに比べれば、最初に短編集を読むのはクレスを知るのにいいかもしれない。
本短編集は、日本独自編集だそうだ。表題作「ベガーズ・イン・スペース」は、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、アシモフ誌読者賞、SFクロニクル読者賞受賞作品。つまり傑作である。
(2009.04)

太陽の中の太陽

太陽の中の太陽
SUN OF SUNS
カール・シュレイダー
2006
 気球世界ヴァーガシリーズの第一作目である。帯の釣書は「リングワールド以来の破天荒な世界」である。まさしく。時は遠い未来。何らかの泡というか、膜というかに包まれて外の宇宙と隔絶した世界が用意されている。そこには人工の太陽がある。大きな重力を生み出すほどの質量はない人工の核融合太陽である。ひとつではなく、たくさんの太陽がある。大きな太陽がある中心の世界はキャンデスと呼ばれているが、このヴァーガの世界にはたくさんの小さな太陽があり、その光の周囲に小さなコロニーや衛星の居住地がある。ヴァーガの世界には空気があり、窒息して死ぬことはない。重力はとても微少。太陽の大きさやコロニー群の軌道によって世界の勢力分布は変わる。中心世界キャンデスは、その光の大きさ、安定性によって強国となり、世界を統べる。しかし、周辺にはそれぞれに太陽があり、その恩恵で生きる人々がおり、国が成立する。太陽を持つものが国を興し、世界の中の勢力となることができる。しかし、時に世界はきまぐれである。それぞれのもつ軌道によって他の世界と近づき、分かれる。そのたびに、侵略や併合が起き、力関係は変わっていく。光の届かない場所は、冬空間と呼ばれる。人が住むには厳しい世界だ。そして、ほとんどの空間が冬空間である。
 さて、内側の世界があるということは外の世界もある。間違いなく。どうやれば外に出られるのか、そもそも外の世界がどういう世界なのか知るものは少ない。気にしていないともいえる。
 太陽など一部の技術を除けば、この世界は大航海時代や第一次世界大戦前の世界に似ている。
 群雄割拠の世界である。
 ここにひとりの少年ヘイデンがいる。ヘイデンの母は太陽技術者だった。父は小国エアリーの独立を望んでいた。エアリーは太陽を作ろうと画策していた。支配者である大国スリップストリームから独立するために。しかし、その独立は果たされず、両親は殺され、ヘイデンは孤独のままに生きていくこととなった。両親を殺したスリップストリームの提督への復讐を誓って。
 そのヘイデンが、スリップストリームの提督の妻に雇われ、提督が率いる艦隊に乗りこんで冒険の旅に出ることとなった。スリップストリームを守るためか、提督を殺す機会をうかがうためか、それとも、同行することになった外世界から来た美女と一緒にいたいためか、ヘイデンは悩みながらも戦い、生きのび、成長していく。そして、何かを得、何かを失う。大人になっていくのだ。
 まさしく破天荒な世界を舞台に、バロック調のストーリー展開。フィリップ・リーブの「移動都市」シリーズなどが好きな人にはおすすめな一冊である。
(2009.03)

プロバビリティ・スペース

プロバビリティ・スペース
PROBABILITY SPACE
ナンシー・クレス
2002
 ナンシー・クレスの「プロバビリティ」シリーズ第三弾で完結編である。人類とフォーラーの戦争は宇宙を崩壊させる究極兵器をお互いが持ってしまい膠着状態。人類側は軍内部でクーデターが勃発。前作で新たな物理学の地平線を開いた物理学者カペロは誘拐され、娘のアマンダは誘拐現場を目撃してしまったために「誰も信用できない」状態で、一緒に「ワールド」に旅をしたマーベットを探して流浪の旅に出る。一方、マーベットは、前作で中間管理職のパワー全開だったカウフマン君と一緒。カウフマン君は、ワールドの共有世界を崩壊に追い込んだことについて自責の念でいっぱい。なんとかワールドに行こうとする。行ってどうなるものでもないだろうが…。
 さらに、誘拐されたカペロの幽閉先にたまたま遭遇してしまった少年は殺され、その母で大金持ちの策士、女スパイにして男たらしのマグダレナは、息子がカペロとともに誘拐されたままであると確信してカペロを追い求める。
 父カペロを案じ、カペロを探すためにマーベットを求めて地球、月、火星での様々な事件に巻き込まれるアマンダ。
 息子を捜すためにカペロの居場所を求めるマグダレナ。
 さらに、何かを求めるカウフマンと、現実をしっかり把握しているマーベットのカップル。
 クーデターを起こしたピアース大将は、宇宙が崩壊する可能性を理解する能力がなく、究極兵器をフォーラーの母星に近づけようとする。
 軍を退職し、中年の自分探しの旅に出るカウフマン君パート。典型的な少女巻き込まれ旅と事件の成長期ものとなったアマンダのパート。そして、背景に横たわる宇宙崩壊の可能性。
 果たして、どうなる、この宇宙。
 前作2作は「ワールド」のおもしろさが際だっていた。本作は、世界観もキャラクターも頭に入っていることだから、素直に楽しめばよろしい。
 それにしてもナンシー・クレスは登場人物に愛着がない。平気でいじめていく。その典型がカウフマン君である。前作では、ちょっとしたヒーローだったのに、軍を辞めたとたん、役立たずの、自分で何をしていいのかわからない大人になりきれていなかったおじさんの扱いである。かわいそう、と思うあたり、筆者もおじさんだからか。
 もちろん、前作と違って、本作では少女アマンダの成長の旅がある。出会いあり、別れあり、裏切りあり、信頼あり、冒険あり、機転あり、恋愛ありの、これぞ少女成長ものといったところである。
 中年のおじさんも安心して読んで欲しい。
キャンベル記念賞受賞作品
(2009.03)